海がきこえるのレビュー・感想・評価
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コドモな里伽子と、大人な拓
え、「海がきこえる」トップにある…
いま渋谷で上映してるんですね。
行こうかな。大大大好きな作品です。
何十年レベルで観ていないけど、記念に思い出しレビューします。
勘違いしてる所あったらごめんなさいm(_ _)m
東京生まれ?育ちの里伽子は、親の都合で母方の実家なのかな?高知に引っ越し、転校。
親の都合というのは、父親の不倫?だっけか。
家族愛を受けることが出来ず、東京も好きだったけど、仕方なく田舎へ行かなくてはいけなくなった里伽子は、当然不本意だし、馴染もうとする気はなかった。子供なのだと言われてるような気にもなったかも。でも、父親からの愛情を欲する里伽子は、どんなに背伸びをしてもコドモ。「私は東京の人間よ?」と、高知の人たちから一線を置こうとする姿勢と、またワガママぶりが、切なくいじらしくかわいい。
拓は、逆に純朴で気遣い屋で、とても大人。里伽子のワガママに振り回されるのが楽しそうだった。しかし、里伽子のコドモさ加減によって、里伽子が拓の親友「松野」を傷付けた事は、拓は許せなく、里伽子と拓は口をきかなくなる。松野はその一件で、拓自身も里伽子に惹かれていた事に気付き、また同時に拓は自身の恋よりも、親友に気を遣って身を引いた事に気付く。松野は、拓に遠慮したことを怒り、絶交。拓はなぜ2人から殴られなきゃいけないのかわからず、イミフ状態。3人はバラバラになったまま卒業、それぞれの道へ。
数年後、大人になった里伽子は、拓の大きな愛に包まれていたこと、自分はコドモだったと自覚するほどに成長。拓は、同窓会の知らせにて、過去に思いをめぐらせ、高校時代、里伽子に惹かれていたことをやっと自覚し、松野が怒った理由も理解する。そして、里伽子と拓、大人になった二人は再会。やっと2人の物語がはじまる―。というところで、エンド。大人になった、といっても振り回されるんだろうな、そうでもないのかな、というニヤニヤ余韻に浸る。
「女の子」は、ワガママなのが本当にかわいいと思う。かわいいと思えるのは、受けとめてくれる拓がいるからですが(*´∀`*)
この作品は恋愛もののジャンルですが、ヒトの成長が繊細に描かれていて、
「この感情わかる〜」「あるある、わかる」っていう共感がハンパないです。
私が初めて観た時は、理香子たちと同じ高校生でした。その時の感想は「わかるッ、いじらしいなぁ、くっついちゃえよぅ」と、なりました。
おばちゃんとなって今振り返ると、更に加えて「そうやって人は大人になっていくんだね〜」と、ヒトの、大人への階段をのぼる過程が愛おしくなりました。自分も誰しもが、そんな時間を持っているんだなぁそれが「青春」の時間なのかも、と思いました。
ん〜、、、けど、自分の「青春」を愛おしくは思えないかも(笑)まだ私は若い(幼い)のかな(笑)それ以前に、納得のいく結末に出来なかったから、の気がするけど。まぁそれも含めて「青春」なのかも。
そんな、自分史をもつい振り返ってしまう作品(笑)
いつ好きになったのか考えてみた (-ω- ?)。あと、〇〇〇ちしたときの心情。
感想
最後に第2章の始まりを予感させる終わり方だったので良かった。
だけど高校の時は何で上手くいかなかったのだろう。別に2人の間にあらがうことの出来ない運命の障壁が立ちはだっかてた訳でもないのに。
まったくヤレヤレだぜ ┐(-。-;)┌
(おわり)
以下の駄文は自分用の備忘録。
●まず、杜崎はいつ里伽子を好きになったのか。
・(その1) 杜崎、里伽子の笑顔にほだされる。
僕の結論は、ハワイで里伽子にお金を貸した出来事の時から杜崎は里伽子を好きになったと思う。
ただし、杜崎本人はまだ無自覚かもしれない。
里伽子が杜崎にお金を貸してと頼んできたとき、お互いが言いたいことをぶつけあい、イザコザが起きるるのだが、このときの一連のやりとりが、2人の距離を縮めたと思う。
大ざっぱにこんな感じ。
お金を落としたから貸してほしいと言う里伽子に、杜崎が高知弁で答えると、里伽子は、「高知弁て時代劇みたいね」と言う。
そして高知弁が聞き取れなくて何度も聞き直してるうちに、すっかりクラスで浮いてしまった心情を吐露する。
そのあと杜崎が、現金は2万円までのルールを何で守らないんだと里伽子をを非難すると、
里伽子は、「そんなの誰も守ってないわよ、杜崎くんてセンセイみたいなこと言うのね。 まるで優等生みたい。(松野くんから)聞いたのと違うわ、ガッカリ」と言い、ムッとした顔してプイっと顔をそむけてしまう。
杜崎 「おまんの東京弁もケンカ売っとるようじゃ」
里伽子「(東京弁が)ケンカ売ってるなんて言われたのは(杜崎くんが)初めてよ」と言い、自分の東京弁がここではケンカ腰に響いてたんだと初めて知る。
