アイズ ワイド シャットのレビュー・感想・評価
全57件中、1~20件目を表示
ムラムラしちゃって街に出てもイイことはない
今ではこりゃ面白い、もっというと、初見時よりも年を食ってみるとなお面白い!と改めて自分の中で評価が高いのが本作。
大学生のころ
「出来の悪いエロ映画。見どころはキッドマンのヌード」
社会人のころ
「エロ映画じゃないかも。見どころはキッドマンのヌード」
結婚したてのころ
「(偉そうに)エロ映画ではないですね。(心の中で)見どころはキッドマンのヌード」
そして今。
「アイズ ワイド シャット」
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世紀の傑作。
クルーズ演じるビルは、若くイケメンでドクター。それゆえ鼻につく感はあるが、真面目な男。キッドマン演じる妻アリスから旅行で見かけた男に抱かれたいと思ったことを告白され、愛と性欲は別ものだと、浮気は絶対しないと言い張るビルをアリスは笑う。すべてを失ってもいいから、抱かれたい、と思ったと。
アリスの告白で怒り、イライラ、嫉妬からのムラムラ解消への「不思議な国」の冒険が始まる。
その晩死んだ患者の娘マリオンに死者の前で性欲たっぷりに迫られる。街を歩いていると、ガキどもにホモ野郎、と言われ、イライラからのムラムラへ。そんな時、街女ドミノに誘われ、慣れない買春をしようとしたり、ピアニストのニックから、秘密の集会のことを聞き、貸し衣装屋の少女の乱交を目撃したことを経て、いよいよ秘密結社の乱交パーティにたどり着く。
ところが上から目線で見物していたところ、外野であることがバレて、追い出され、ムラムラを無理やり抑えられる。
へし曲げられた欲望は翌日へ持ち越す。
翌日マリオンに電話したり、街女ドミノに会いに行って、同居人とヤッてしまおうかと思いきやの、ギョッとする展開にあい、貸し衣装屋の少女と父親は、少女の売春を仄めかす。詮索するなと言われているのに、再び乱交パーティの現場に行き、あらゆる方面から、股間が縮みあがる警告を受ける。
ムラムラはヘナヘナと。後の祭りである。
まあ、そういうもので、逆にいずれの局面でもムラムラを解消することになったら、エライことになっていたので、ヤレなくて喜ぶべきではある。
言ってみれば、単なるラリッての、互いに強がりの夫婦喧嘩のせいで、肉親の死体の前だろうが、売春だろうが、少女だろうが、みんなが見ている前でヤるのだろうとか、世の中の女は皆セックスが大好きなのだ、とそのルックスと生真面目さのせいで、偶然かあるいは妄想か、そんな風に思ってしまう男の怖い怖いお話。
アリスは、パーティでねっちょり迫ってくるグレイヘアの男にちょっと火遊びをするムードを出しつつも、関係を持つことを拒絶する。一方でビルの前では、ラリッて、一目みた男に抱かれたい妄想があったと語り、愛と性欲は違うと、上から目線で言う。
しかし、抱かれたいと思っていた男に抱かれ、いろんな男に抱かれる夢を見て、本気で恐怖したことを聞かされる。アリスの夢とビルの見てきたことがここで重なる。
そうした二人はつまる所自他(自はアリスが気づく。他はビルが思い知る)共に「模範的な夫婦」というわけで、だけど妄想したり、火遊びしたくなるよね、と。ムラムラするよね、と。だからそうなったときは、ただ「F*CK」すればいいのよ、とアリスは締める。言い出しっぺはお前だろ、と言いたくなるような気もするが、まあ、夫婦喧嘩とはそういうものか。
ムラムラしたら、ただ奥さんとF*CK。すっきりすれば「賢者」。家族円満。知らなくていい世界は知らなくていい。
それができたら、困りゃしねえ!!てな。
うーん、人間だねえ。
追記
「F*CK」
「MAKE LOVE」とかじゃなく、乱暴な「F*CK」である理由を考えてみた。
これは完全のオレの妄想だが、ベースは「時計じかけのオレンジ」にあると思っている。
あれも行って帰っての冒険のお話ではある。
「暴力」は本能的で、いかに矯正しようが、そのラストは貴婦人たちが見守る中、「MAKE LOVE」とは決して言えない「F*CK」を繰り広げて、「治った」と言って締める。
「貴婦人」は取り繕った知性、気品、人間の知性。その見守る中、欲に塗れた、ほぼ「暴力的」なセックスを繰り広げる。
人間の営みとして、「F*CK」のほうが正しい、ということか。
仮面を剥ぎ取る
キューブリックは真面目な変態なんだと改めて思った。
ビルは、妻・アリスが旅先で偶然あった男に欲情したことにショックを受け、その事を空想しながら、一夜の「逃避行」をする。
