「ルールその1、スクラップ・ヘブンのことは口にするな。 「あの映画」を日本が作ると、やっぱりセカイ系になっちゃうのね。」スクラップ・ヘブン たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ルールその1、スクラップ・ヘブンのことは口にするな。 「あの映画」を日本が作ると、やっぱりセカイ系になっちゃうのね。
復讐代行を請け負う2人の男が、だんだんと危険な領域へと足を踏み入れてゆく様を描いたクライム・サスペンス。
監督/脚本は『69 sixty nine』の李相日。
人生に不満を覚える警察官、粕谷シンゴを演じるのは『誰も知らない』『パッチギ!』の加瀬亮。
奔放な性格のトイレ清掃員、葛井テツを演じるのは『パッチギ!』『メゾン・ド・ヒミコ』のオダギリジョー。
粕谷の上司である庶務係の係長、嶋田を演じるのは『スワロウテイル』『パッチギ!』の光石研。
捜査一課の刑事、薮田を演じるのは『Shall we ダンス?』や『ウォーターボーイズ』シリーズのレジェンド俳優、柄本明。
「想像力」という言葉が本作のキーワードである。
村上春樹が著したオウム真理教信者・元信者へのインタビュー本「約束された場所で underground2」(1998)には、村上と心理学者・河合隼雄との対談が収録されており、その中には麻原彰晃の作り上げた「悪しきストーリー」に対抗するだけの「ワクチン的物語」を社会が用意できなかった事がオウム真理教の拡大、そして地下鉄サリン事件を引き起こしたのではないかというやりとりが収められている。では、このワクチン的物語を人口に膾炙するにはどうすれば良いのか?本作は、それには各個人の想像力こそが必要なのだと逆説的に説く。
地下鉄サリン事件から10年後に公開された本作は、その出来事をメタファーとして扱っている。
本作における問題提起、つまり国民1人1人の「想像力」の欠如こそがオウム的なる「悪しきストーリー」を呼び寄せるのではないかという事は、むしろ、溢れ出る情報が想像の余地を埋め尽くさんとする現代にこそ強く響きはしないだろうか。
粕谷の貧弱な想像力は悪しきストーリーとして暴走を始め、やがて制御不可能なテロリズムへと発展、最終的に世界は彼の想像力の及ばないものへと変容してしまう。
そんな世界をあてどなく彷徨う彼は、ついに爆薬による自死を選ぶのだが、彼はそれすら完遂出来ない。想像力の埒外に置かれた彼は、もはや死すら選ぶ事が出来ない無力な存在なのだ。
コメディにも似たシニカルなエンディングが不思議な余韻を残す作品である。
「想像力」の必要性を説く作品だが、映画自体が想像力に満ちているとは言い難い。ストーリー、主役2人の関係性、ファッション、メッセージなど、誰がどう見てもこれはただの『ファイト・クラブ』(1999)。オダギリジョーがブルース・リーの真似をするブラッド・ピットの真似をし始めた時にはその臆面のなさに頭を抱えてしまった🌀
正直、終盤までオダギリジョーは粕谷が生み出した想像上の人物だと思っていたんだけど、流石にそれだと『ファイト・クラブ』そのまんますぎるか。でも本作のテーマから考えると、彼は実在していないという方が収まりが良い気がする。
映像面は北野武の模倣。雰囲気は『池袋ウエストゲートパーク』(2000)といった感じで、はっきり言ってオリジナリティのカケラもない作品である。90年代後半〜2000年代前半の退廃的な空気感はパッキングされているが、もう少し独自性を見せてほしかった。
『ファイト・クラブ』の完全なパク…模倣であるが、オリジナルが資本主義の破壊という外側にベクトルが向いている作品だったのに対し、本作は登場人物の内側に矢印が向いている。いつの間にか大規模なテロが発生していたり、異常に強力な爆薬が登場したりと、外部はほとんどハリボテで、大切なのは主人公の内面描写。
『ファイト・クラブ』を日本で作るとセカイ系になっちゃうというのは、良い悪いは別として、なんとも興味深い。みんななんでこんなにセカイ系が好きなんすかね?