里伽子が、時代劇みたいなんて言ったことを謝罪し杜崎と和解する。
要するに、本音と言う程のものではないのかもしれないが、お互い言いたいこと言いあって、仲良しになったのだと思う。
杜崎が母親に「岡崎さんて子に親切にしてあげなさいよ」と言われてたのもあるが、顔見知りの女子に頼りにされて嬉しかったのは間違いない。
さらに杜崎が里伽子に引かれた要因としては、
・ お金を貸してもらえると分かった時の、
パッと輝いた里伽子の笑顔
・ 手を合わせて拝むような仕草がカーイイ
・ シャツの下が水着だったので胸の谷間に
ドキドキした
・ 2人だけの秘密ができて嬉しかった
っていうか、これ、杜崎の気持ちじゃなくて、もし僕だったらそう思うという話ですハイ (^^)。
しかし、ここで杜崎の気持ちにブレーキをかけたのが親友の松野の存在である。
杜崎は松野に誤解を与えないために、里伽子と話していた理由を話してしまう。さっき里伽子に誰にも言わないでねと念を押されてたのに。まあ、松野に見られちゃったんだから、誤解をうまぬよう話すしかないわな。
里伽子よりも松野との友情が優先である。
だけど里伽子に「言わないでねって言ったのに、もう松野くんにしゃべっちゃったのね。杜崎くんておしゃべりね」とツンツン言われムカつく杜崎くんであった (^^)。
●杜崎はいつ里伽子を好きになったのか。
・(その2) 杜崎、里伽子の涙にもほだされる。
高知空港から東京旅行の間のどこかで、杜崎は里伽子を好きだと意識したと思う。だけど僕には明確にどこかは分からない。
同情が愛情に変わったのかもしれない。
空港に呼び出された杜崎は、里伽子の涙にほだされて気勢をそがれ、言葉につまる。
落ち込む里伽子に杜崎が「一緒に東京へ行こうか」と提案する。
喜んだ里伽子の笑顔に、またも杜崎はほだされる。
まったく (´~`)
東京のホテルに飛び込んできた里伽子に胸で泣かれ、杜崎は里伽子の涙にほだされる。
ヤレヤレ ┐(´~`; )┌
杜崎は、「東京の大学に行こうと思ったのはこの東京旅行の時だった」と語っている。里伽子はきっと東京の大学に行くだろうから、自分も里伽子と同じ東京に住む気満々だ。
●では、里伽子はいつ杜崎を好きになったのか。
里伽子が杜崎を好きになったのは、東京のホテルで朝起きたとき杜崎がおフロで寝てるのを知ったときだと思う。
正確には好きというより好感度がアップしたという感じで、恋愛感情は、ほぼほぼ無いかな。
このとき里伽子は「杜崎くんて、ちょっといいな」と思ったとおもう。
「なにもソファで寝ればいいのに、ふふふ」ってなもんである。
実はこれは映画を見て、そう解釈したとか読み解いたのではなく、僕がもし里伽子ならあそこで好きになる(好感度が上がる)だろうなという話だ。。
東京に来てからの里伽子は、他に話す相手もいなかったせいもあるが、パパ、パパの女友達、元カレの悪口や愚痴を杜崎にぶつけて、高知にいたときより杜崎に気を許しているように思えた。
ハワイと高知空港ではまだ「いいお友達 (都合がいいお友達?)」だったと思う。
◆里伽子と杜崎が平手打ちした理由。
全て衝動的に平手打ちしたので、理由というよりも、その時の2人の心情を考えてみた。
まず最初のやつから。
前提として杜崎は里伽子が好きで、おそらく里伽子もそれを気付いてると思う。
だから、里伽子は自分よりも松野との友情を優先した杜崎への怒りと松野に対する嫉妬で杜崎に平手打ちをした。
里伽子を呼び出した杜崎と里伽子の会話。
杜 崎 「お前が松野に変なこと言うから、こっちは迷惑してる」
里伽子 「なによ」
杜 崎 「お前は最低じゃ」
パシッ × 2 (里伽子 ⇄ 杜崎)
里伽子 「ずぶん友達思いじゃない」
上の会話の 「変なこと」 と 「迷惑した」 は2つある。
・ 同じホテルで一泊したなんて「変なこと」言うから、松野が誤解して友情が危うくなって「迷惑した」
また
・ 高知弁の男は対象外なんて「変なこと」言って松野をふるから、友達の松野が傷つき成績が落ちて「迷惑した」
次に文化祭の時の2発目のやつ。
里伽子は、あんな吊し上げは自分で対処できるが、好きな杜崎には止めに入ってほしかったのに何もしなかったからムカついた。
さらに、杜崎は里伽子のこと好きなのに、これまた1発目同様、松野との友情を優先したから頭に来た。
里伽子は心のなかで「私はあなたが好きなのヨ」ってな感じで平手打ちをしたのだと思われる。
ただ、ここまでの展開で里伽子が杜崎を好きだと思えるような明確な描写があったとは思えないから、確信は持てない。
▩ジブリ作品はあまり見てない。宮崎 駿監督の作品は2つ。引退するというので見た「風立ちぬ」(20)と、2020年にコロナで新作が減ったのでリバイバルされた「風の谷のナウシカ」(1984)。
高校時代の感覚が瑞々しく描かれる。
93年のジブリの青春アニメ。当初はテレビ向けに作られたとか。
題名は聞いたことはあったが、今回初めて鑑賞。