ビルは、その「逃避行」で患者の娘や商売女らとファックしそうになる。けれどやらない。なぜか。それは結局ビルがアリス以外の女を愛していないからだ。
ここに本作の真面目さが現れていると思う。本作は裸体が頻繁に現れ、後述する儀式シーンやセクシュアルな主題のために、性的に奔放な世界観と思いがちである。だがラストシーンのアリスの象徴的なセリフのように、「あなたを愛している。だからファックする」という原理が本作の根本にはある。つまり「好きな人としかセックスをしない」という極めて正常で真面目な世界観なのである。
ビルが迷い込むあの儀式とは何だろう。参加者は仮面で顔を隠し、「愛」ーキスの素振りが儀礼行為化しているのを確認できるーを儀式化し、ファックするあの儀式は。きっとあの儀式は「ファックするためにファックする」世界なのだ。ファックできれば誰でもいいから、仮面で顔を失い、誰でもない他者とファックする意味を儀式化した「愛」で偽る。
仮面を被った女が「戻ってこれない」といい、身代わりになるのは、この儀式の際限なさと空虚さゆえだろう。参加者は性的欲求に従ってファックをするが、そこには他者も愛もない。事後には欲求の解消はあるが、再び欲求は現れてしまう。だから悲しい。参加者は「ヤり過ごす」ことしかできない。
すると「あなたを愛している。だからファックする」というのは大事なことであり普通のことではあるが、実際に行うのは難しい。ビルとアリスもなんとか夫婦生活を「やり過ごす」ことはできていたが、それは夫婦という仮面を被った状態でもある。序盤の知り合いがほとんどいないパーティーシーンで夫婦の体裁を繕っているのがその象徴だ。だからパーティー後のビルとアリスのセックスは、「愛しているからファックする」のではなく、「夫婦だからファックする」故にルーティン化されたものなのだろう。
「あなたを愛している。だからファックする」ためには、どうすればいいのだろうか。それは「おっぱいをみるのではなく、顔をみること」なんだと思う。ラストシーンが儀式シーンのようなスペクタル性に富んだものではなく、ビルとアリスの顔にクローズアップしたショットで構成されているのはそのためだろう。夫と妻という仮面をクローズアップによって剥ぎ取り、顔をみる。顔をみれば会話が始まり、「あなたを愛する」ことも始められる。そうすれば大事な「ファックする」ことができる。
ビルとアリスはあのあとファックするのだから、私たちはまず仮面を剥ぎ取ることから始めなければならない。
事前期待が大きすぎたのだ。
※2024.10.24修正
アカデミー監督賞はノミネート4回で、受賞歴ありませんでした。
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1999年公開のアメリカ映画。
監督:スタンリー・キューブリック
原作:アルトゥル・シュニッツラー『夢小説』(1926年)
脚本:スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル
主要キャストは以下の通り。
【青年医ハーフォード・ビル】:トム・クルーズ
【ビルの妻アリス】:ニコール・キッドマン
原作は100年近く前の幻想譚で、基本設定は映画も同じだが、後半部は映画のみのオリジナルな展開。
スタンリー・キューブリックの遺作(公開前に亡くなった)で、しかも、トム・クルーズとニコール・キッドマンというビッグカップルの豪華共演、
ということで、話題性は超抜群だが、
「それしかない」という辛辣な評価も多いのは事実だ。
スタンリー・キューブリックは、
4回ものアカデミー賞監督賞にノミネートされた伝説の監督だが、処女作から本作までの48年間で、わずか16作品しか撮っていない。
◆前作の『フルメタルジャケット』から、自身最長の12年ものブランクを経て製作されたこと、
◆キューブリックが「私の最高傑作だ」と語ったと伝えられたこと、
◆撮影時間が400日を超えギネス認定されたこと、
などの要素が積み重なり、当然のように、全世界の事前期待値はMaxを超えていた。
この時点で、興行的に成功したとしても、
高い評価を得るハードルは、エベレスト級に高くなってしまっていた。
酷評するほどの失敗作ではないと思う。
トム・クルーズを前面に出した幻想譚としてみれば、
アクションシーンのない作品として、ファン必見だろう。
事前期待が大きすぎたのだ。
さまざなノイズを可能な限り除去して、
私なりの評価を試みるなら、☆3.0。
セックスのことで頭がいっぱいの大人の夢冒険?
