「ダーク・ボガートの名演を堪能するだけでも観る価値のある映画だが、戦争から人間が受ける傷を“性”という面から描いた悲劇。」愛の嵐 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
ダーク・ボガートの名演を堪能するだけでも観る価値のある映画だが、戦争から人間が受ける傷を“性”という面から描いた悲劇。
①戦争の恐ろしさをSEXを通して描いた映画と言えるが、高校生であった私に何より「SEXとは時と場所によっては恐ろしいものになる」というトラウマを与えた映画です。②第二次世界大戦の余韻を深く残すウィーンの夜。あるホテルの夜勤のフロント係(英語題名になった「night porter」ですね)を務めるダーク・ボガート。いつもと同じ夜になる筈だったのに、若き気鋭の指揮者に率いられたオーケストラの一行が投宿してきて、その指揮者の美しい妻を見た瞬間のダーク・ボガートの表情。そしてほぼ同時にダーク・ボガートに気づいた妻のシャーロック・ランプリングの表情。一瞬見つめあい、そして直ぐに目をそらす二人。何故なら二人は二度と会ってはならない筈の二人だったから。この二人の邂逅のシーンがまず忘れがたい。③男は元ナチスでユダヤ人収容所の幹部だった。ナチ狩りを逃れるためにホテルの夜勤のフロント係をしている。女は収容された時に見初められて男の性の玩具となった。当時少女だった彼女が命欲しさに男の要求を受け入れたことは想像にかたくない。④男としては女は自分の前身を知っている。生かしておくわけにはいかない。女としては男は自分の過去を知っている。夫や世間に知れるわけにはいかない。そんな二人なのに、二人きりになった時、驚くことに倒れ込み激しく互いを求めあう。まるで“あの頃”に戻ったように。⑤賛成する人は少ないかもしれないが、私は二人の間に恋愛感情はなかったと思う。逆に女の方には憎しみの感情すらあったかも。しかし、理性や感情を押し退けて互いの身体に刻まれた“官能の記憶”が二人をどうしても求め会わせてしまう。善悪も自己保身の意識も越えて。身体があの頃の性の快楽・快感・悪徳を貪りあった日々を忘れられない。⑥そんな男女の性の機微・生理(そんな言い方が妥当かどうかわからないけれど)を、ダーク・ボガートは最近の表現を借りれば息を呑む“神”演技で魅せ、シャーロット・ランプリングは演技力では敵わないものの、あの“目”あの“顔”あの“肢体”で具現化して見せる。(現在でも第一線で活躍する息の長い女優人生を送っていることに少々驚いているが)。とにかく彼女の存在がなければこんなにsensualな映画にならなかったことは確か。⑦映画のあちこちで挿入される二人を巡るエピソードにもヨーロッパ映画らしい退廃的な描写が散りばめられている。⑧男はが裏切りのために、女はもちろん口封じのために命を狙われることとなり、アパートから出られなくなる。外へ出られない二人は最後には人間の二大欲望である食欲と性欲とを、半ば互いに分け与えるように半ば自分だけ独り占めするように貪り合う。⑨そして、食料も尽きた時、二人は収容所で出会ったときの格好(男は軍服、女は少女もののワンピース姿)で外に出る。勿論、そんな衣服をほぼ監禁状態のアパートの中に持っているわけもなく、イメージ映像だとは思うが二人は結局“あの頃”から逃れられなかったわけだ。そして響き渡る二発の銃声・・・⑩戦争の傷跡をこんな切り口で語るなんて流石ヨーロッパのそれも女性監督と感心した覚えがある。⑪ところで、シャーロット・ランプリングがこの映画に先立つこと2~3年前に出演した、兄と近親相姦した上に婚礼で生きたまま心臓をえぐりとられて殺されるという凄まじい役を演じた『さらば美しき人(原題:哀れ、彼女は娼婦)』を配信してくれる奇特なところや上映してくれる大阪のミニシアターはないですかね(勿論コロナ禍終息の後に…)。