アニメながら、カーチェイスも爆発もアクションシーンもない。ありきたりな日常が淡々と描かれる。
全編画面がフィックス(固定)での画面構成で、ゆったりとしたカット割で、丁寧に描く。
高校時代の淡い恋心から大学生になってのラストまでを描く。
淡い感動があり面白かったが、やはり同じ頃の「おもひでぽろぽろ」(91年高畑勲監督)と比較してしまい、ちょっとつまらない気持ちになってしまった。
が、なんとも捨て難い。高校時代の感覚が瑞々しく描かれていて、ラストも美しい。鑑賞後感は、暖かい気持ちになって終わる。
ラストはそれまでフィックスのみだったカメラがパンをする。そこには彼女が…。
この映画のファンが根強くいることがわかる。
演出が原作の味を生かせてない
ひとことで言うと、演出がダメ。
とくに女性の声が軒並み甲高く平板な一本調子で、
ニュアンスなんてあったもんじゃない。
だから、
ヒロイン武藤里伽子(むとうりかこ)の危うい魅力が全然伝わらない。
里伽子の声だけでなく、主人公・杜崎拓(もりさきたく)の母親の声も、
原作で「悟りきったように言った」とか「優しい口ぶりだった」とあるところまで
甲高い声の一本調子であるところを見ると、
これは演技の問題ではなく、演出の問題だと言い切っていいだろう。
おまけに、
大事な台詞につまらんBGMをかぶせて引き立たなくしたりしてるし。
それから、
台詞はだいたい原作を踏襲しているものの、
肝心なところによけいなステレオタイプを持ち込んだがために
ありきたりな展開になっちゃってるところがあって残念。
とくに最初と最後。
吉祥寺駅でばったり再会、なんていうご都合主義は、原作にはない。
特殊な因縁で結ばれてた、なんて話じゃないんだから。
しかも、
大学に入った時点で里伽子の家庭の問題は何も解決しておらず、
修羅場はこれからなのである。
それを、都合よく安っぽくまとめてしまった。
あと、映画では、
高校3年生がGWに男女で東京へ行ったことが学校にバレてなくって、
だから親子で呼び出しを食らうこともなく、
それゆえ拓の母親と里伽子の母親が呼び出された学校で会うこともなく
(原作では母2人が、いきり立つ教師の毒気を抜くんである)
同級生の噂話だけで終わったというのも、なんかつまらん。
とにかく全体的に、
原作から出汁の旨みを抜いて
砂糖をまぶしちゃった感。
原作が面白いだけに、残念至極。
四万十川みたいな清らかな青春ジブリアニメ
リバイバル上映に感謝そして、感激(金曜ロードショーでも未放送なので)
ジブリ作品としては宮崎駿が関わっておらず、スタジオジブリ若手主体で制作した氷室冴子原作のアニメ化(駿は試写後酷評したが後に”コクリコ坂から”を作って対抗した)
舞台は高知県高知市。
原作(書籍)を変に改変することなく等身大の高校生の友情と都会からやってきた転校生に面喰い反発しつつも突然の夏の東京旅行、「よさこい祭り」など思春期ならではの揺れ動きつつ少年から青年に成長する心情を描く作品。
娯楽やスマホがない当時、「精神的に成熟し、大人の理不尽を冷静に分析して言葉にして自分の考えを堂々と主張できる」そんな当時の高校生をかなり懐かしく感じる。
冒頭の上京後のヒロインとの再会、喧嘩別れした親友松野との再会と邂逅から物語は高校2年生の回想~卒業後の同窓会、そして冒頭のヒロインへの心情に回帰する。
似たような価値観を抱く松野との友情を生む切っ掛けとその松野の淡い恋心に遠慮して敢えて気づかないフリをする主人公。
松野がフラれて傷付き、ヒロインに義憤を抱き張り手するシーンと文化祭後松野から吊し上げを喰らったヒロインを助けずお茶らけて鉄拳制裁・卒業まで絶交まで「青春だなあ」とジーンとくる。
東京から引っ越してきたヒロインの我儘ぶりは続編の大学編(海がきこえる2)でもさらにスケールアップ。
個性的な学友とのキャンパスライフにウエイトが置かれ、案外面白いので一読されたし(夏目漱石の「坊ちゃん」と似ていて「初夏と海」「思春期の初々しさ」を感じさせる爽やかな読後感が秀逸)
実際高知県を訪れ、夜の高知城や日中の高知駅周辺や市電を目にし、夜は市内の居酒屋で高知弁聴きながらカツオのタタキと鯨ベーコンに地酒に酔い、鳴子を持ってよさこい踊り踊るとこの作品が脳裏を過るくらい。
原作を読みアニメを見ると自分の学生時代を想い出してどこか懐かしさを覚える同窓会みたいなアニメ。
「夏」になると何故か観たくなるジブリ作品の筆頭(イメージだとポカリスエットCM)
読み手が”間(空気)”や”行間を読む読書(国語)力”に乏しいとツマラナイだろう。
「読書好き」には刺さるアニメ。
自分の本心にウソをつく恋愛劇
リバイバル上映で観ました。ロスジェネ世代にはぶっ刺さりまくる作品です。
公開が1993年ですから日銀、財務省、自公政権による失策で「失われた30年」という戦後日本経済が経験する長期デフレによる不況、緊縮財政に突入した年に公開された因縁のジブリ作品なのです。