クリスマスツリーや星形の装飾が沢山...その意味がわかれば怖いらしい?
医者のビル(トム・クルーズ)、医者らしいことしてる場面は少ない...女性の胸専門医?
妻のアリス(ニコール・キッドマン)がビルの嫉妬を引き出そうとする...妻は単純に激しいファックを望んでいるだけ?
ビルは、妻以外とセックスするチャンスが多いのだが、いつも未遂...真面目な男?
秘密の仮装パーティーに興味を持ち、強引に参加するも、お呼びでないのがバレて裸にされそうになる...命が危ないらしい?
身代わりになった女性の安否を確認する...詮索してどうしようというのだ?
ビルは仮装パーティーの仲間には入れてもらえない...その理由は何故だろう?
無くした仮面がアリスのもとにある...誰かが届けてくれたのか拾ったのか?
ビルはアリスに全てを打ち明ける...二人の関係が変化する?
ラスト、お店で7歳のヘレナが誘拐されて行方不明になる...誰が連れて行く?
良い夫婦の火遊びか?
良いカッコいい旦那と、美しすきまる妻のココロのかな、
を繊細に表現。
キューブリックの遺作か??。
少し、時計じかけのオレンジてきな雰囲気があってもよいのでは!。
どうなるのか?と楽しんで観ました。
ハンサムドクターの大冒険w
トム様のファンでありながら、全く観る機会がないまま公開して25年後に無事映画館で観ることができました(…とは言っても、残りわずかなところで非常ベルの音😭…座って最後まで見ればよかったと思うくらい、何もなかった)。
トムとニコール、世界屈指の美男美女カップル、しかも2人とも最高に美しい時代だったから、目が幸せ過ぎました♪
こんなに美しいのに別れちゃうのか、そういえば、ブラッドピットとアンジェリーナとか、ジョニーデップとアンバーハードとか、共演したカップルが別れるのは枚挙にいとまがないけど、ニコールは割と長く続いた方だし、やっぱり残念だなぁと思いながら観てました。
トムの演技が酷評されてましたが、トムってあんなにカッコイイのに基本的にストイックで遊ばないし、食事も専属のシェフのものしか食べないと聞くし、プレイボーイみたいな役柄、あまり乗り気ではなかったのかな?しかも、台本もわかりにくいから、トムもどう演じていいか、途方に暮れてなかったのかなぁ。
それか、ニコールへの愛も冷めきってたから、夫婦愛を確認するような演技に集中できなかった?まさかトム様ほどの名優が不可能な演技なんてないだろうけど、やっぱり基本トムの生真面目さが端々に現れてたような気がしました。
それにしても2人とも甘いルックスすぎて、共演者がみんな目がハートになってたの、わかる!www
作品はよくわからなかったけどw、知的なみなさんのレビューで、あーそうなんだぁ…と思いながら解釈しました。いつも助かります♪
こわっ!
ほんとに裏社会ではこんな秘密結社があるのか?だとしたらこわっ!そして、あったとしてもあんま興味なし!
怖すぎて、恐る恐る観進めた。
この映画を撮ったためにキューブリックが直後に死んだかもしれんとか、尚更こわっ!
あと、独身の自分には、夫婦の心情みたいなものは正直全然響かず!残念!
