わたしの季節
劇場公開日:2005年9月3日
解説
滋賀県野洲市にある重症心身障害児(者)施設、第二びわこ学園。1966年、重い障害児に対する専門施設として、西日本で最初に開設された学園である。1968年に第二びわこ学園が開設され、それから40年近い月日が経った。2000年、新築移転計画が動き出したときに映画制作の話が持ち上がり製作されたドキュメンタリー。
2004年製作/107分/日本
配給:協映
劇場公開日:2005年9月3日
ストーリー
123人が生活する第二びわこ学園には、日々123通りの1日がある。お風呂に浸かり、一点を見つめて物思いにふける顔。小雪がちらつく中、手をつないで散歩する姿。器用にちぎった新聞にくるまって笑顔を見せる瞬間。学園で飼っているロバのそばに寝転んで大あくび。ラジオ体操の曲に合わせて鼻歌交じりに腕をぐるぐる…。学園の日常が次々と映し出される。そして、学園設立当時の8ミリフィルムが挿入される。みんながまだ幼かったころだ。あれから約40年、それぞれの季節を重ねて来た。しわの寄った顔、白髪交じりの頭、ゆっくりとした足取り。明光志郎(みょうこう しろう)さん(48)の場合。志郎さんは8歳のときに学園にやってきた。ある日、志郎さんと父(81)、学園の担当者による三者面談が行われた。障害者が自治会を組織して生活している施設に移ることを希望し、施設を見学した志郎さんに対し「行ってしまえ。そのかわりもう子どもでも親でもない」と怒る父。息子との話し合いはいつも平行線だ。父は頑固なのではない。息子のことを思う気持ち、学園への信頼がそう言わせている。自宅から2、30メートルほど歩くと、学園のそばにそびえる三上山が遠くに小さく見える。「あのふもとに息子がおる」。父は毎日、そこまで歩み出て、じっと眺めている。七里大輔(しちり だいすけ)君(13)の場合。いわゆる重症児のB君が周囲の呼びかけに応える方法は、眼球をくるりと動かすこと。大輔君は学園に併設されている養護学校に登校し、名前を呼ばれると目で返事をする。大輔君は生まれてすぐに人工呼吸器を必要とし、8年間、大学病院で暮らした。母(44)は「せっかく人間に生まれてきたんだもの 地球のいいとこ感じてほしい」と、第二びわこ学園を希望した。毎日面会にやってきて、お風呂の日には、職員と一緒に大輔君の入浴を介助する。職員との世間話、大輔君に話し掛ける母の声はいつも明るい。今はまだ、大輔君の外出には医師の付き添いが必要だ。でも、いつかはうちに連れて帰って一緒に暮らしたい。それが母の願いだ。そしてまた、学園で暮らす彼らを思う家族たちにも季節は巡る。新築移転した第二びわこ学園から、次々と現れる人たち。小走りに、ゆっくりと、車椅子で、移動ベッドで、みんなカメラに向かって進んでくる。学園にやってきたばかりの人、40年近くいる人、学園に来て才能を伸ばした人、自分の意志で学園を出て行こうとする人。新しい季節がまた始まる。