私は同じ時代に高校生かつ、幸か不幸かリアル三角関係を経験してしまった。
結論から申し上げますと杜崎 拓と武藤 里伽子は相思相愛だったのです。
拓の親友 松野 豊が里伽子に惚れてしまって杜崎が遠慮して身を引いたのですが密かに里伽子に惚れていた。ここには三角関係のブースト効果があって、杜崎と松野はブロマンス関係なのですが松野が好きな人は杜崎にもブーストが掛かって不思議と魅力度数倍増しになります。隣の芝生は青く見える効果といいますか里伽子に杜崎も惚れてしまいます。松野から電話が掛かってきてスリッパの毛を弄る描写からも松野を応援して盛り上がるはずがトーンダウンしてしまう杜崎の心情は友情>恋愛を心に決めているのです。物語は杜崎のモノローグが入りますが観客側は誘導されて杜崎の表層心理しかあらわしてしかいません。
杜崎が里伽子に惚れた瞬間はテニスコートで里伽子がスマッシュを打った時ですね
男性脳は結構単純で異性に対して一目惚れ的なのです。男性脳はまんべんなく女性が好きで減点方式なのです。ただ杜崎は里伽子のことを特異な視点で見ることになる。廊下の成績発表で里伽子のことを幸薄そうだと山尾に漏らしていたのが里伽子の変なところばかり見て減点にならない。東京旅行の付き添いも好きな女の子に対する典型的な男子の反応です。何も思っていなければ絶対高知空港まで行きません。
里伽子は元はどんな子かと言えば、東京成城のゆるふわお嬢様だった。
これが分かるシーンはティールームの岡田との会話から友達と彼氏がくっついても軽いノリ
だった。それが父親の不倫で高知に来て戦うお嬢様に変貌した。まるで毛並みのいい元飼い猫が、手負いの野良猫になって虚勢をはって懸命に生きている。
家庭の事情を知る杜崎に一瞬心を許したシーンがあって、成城のお嬢様らしからぬ脚を開いてベットに座った時ですね。本音を打ち明ける里伽子。しかし、GWの東京旅行から帰ってきたら里伽子は杜崎の事を無視します。だって高知では一人戦闘モードで虚勢を張っていないと負けてしまうからです。松野の告白に対する酷い仕打ちも里伽子が高知で一杯いっぱいでキャパシティに余裕がなく、闘っている私に告白する無神経さに強烈な拒絶反応が出た。東京では上手くいっていた学校生活が高知の学校生活で上手くいかないのは全部「高知」が悪いという認知バイアスにハマってしまったのです。
論理的には杜崎も松野も同じ高知弁喋る男ですから嫌いなはずである。
高知弁喋る男は嫌いという失言で杜崎まで傷つけてしまった里伽子。杜崎は松野を傷つけた怒りでビンタをかましますが、報復措置のビンタに僕は傷ついたという意味が入っています。それを「随分友達思いじゃない」と言って好意的に里伽子は返します。普通は「女に手をあげるなんて最低よ」と反撃します。里伽子は「もういいでしょ」と切り上げます。里伽子は杜崎を買っているんですね
里伽子が杜崎の事を好きになっていくのは、松野から杜崎の評価とバイトで働いているカッコイイ姿を見た時からでしょう。お金を貸してくれたり、東京まで付き添ってくれたり、見栄に付き合ってくれたり、家庭の事情を知っている典型的な理解のある彼君だった。また、問題やミッションを次々と解決していくのに快感を覚える男性脳の持ち主が杜崎だった。
女性脳はまんべくなく男性が嫌いで0点から加算方式で人を好きになっていくので「好き」の起こりが分かりにくい。その証拠につるし上げ後に杜崎にビンタをかましますが、あのビンタの意味は「なんで助けてくれなかったのか」と助けて欲しかった里伽子の気持ちが入っています。何も思っていない相手にビンタなんてかましません。里伽子は元は成城のお嬢様、ロマンチストで「好きな人には助けてもらいたい」欲求があった。つるし上げに泣かなかった里伽子が泣きそうな顔をしていたのに驚く杜崎。その顔を見て里伽子はみるみる湧いてくる感情の渦に呑まれて涙を流します。杜崎の事が好きなのだという感情に戸惑いその場を立ち去ります。
松野が杜崎をサウスポーで殴る意味は数年後語られますが、里伽子に振られた自分に遠慮していまだに義理立てしている杜崎にムカついたから殴ったのです。松野は本来の杜崎なら里伽子を助けるはずだと信用しているんですね。それをしなかった理由は杜崎が里伽子を好きで、松野に遠慮して里伽子を助けなかったと気がついたからです。杜崎は自分で松野に里伽子が泣いた理由をつるし上げで泣いたんじゃない、自分が助けなかったから泣いたんだとペラペラとしゃべってしまった。女が泣くのは男に情愛があるから泣くのであって、そこには深い感情がある。杜崎ほどの男子がペラペラと「生意気じゃ」「ちっとは懲りたろうよ」と悪くいうのは特定の女子に好意がある場合がほとんどです。その証拠に男子が特定の女子の悪口を言っていた後付き合ったりする。
また、松野は杜崎と里伽子が相思相愛で、それを邪魔をしていたのは自分であると気づかなかった憤りがあった。それを解消して杜崎と仲直りするまで時間が必要だった。