24年前の1999年
トム・クルーズもニコール・キッドマンも当然若かったです。
二つ折り携帯電話も懐かしかったです。
時代は流れて、二人は離婚しましたが、映画はずっと残りますね。
スタンリー・キューブリック作品は、『2001年宇宙の旅』が良く分からなくて苦手と思っていましたが、
昔に『時計仕掛けのオレンジ』と『シャイニング』もみていました。
本作は、意味不明だけどなんだか良い『時計仕掛けのオレンジ』とストーリーのある『シャイニング』の中間のような印象を受けました。
どの作品も原作があるようで、特別に監督が変わっているわけではないのでは?と感じました。
今回、ル・シネマ渋谷宮下で特別上映があると聞き、見てみて良かったです。
今の自分には解読できないが、キューブリック監督による重要なメッセージが隠されている様に感じた
スタンリー・キューブリック 監督による1999年製作(159分)のアメリカ映画。原題:Eyes Wide Shut、配給:ワーナー・ブラザース映画。
表面的には、倦怠期の夫婦の再生を描いていたのはまあ理解できたが、キューブリック監督作品である。本当のところ、何を描いた映画か大きな謎が、自分には残ったままである。
夫婦で行ったパーティにおいて、八芒星(五芒星も一箇所あった)が、バック映像でやたらと強調されていた。妻を誘惑しようとしてたのがハンガリー人であったことを含めて、分かる方には分かるある秘密の組織?の関与を暗示しようとしている様にも思えた。
女性2人(ヌアラ)に連れて行かれそうになった場所、「虹のふもと」(where the rainbow ends)とは?やばそうなイメージだが、何を表現してしているのか?NUALAというスペルも強調されている様に感じた。アイルランド系の名前の様だが、何かを伝えたい様に感じた。
トム・クルーズが仮面等を借りた貸衣装屋Rainbow、あの経営者と幼く見える娘(リーリー・ソビエスキー)、前日のまともな言動とは異なり、翌日には売春業に手を染めてしまった様に思えたが、これは何を象徴しているのか?
妄想的なイメージとしては、「Over the rainbow」 に出演しスターとして大人たちから搾取されたジュディ・ガーランド の姿、即ち金になると分かった途端少女をハードに稼がせるハリウッド映画界そのもののアコギな姿を糾弾している様に思えてしまった。
カラフルなクリスマスツリーが、クルーズ宅だけでなく、招かれたパーティ会場や娼婦(ビネッサ・ショウ)宅を含めてあちこちで登場する。翌日の娼婦宅(彼女の友人がいた)では、ツリーは半分しか写っていなかったが、何かの象徴なのか。そして、秘密の儀式が行われていたお屋敷にはクリスマス・ツリーは全く無し。これは、非キリスト教の宗教的集まりを示している?
クルーズが家に帰った時、ベッド上で妻ニコール・キッドマンの横に置かれた仮面、それは誰が置いたのか?自分には全く謎なのだが、出だしに行方不明の夫の財布のありかを妻がきちんと分かっていたことや、娼婦宅での電話のタイミングの良さもあり、隠したつもりの場所からキッドマンが仮面だけを抜き出して置いたのか?
