「殺し屋vsのび太はカット」映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
殺し屋vsのび太はカット
超空間事故によってのび太の部屋の畳とどこかの宇宙を漂流する宇宙船の扉が繋がってしまうところから本作は始まる。日常と非日常がシームレスに接続されるワクワク感でいえば本作がピカイチな気がする。
宇宙船の持ち主であるロップルとチャミーは未開の新惑星・コーヤコーヤ星に住み着いた開拓移民。とはいえ彼らはアメリカ人のように木々を燃やしたりインディアンを殺したりといった手荒いマネはせず、自然との調和の中で生活を送っている。彼らが一年に一度やってくる大洪水をあくまで年中行事の一環として甘んじて受け入れているあたりからもそのことは明らかだ。
しかし開拓移民たちより後に市街地にやってきた悪どい巨大企業・ガルタイト鉱業は、開拓移民たちが住まう地区に点在する鉱石ガルタイトの独占を目論み、あらゆる手段で彼らを排除しようとする。暴力はもちろんのこと、人質を取ったり殺し屋を雇ったりとマジでやることがえげつない。
開拓移民たちはドラえもんやのび太たちのことを「スーパーマン」と呼び、彼らに助けを求める。なぜスーパーマンかというと、コーヤコーヤ星は地球に比べて重力が非常に小さく、のび太が繰り出す軟弱パンチでさえ暴漢を一発KOできるほどだからだ。
のび太は開拓移民たちのために戦うことで、地球世界では決して満たされることのない自己肯定感を存分に満たす。のび太とコーヤコーヤ星の間に結ばれていたものが、果たしてロップルたちとの純粋な友情であるのか、はたまた共同体防衛とちっぽけな自意識の等価交換であるのかが不明瞭なあたりが怖い。
唯一残念だった点があるとすれば、原作において山場となる殺し屋ギラーミンとのび太の射撃一騎打ちのシーンが丸々カットされている点だ。ギラーミンはただならぬヴィランぶりを見せつけた割にはあっさりとした最期を迎える。
良くも悪くもラストバトルがヌルッと終わるという展開は以後の劇場版ドラえもんにおいても引き継がれていくことになる。物語の初動でいえば『クレヨンしんちゃん』以上なんだけどな…