実際三角関係は修復できない可能性が高いです。私の場合は友情を失い、恋はフェードアウトしました。松野と杜崎は特別ですね。杜崎のように完全に身を引くという高度な技は高校生には無理なので、ポロポロ漏れてしまっているのがカワイイですね。実際無理です。恋のさや当ては先に当てたもの勝ちです。高校生は大人と子供が混じっていて当人たちは脳内のホルモンバランスが乱れて辛いのです。高校生特有の殺伐とした感じがリアルですね。
里伽子は杜崎の事を好きでも絶対に認める訳にいかない。それは里伽子が今まで張って来た虚勢と矜持と言動のため。対して、杜崎も里伽子の事を好きでも親友のため絶対に認める訳にはいかない。これは自分の本心にウソをつく恋愛劇だったのだ。
けっこうよかった
りか子が人を平気で利用するひどい女で、絶対に距離をおくべきだ。高校生くらいだといくらか常識がおかしいところもある時期だけど主人公は人が良すぎる。りか子にビンタされた後、親友にグーで殴られて平気でいる。りか子に最初にビンタされた時にやり返したのが面白い。
りか子がクラスメイトに囲まれてつるし上げられても一歩も引かず責め立てる方を泣かすところはかっこいい。
修学旅行がハワイであるとなんでもないことのように描かれていて、まさにバブルで今のこの景気の悪い日本とは大違いだ。
しかしそもそも上位の進学校の話で、頭の出来もすごい。ヤンキー高校出のオレには伺い知れない世界だ。
最後の最後、中央線ホームでりか子がしおらしくお辞儀していたのだけど気づかいできるようになったのだろうか。だとしても自分本位のヤバい女だという警戒心は抱くべきだ。
海がきこえる
YouTubeで思い出がいっぱいのMVとして使われていたのでどんな映画か、気になって市川市妙典の映画館に足を運んだ。
土佐弁が以前に繰り返し見た『この世界の片隅に』に似てる。
昔、四国に本社がある会社に就職したことがあって、高松市に研修に通ったことがあるので、東京からいきなり転校して高知の高校に放り込まれた理香子の心境は共感出来る。
帯屋町のアーケード街も高松市のアーケード街に似ていてとても懐かしい雰囲気。
設定が県内トップクラスの進学校で卒業したら東京や京都の大学に進学していくレベルなので、進学校の雰囲気もちょっぴり味わえる。
杜崎と森野の関係が一つの軸かな。
なんで杜崎が理香子を引っ叩いたのかの謎が映画を観て解けた。
ホントに杜崎って森野が好きなんだね。
懐かしい感じの話だった。
・とても爽やかな話に見えた。高校も建物の雰囲気がよさそうなところだった。六時半にアニメを放送してたり懐かしい感じが凄くした。
・修学旅行をやめますっていう事でもめるっていうのが興味深かった。今だったらありえなそう。でも、当時はよくあったんだろうか。
・中年になってみているせいなのだけど、武藤のお父さんも離婚したんだし、生活を一新してても何も悪くないでしょうと思った。当たり前だけど娘が子供っぽすぎるなぁって思った。お父さんが軽い人みたいに見えなくもなかったけど武藤のお母さんがどんな人だったかとかによっては印象が違ったんじゃないかなぁとか思った。その後、東京の時の彼氏とあって失望したりその時はいい人に見えたとかいう話が何だかわからなくもないと思った。環境が変わると途端に身近だった人たちが赤の他人に感じられてしまう感じ。と同じなのかはわからないけどそれに近いと思った。
・当時の懐かしい風景や缶ジュースとかの絵がきれいだなぁと思った。
・松野が優しすぎて、かわいそうになった。武藤に対して冷淡な態度ばかり受けていたのにそれでも好きだからっていう事で接してたのに。武藤も後から人づてに後悔していると言っていたけども。同窓会で、清水が狭い所にいたからという理由でいがみあっていたように思うというような話をしていて、どこの環境でもそうだなぁと思った。
・大半が回想で驚いた。
・まとめると自分には縁遠い話だなぁという印象だった。学生時代にこういった体験に近いような経験をした人たちにははまるんだろう。冒頭のバイトのシーンで多分、杜崎が午後も出られますって言っといて急に帰りますって言って帰っていったんだろうなぁっていう店主?の不機嫌さの方が、年なのか共感できた。呼び出した松野も転校してきた武藤って子が気になっている事を間接的に相談するためで用事っていえないような用事で後日でもいいじゃんって思ったのも年のせいか。初見が高校生とかだったらまた違った感覚だったのかなとか思った。
宮崎駿監督は、なぜこの映画を認めなかったのだろう
ただ一回、この映画を見た私の感想。まず、設定がどうかと思った。製作者たちは、バブル期の東京の若者たちの青春を、高知に持ち込んでいる。
主人公の杜崎拓は、なぜ自由にできるお金をあんなにたくさん持っていたのだろう。地方の進学校の高校生、通常、バイトも許可が降りないはず、もちろん、カードなんて使えず、現金だけの時代。バブル期の東京の情景を映しているとしか言いようがない。彼は、東京の(おそらく)私大に進学してからも、帰省はいきなり飛行機だし。