そして、最後、クルーズ家の一人娘ヘレナはおもちゃ売り場で、老紳士2人に連れ去られてしまった様に、どうしても見えてしまう。驚かされたのだが、あの儀式を行なっていた組織の関与を暗示している様に見えてしまう。
キューブリック監督は医者の家庭に生まれたと聞く。自分には三度見でも解読不能だけれど、感覚的には、キューブリック監督が自身の体験に基づき、この映画を通して幼児誘拐も行う様な危険な組織の存在に警告を発している様に感じられた。
家の中の多くの絵や家具類等、隠れたメッセージが多くありそうで、また、数年経ったら、是非もう一度見直して見たい。
監督スタンリー・キューブリック、製作スタンリー・キューブリック、製作総指揮ヤン・ハーラン、原作アルトゥール・シュニッツラー、脚本スタンリー・キューブリック、 フレデリック・ラファエル、撮影ラリー・スミス、美術レスリー・トムキンス 、ロイ・ウォーカー、衣装マリ・アレン、編集ナイジェル・ゴルト、音楽ジョスリン・プーク。
出演
トム・クルーズ: ウィリアム・ハートフォード、ニコール・キッドマン: アリス・ハートフォー、シドニー・ポラック、マリー・リチャードソン、ラデ・シェルベッジア、トッド・フィールド、ビネッサ・ショウ:ドミノ、アラン・カミング、スカイ・ダモント、フェイ・マスターソン、リーリー・ソビエスキー、トーマス・ギブソン、マディソン・エジントン。
スチュワート・ソーンダイク:Nuala
いまいちわかんないや
Tクルーズの友人らしきピアニストとの会話
・「まだ医者やってんのか?」「昔から言うだろ、一度やったら辞められない」
→ そういう事って多いですよね
・「何で(医師志望を)辞めたのか不思議だったんだ」「途中で投げ出すのが好きなんだ」
→いいですね、個人的に痛快な返事でした
N.キッドマンはパーティーでスケベおやじの誘いを上手に断っていたけど、このスタートはかなり退屈でした。それはT.クルーズが先輩ドクターのスケベ相手を治療してたから、上品な挨拶とは裏腹に「実は行きずり目的のパーティー」と皮肉めいた点がキューブリックらしいと思ったからです。今回の「らしさ」は合わないかも...と不安になりながら観ていた。
帰宅後「あの娘としたかったの?」とか「昔、私は...」とか部屋で言い争ってるが、結構な時間使ってる。退屈だ。
「どういう最後になるか心配してたのよ。死ぬことより」
先輩ドクター?が亡くなった時に娘さんが言っていた言葉です。どういう人生を歩んできたか...そう捉えることはできる。
娼婦、貸衣装店、タクシードライバーと随所で「金持ち」アピールする主人公。
そして「仮面の時間」は長~い。。。まぁ前半のパーティーと同じく「行きずり」という点は共通してるのでしょうが、何を伝えたいのか私にはわかりません。
後半はピアノの音を中心にセリフは少なめにし、ジワジワ夜遊びのツケが来る展開は雰囲気あって悪くなかった。
みんな遊んでる。程々にしようね。納得いかないかもしれないけど、お互いバランスが大事だよ。
あるいは、夫婦に隠し事は良くないよ。そんな意味合いなんでしょうか。
テンポは遅めだったので、考えながら観れる余裕はありましたが、今回のキューブリックは「らしい皮肉」があまりわかりませんでした。
ニコール・キッドマンがエロい
要はクルーズ夫妻が結婚記念日に撮影したポルノ映画。そしてポルノ映画を監督したのは映画界の巨匠スタンリー・キューブリック監督。最初は悪趣味な企画だと断ったが映画界の巨匠スタンリー・キューブリック監督に頼まれると断る訳にはいかずに渋々許可した。ニコール・キッドマンのヌードがエロい、そしてスレンダーな体型に惹かれる。
個人的に好き
必要以上にエロいと思うからマイナス★したけどオチへの繋がり、登場人物の連なりはなかなかの気持ちよさ。
仮面で隠される素顔、曝け出される体、秘密の大切さと言わないことで起こる軋轢。暗喩が散りばめられてて見終わった後じっくり噛み締める楽しさがあった。
主人公を窮地に陥れたのは妻の暴露への対抗心から生じた衝動で、妻に素直に嫉妬を告げず悶々とした結果慣れない火遊びをして命の危険に。でもその妻が自らの本心を曝け出しすぎた発言から繋がってるから曝け出すことが一概に良いとも言えないし、、、
彼を様々な危機から救ったのが劇的な偉業とかじゃなく、当たり前だったり何気ない判断の連なりから来てるのが何だか個人的にすごく良かった。
その小さな判断を謝らないでこれるかが真っ当かそうじゃないかの分かれ道と思われて何か救われるものがありました。
結局最後、必要なのは肉体言語ですわ〜!との結論にええー?!ってなるけど、まあ、そうね、うん。と納得して見終わりました。
面白かったし、トムクルーズがめちゃくちゃカッコよかった。顔がいいは強い。
相変わらずのキューブ君
2001とか蜜柑物語とか、この人の映画はわかる人が本物、といったマニアの踏み絵になっているようですが、この映画もキューブ君だって知らないで見たら中途半端な意味不明映画ですね。まあ私はそれほど嫌いでもないので3点つけましたけど、それでも本筋に全然関係ないような人や事件が出てきてはその後現れず、観終わると結局あの人なんだったの?みたいなモヤモヤがたくさんありますよ。モヤモヤが気にならない人や自分なりに決めちゃうタイプの人にはいいんでしょうが、ちゃんと最後まで面倒みてよ的な人にはストレス残ります。クルーズ夫妻も出てるんで、典型的な話題先行型作品です。
大人のメリーゴーランド。
場末のサーカス、移動遊園地…。
どこか怪しげで、でも楽しそうで、つい誘われてしまう世界。
”恋”が”愛”に変わり始める頃の夫婦。
一本気で、仕事にやりがいを感じ、さらなるアッパーを狙う夫。
専業主婦としての幸せは感じつつも、”女”としての自分を確かめたくもなる妻。
そんな二人の心の交差点。
そこに怪しげな儀式が加わり、サスペンス風な味わいも…。
二人の絆がどうなってしまうのか。どころでなく、命の危険まで?
