「君の名は」雲のむこう、約束の場所 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
君の名は
新海誠監督の「想い」を知りたくて仕方なくなった。
監督名で作品を探した。
彼の初めての長編もの。
ここにも明確な「君の名は」までの軌跡を確認できた。
物語になくてはならないものの一つと言ってもいいのが「恋愛」なのだろう。
新海監督の場合、「スピード」のような非日常の中で出会った男女ではなく、100%純粋なまま出会ったモノのカタチを表現している。
原型となったこの作品に込めているのは「サユリを救うのか、世界を救うのか?」どっちが大切なのかということだろうか。
世界は、文字通り世界だが、「私の世界」は「サユリを救うこと」だった。
この途方もない天秤こそ、監督が目指した「真実」なのかもしれない。
さて、
サユリとタクヤとヒロキ
この3人組という型
おそらく3人ともモテるはずだが、この3人という枠を形成すると、そこには明確な恋愛感情がなくなる。
そこにあるのは純粋な夢で、ヒコーキベラシーラを飛ばすことと、ユニオンの塔まで行くこと。
しかし、その約束した日以来突然消えてしまったサユリ
消えてしまった約束
見失った目標と、新しい生活 別々の道
先の戦争、つまり太平洋戦争で南北に分断されてしまった日本という不思議な設定
そこに隠されていた並行世界の謎解きの設定
このSFが物語の原動力となっているが、様々なことが隠されている。
サユリの祖父が設計したというユニオンの塔とサユリの睡眠の理由の解釈は難しい。
米日軍とユニオン軍 南北分断理由と開戦理由
並行世界と宇宙の夢と予知夢の関係
そもそもこの並行世界の解釈 当時はパラレルワールドと言わなかったのだろうか?
その不確かなものに対する「心」という言葉では明確化できないもの。
確かなものは目に見えるこの世界ではなく、目に見えない心で感じる世界こそ確かなものではないのか? と、監督は言いたいのだろう。
これが新開監督が作品を作り続ける原動力ではないのかなと思った。
さて、、
この物語では、サユリを目覚めさせることに成功した。
夢の中のサユリは、目覚めることを予期していたので、神様に目が覚めてもしばらくこのことを覚えていますようにと祈った。
そして彼女は、冒頭からいくつか挿入されていた「いつか何かを失う予感」の、「これからなくすものがわかった」と言った。
それはいったい何だったのだろう?
ここはおそらくこの作品で最も重要な部分のはず。
それは「ヒロキへの恋心」だったはずだ。
彼女にとってそれは言葉にさえできないほどの心の揺らぎで、その正体を彼女はずっと探していたのだと思われる。
ヒロキは当時の友情をずっと大事にしてきた。
仮にサユリがベラシーラで告白したとしても、ヒロキにはまだそれを受取る準備は出来ていなかったかもしれない。
そしてその「好き」という感情は、言いたかったことを忘れようが、必ずすぐに思い出すことになるのだろう。
そのお互いのタイミングこそ「神の仕業」なのかもしれない。
この物語には敵軍であるユニオンのことは一切描かれていない。
それは情報という意味において流れにくいということだろうが、「神の声」を使わなかったのは良かったと思う。
ただしそこには何かが隠されているはずだ。
あの宇宙エレベータのようなものがこの世界と並行世界を入れ替えているというのも不可思議な設定だったが、彼らはそれで何がしたかったのだろう?
それは、争いのない世界へ行きたかったのではないかと思ってしまう。
あの塔の爆破は並行世界への扉を潰し、この世界を維持し、サユリを目覚めさせたことがよかったように描かれていたが、実際にそれは何を意味したのだろうか?
タクヤはこの世界を救うと思い込んでいたが、本当に戦争のない世界にしたいと望んでいた蝦夷の希望、世界の希望を破壊したのではないのかとも思ってしまう。
この「実は」という部分がこの作品の魅力なのかもしれない。
いずれにしても、「私の世界」とは、この一般的な世界ではなく「私の見る世界」のことで、それはこの世界と「サユリ」とを天秤にかけてしまうだけの「価値」を、「私自身」が持っているということだろう。
この壮大な設定と物語
わからないことも多く、このSF設定の是非は残ってしまった。
しかしやるだけやらないことには、答えなど出るはずもない。
夢と現実との出会い
君の名は のまずめどき
このファンタジー的な邂逅に監督は現実を重ね合わせようとしたのだろう。
そんなことが、あるに違いない。
物語の原点
単純に面白かったし、考えさせられた。
あと何本か彼の作品を見ることで、彼の心の中の「La-la land」がわかるような気がした。