高校の修学旅行にハワイはよく聞くけど、都市部で系列大学への進学が約束されているところに限られるだろう。普通は、語学研修がせいぜいか。
作画は、予告編を見た時には、ジブリそのものと思ったけれど、実際には、女子たちの描き方が、やや類型的。肝心の二人目の主人公、武藤里伽子は、吉祥寺駅のホームの姿が一番良かった、だけど、高校時代の姿との連続性が弱かった、とても、地方の進学校で、いきなり良い成績を取るようには見えなかったし。母親に連れられて、泣く泣く高知に来たとしても、母から離れて一人下宿なんて、家事の上でも、財政的にも非現実的。高校生たちに土台になるリアリティがなければ、ストーリーで飛翔し、カタルシスを味わうことなんて、できっこない。
三人目の松野豊だけは、地方の奥手の秀才で、卒業後、京都の国立大(おそらく京大)に進学したことも、よく納得できた。杜崎が、最初に帰省した時、それまで仲違いしていたはずなのに、なぜ、松野が迎えに行けたのか分からなかったけど。おそらく、杜崎の家は、裕福で、田舎とは思えない開放的な家庭だったのだろう。
ストーリーも、結局どうということはなかった。でもたった一つ、良かったところも、終盤、松野に指摘されて、初めて、杜崎の抱いていた思いが、武藤里伽子への恋心であったと、気付かされる。特に、里伽子が、同性にもいえないような秘密を、杜崎には、初めから打ち明けていたことが、連続的にリフレーズされる。それにしても、それまで60分もあって、ただただ退屈だった。動きもないし。タイトルの意味も、最後まで明らかにされることはなかった。
私は、ジブリの同系列だったら、宮崎吾朗の「コクリコ坂から」が好きだな。朝食を作るときのリズムとか、よく思い出す。
こんな時代があったなと思う
大人のようで子どもだった年頃。自分をよく見せたいと思ったり、誰にも頼らないと強がったり、背伸びをしていたりしたあの頃。誰にもそういう時があるよね。
ジブリのキャラクターらしくないという声があるけど、それはジブリのキャラクターが特別なのであり、里伽子はどこにでもいる普通の人だから。
男のくせにとか、女には分からないとか、未成年が飲酒や喫煙をするシーンがあり、こういう時代だったなと思い出す。文化祭の後の打ち上げで、コークハイや缶チューハイ飲んでいたよね。店も未成年と分かっていて酒を出していたし、見回りの教師は、「帰りが遅くなるなよ」と言って見逃してくれて、そんな時代だったな。今では絶対にありえないけど。
少年や少女が大人になる前の、ちょっと危なっかしい年頃の空気感があった。ただ、時間が短く、里伽子の家庭事情や母親との関係などがよく分からない。ジェンダーやコンプライアンス等、現代の設定に直して、映像も脚本も作り直すとよいと思った。ジブリが若返り、若手の製作者が活躍するきっかけにしてほしい。
高校生の未成熟さ
登場人物はみんな、自分の感じたことや気持ちにまっすぐだな〜と思いました。
高校生ならではの未発達さや未成熟さがあり、他人の気持ちに十分な配慮ができないことが原因で軋轢が生じていました。
りかこは強い芯を持っており、土佐の全体主義にも染まらない強さがありましたね。
一方、自身の家庭が複雑で気持ちが不安定になっていたのでしょうか、杜崎くんを振り回したり松野くんに酷いことを言ったり、他人に配慮できない一面もありました。
ただ、まだ10代だし自分の気持ちに折り合いをつけて他人とうまく付き合っていく、なんて簡単にはいかないですよね。
あとはもう土佐弁たまらない。たまらない!言い回しにドキドキしてまいます。
ジブリの人物はとてもとても魅力的ですよね〜。
個人的には杜崎くん派でした。かわいくて素直でシュッとしててかっこい〜!クラスにいたら絶対好きになってしまう。
放課後、運動部の声が響く無人の教室や、男女で分かれている体育の授業で気になる子をチラチラ見る感じ。
高校生たのしいね!当時の気持ちを少し思い出しウキウキしてしまいました。
杜崎、がっかりだぜ
リバイバル上映で令和7年にして初めて鑑賞しました。
杜崎、、松野への気持ち分かるよ、、と思ってたら
最後に武藤が好きとか言い出して大横転。
それまでは星5でした!!!
合わなかった
ノスタルジックな空気感はとても好きだったが、キャラとストーリーが合わなかった。
私は普通に感情移入できて分かりやすいストーリーのほうが好きなので、我儘すぎるリカコがなぜ松野にも杜崎にも好かれたのか理解も納得もできず、そのモヤモヤを引きずってしまった。
納得はできなくてもいいんだけど、理解はできるように、「あ〜この瞬間に好きになったんだな」と分からせてほしいんですよね。リカコの我儘さを上回るような魅力を描いてほしかった。
結局、性格なんて関係なく、美人だから好きになったってことですかね?