幽霊の正体見たり枯れ尾花なのか、見ざる聞かざる言わざる案件なのか。
確かにR-18指定も納得の場面あり。
ニッコールさんはやたらにポルノチック。媚態を尽くし、あらゆる手管で、監督を?観客を誘っているよう。狙いを定められた的になったように、その魅惑から逃れられない。シチュエーションが家庭だし、見ている設定が夫のビルだから妻に見えるが、まるで娼婦の如く。
それなのに、その他のR-18相当の場面でさえ、ちっとも官能的でない。
トム様も、他の映画(『ファーム』や『バニラスカイ』等等)でのセクシーさに比べたら…。一本気で唐変木な男を演じているから?
監督は、演者の演じ方を、監督の思うとおりに演じるように細かく指示を出し、撮り直しされると聞く。『博士の異常な愛情 ~』でジョージ・C・スコット氏にも何度もやり直しさせたと読んだ。そうすると、この映画でのトム様の演技も監督の指示にがんじがらめになって、自由に演じさせてもらえなかったのだろうか?だから、まったくセクシーでない?
天才と称賛される監督だけれど、実はロマンチックな場面は苦手なのかな?
キューブリック監督作品鑑賞三作目(『2001年宇宙の旅』『博士の異常な愛情 ~』)の私がこんなことを言うと、監督信者から非難されそうだが、
監督の性癖が露呈しているとしてしか思えない。
3度出てくるバスルーム(洗面所)の場面なんて、「家庭のリアルを切り取っている」という人もいるが、映画の筋からは必要不可欠な場面ではない。それでも映像化したいのは、キッドマンさんの、そういう普通なら他人にはさらさない場面を、監督が見たかったから映像として撮ったように見えてしまう。
キッドマンさんに関しては美しくて眼福だけれど、そういう、このシーン必要?というシーンだらけ。
白黒のベッドシーンも、映画に採用されなかったものも含めて、執拗に撮ったと、ある本で読んだ。まるで覗き穴から見ているようなシーン。
窃視症?
不愉快になる…。
そして、監督が言ったとされる言葉。
「この映画は最高傑作」「この映画は〇〇がダメにした」
『2001年宇宙の旅』の時にも言っていなかったっけ?〇〇にはデュリア氏の名前が入っていたようなことをどこかで読んだ。さすがに『博士の異常な愛情』では、相手が大物過ぎて、「〇〇がだめにした」なんて言えないだろうが。
肥大化した自己と、失敗した時の責任を取りたくなくて誰かに押し付けたい、胆のちっささ。
ある意味、完璧主義の、孤高の天才であればこそなのだろうが。
テーマや筋は興味深い。
理解が一筋縄ではいかないところも、後を引き、何度も鑑賞しなおしたくなる。
でも、『2001年宇宙の旅』や『博士の異常な愛情』に比べると、映画のための映像より、監督の性癖による映像が前面に出てしまったような気がして。
う~ん…。満点にはならない。
それでも、一本気な夫の暴走物語として、トム様から目が離せない。さすがだ。
<蛇足>
アラン・カミング氏は、この頃からルディだった。
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