だってリカコの振る舞い、美人じゃなかったら普通に終わってるじゃんと思ってしまった。これは私が女性目線だからで、男性から観たら「そりゃリカコ好きになっちゃうよな〜」と杜崎松野に共感できるんでしょうか。
松野は大人っぽくて落ち着きがあって、とても魅力的な人だと思った。こんな聡明そうな人が顔だけで好きになるというのもイマイチ納得できず。まあリカコに他の魅力を感じてたのかもしれないけど、それが描かれてないからモヤモヤしてしまうんですね。
レトロ感がとても良い
とても懐かしい。
胸がキュッとなった。
懐かしすぎて、あの頃に少し戻りたい気持ちにもなり、目がうるんだ。何十年も、こんなに時間が過ぎてしまったのだな…としみじみ。
ジブリ作品、知らなかった。
1993年、日本テレビ開局40周年記念番組として製作されたテレビ向けのスペシャルアニメ。
よくこの淡々としたストーリーをテレビで放送したなと思う。万人うけはしなかったのでは?私はとても好き!この作品を好きな人は、きっと細やかに人の感情を思いやったり、感情移入しやすい人なのではないかしら?表面的な出来事だけではなく、行間を読む…みたいな。
あの頃、SNSがあれば、もっと広がったかもしれない。あの時代に生きていたのに、私はこのアニメを全く知らなかった。だから、今回リバイバル上映を観ることができて、本当に良かった!原作本も読んでみたくなった。
レトロ感が良い!現代のアニメはとても美しいことに驚かされるけれど、このアニメのレトロな雰囲気、リアル感のない背景も、それがまた良い!サッカーのシーンでピクトグラムに出てくる人のような物が動いてるのも、違和感なく見れた。
このレトロ感。懐かしさ。
ああ、遥か遠い、高校生の頃を思い出す。まさにあんな感じだったな。
今のように携帯もLINEもない。
連絡は家の電話、外からは公衆電話。
スポンサーの関係だろうけど、
スプライトとカセットテープ。
先生と生徒のやりとり。
親友との会話。
体育の時間や部活で、好きな子を目で追うこと。
くだらないことで仲間はずれにされる(高校ではなかったけど、中学生の頃はあった)。
でも卒業して少し大人になると、あの頃は懐かしくて、ケンカしたり嫌いだったり、そんなことどうでもよくなること。
昭和の高校生はビールもタバコも経験していたこと。体育祭や学祭の打ち上げで、飲食店で普通にビール飲んでた。家でも。
そして、女の子はコークハイ。
初めて口にするビール以外のアルコール、コーラとウイスキー。里伽子がコークハイで真っ赤になってるところ、可愛かったな♪
ああ…懐かしい。
里伽子が松野に、
「高知も嫌いだし、高知弁喋る男も大嫌い!まるで恋愛の対象にならないし、そんなこと言われるとゾッとするわ!」
と言った時は、うわっ、ゾッとするは傷つくよ〜って思ったけど、そこも10代っぽいなと思った。簡単に傷つく言葉を使ってしまうし、ちょっとしたことで傷つく。いろいろと免疫がついていないし、いろいろと浅はかだ。
里伽子のワガママさは、10代だからこそ!複雑な環境でとてもナイーブなのだ。いろんな受け取り方があるだろうが、この感覚がわからない人と私は本当に感性が違いすぎるんだろうなとしみじみ感じる。
高校生の頃、自分はもう大人だと思っていたけれど、やはり考え方はまだまだ子供だったなと今は思う。10代の頃の身勝手さや子供っぽさ、なんであんなにこだわってたのだろう?とか、そんなことを思い出させてくれる、とてもナチュラルな映画。
拓が里伽子にビンタされた時、お返しに里伽子をビンタするところは嫌だった。「ゾッとする!」はひどいだろ!って里伽子に言ってほしかった。それに、どういう状況であれ、女性に手を挙げるのはいかがなものか。私は嫌だった。現代ではそれも、男とか女とかの男女差別になるのだろうか?
東京のホテル。
私が初めて東京に遊びに行った時、母と2人で泊まったホテルが新宿のハイアットリージェンシーだったから、懐かしい!ってなった!部屋の窓が足元まであって、新宿の高層ビルに囲まれ、東京ってすごい!って思った。夜景がとてもキレイだった。夜中にルームサービスで母と食べたお茶漬けがとっても美味しかった。
何もかも、遠すぎる思い出。
書き留めておかないと、忘れてしまう記憶…。
そんなことを思い出させてくれた映画だった。
里伽子の標準語と高知の方言の対比がとても良い。ちょうど朝ドラ「あんぱん」の舞台が高知で、方言が親しみがある。男性の使う「〜にゃ」が好き。かわいい♪
標準語って地方の人からすると、なんとなく冷たく感じる。温かく感じる方言。主人公の描写にも上手に重なって。なんで、高知弁をバカにしているという感想になる人がいるのか…?バカになんてしてないよ。人物像とストーリーととてもマッチしているのにな。
ああ、このいろんな想いを書き留めたいけど、うまく書けない。ただひとつ、私は好きな映画だったということ。
曲もとても良い!サントラ聴いてます!
ケータイやSNSで便利になった現代に生きるこのアニメの中の登場人物の年代の若い人たちは、どのような感想を持つのだろう?
このアニメを大きなスクリーンで観ることが出来たことに感謝。
ありがとうございます。
PG12
昨年渋谷での初鑑賞以来2回目
原作未読
原作は続きがあるとのこと
1970年代後半から1990年代前半くらいに高校生だった皆様懐かしく感じると思います
携帯のない時代の距離感
淡い恋心も告らないで卒業して離れてしまえばそれまでって感じとか
杜崎拓と親友の松野豊そしてお騒がせマドンナ武藤里伽子の高校2年から大学1年までの青春
◎吉祥寺駅
(スカラ座オデヲン座といった映画館の看板も見えている)
大学1年の杜崎はホームで里伽子(似た女性)を見かける
そして高知に帰省するところから物語は始まります
◎高校2年
里伽子が両親の離婚で東京から転校してくる
松野は彼女に一目惚れ
杜崎は親友を取られたみたいで面白くない?
(どこかの時点で杜崎も彼女が好きになる)
里伽子は目立つ存在でクラスの女子の中で浮いてしまう
3月のハワイへの修学旅行中に杜崎は里伽子に騙され?6万円貸す
◎高校3年
里伽子と杜崎は同じクラスになるがお金は返ってこない
里伽子は友達(小浜)ができる
5月の連休に杜崎は里伽子に道連れにされ成り行きで東京へ
彼女は父親に会うために母に内緒で計画していた(6万円の使い道)
だが別の女性と暮らす父親に失望した里伽子はホテルの同じ部屋で杜崎と一泊することに
彼女が酔っ払ってベッドで寝てしまい杜崎はバスタブで寝不足の一夜
2人の東京旅行は噂になり気になる松野は彼女に確認したが悪態をつかれる
そのことを知った杜崎と里伽子は喧嘩になり平手打ち各1発
学園祭に非協力的な里伽子が清水達クラスの女子と揉めるが杜崎は仲裁に入らない
それに気がついた里伽子は怒って平手打ち
それを知った松野は怒ってグーパンチ
気の毒な杜崎君
そして卒業
松野は京都へ杜崎は東京そして里伽子は高知大学(のはずだった)
◎大学1年高知
杜崎が高知空港に着くと松野が車で出迎えた
松野が殴ったことを謝る
松野が怒ったのは杜崎が自分に遠慮して里伽子への想いを抑えていたから
そして「同窓会」居酒屋でドンチャン騒ぎ
当然全員未成年なので今なら無理
(だからPG12なのか?)
里伽子は来なかったが清水と小浜の2人が里伽子にたまたま会って話をしたことを知る
そして里伽子が東京の大学に進学したこと
東京で会いたい人がいることを知る
会いたい人は「お風呂で寝る人」だとも
◎吉祥寺駅
(「紅の豚」の看板も見えている)
ホームで再会する2人
会釈する里伽子を見て自分の気持ちを再認識する杜崎
さて2人の東京物語はこれから?
という感じでエンド
「ジブリらしくない」と聞いて観ることにしたのですが
確かに自分好みの作品でした
素直になれない。登場人物の青さにあの頃を思い出す。
美人な転校生、彼女に惚れる親友、そして何故か彼女と接点を持ってしまう主人公、この物語の中でとても大きな出来事はないけれど、彼らの生活や会話が愛おしい。お金を貸してという里伽子の胸元に視線をやってしまう主人公、
里伽子に惹かれている親友にやきもきする主人公などとてもリアルで丁寧に描かれていたように思う。当時は素直になれなかったけれど時を隔てて自らの世界が広がったから見える景色がある。彼らの物語はこれからも続いていく。
そんな事を思わせてくれる。清涼感があった。
傑作!ジブリっぼくないヒロインが魅力的!
この作品が初めてTV放映された当時、私は社会人一年目でした。たまたまですが、リアルタイムで視聴できてます。
個人的にはバブル崩壊で景気が急速に萎む中、タイミング的にギリ就職出来て良かったと安堵する一方、この作品に確かに存在する眩しく美しくしかも尊い青春は、高校、大学通じて結局、印象的なものは特に無かったなあ・・・としてはいけない比較をし、その壮絶過ぎるギャップに頭がクラっとした記憶があります(笑)。
そもそも、普通高校で男子校ってのがあり得んだろうが・・・って今でも故郷の教育制度を逆恨みしてます(笑)!
話が脱線して申し訳ありませんでしたが、確か後にソフト化されレンタルビデオ?できちんと再鑑賞してから、その名作、傑作っぶりに改めて驚愕した記憶があります。なんで劇場公開しなかったんだろうと不思議にも感じました。今思えばその理由は、おそらく未成年の飲酒シーンとビンタとかグーパンとか安易な暴力描写でしょう(笑)。
そして今回、なんと初見から32年後にリバイバル上映で初めて、私にとって趣味の本丸である映画館で鑑賞した次第です。
当方の歪んだ青春から生じる思い出補正の作品の美化をまず疑いましたが、実際鑑賞したらむしろその逆でした。見落としていたこの作品の素晴らしいポイントが何個も再発見されたのです。
特にその演出面、カメラワークですが素晴らしかったです!画面構成含めて非常に細やかで繊細な演出がなされていて、キャラ表情の変化や動きに「派手さ」はなくても、そのシチュエーション、心情がダイレクトに心にじわっと伝わってくるイメージです。昨今の音楽やらなにやら過剰にブーストして、演技は大声で泣き喚けばいいみたいな、そんなチープな演出は皆無です。
またヒロイン像もいわばジブリっぽくなくて最高です!
今作のヒロイン武藤里伽子は容姿端麗、文武両道、自身で弁当作ったり家庭的な側面もある当時でいうなら「キャリアウーマン(死語)の金の卵」的存在と思いました。
そしてよく言えば竹を割った様なさっぱりした性格だけど、悪くいえば自己中で協調性はほぼゼロ!彼女の周辺に対して頭ん中の棘のあるワードを意図的に攻撃や拒絶目的でオブラートなしで使うあたり、社会性の欠如や精神的な幼さも想像されます。
彼女は裕福ではあるが複雑な家庭環境で育ち、高校生活の短い期間に将来を決めなければいけない今、その環境は良化どころかむしろ現在進行形で悪化し彼女の理想からどんどん外れていったように思えます。その焦りと不安で精神的に不安定な中、とてもじゃないけど周囲に溶け込む為の労力をさく余裕なんてない・・・と合理的に考えるのは仕方ないかなと、やっと思える境地?となりました。
また彼女を取り巻く甘酸っぱい恋愛模様?以上に、清々しく美しかったのが主人公の杜崎 拓と松野の友情ですね。親友の好きな子があるきっかけから、自分に急接近してきて危い状況になるってのは、都市伝説レベルで存在は確認されております(笑)!しかし、それが仮に自分におこったら理性がもたず無理ですわ・・・どっちも聖人レベルで崇めたいです。
特に松野は本当に偉い!人間出来すぎていて怖いくらいです。私見ですが松野はクラスのリーダー格で一時、里伽子と対立した清水さんがお似合いと思うし最後、居酒屋で良いポジションに居て繋がりそうで良かったと思いました。
各キャラが卒業後、恋愛やら勉強やら将来の不安やら、各自いろんなしがらみから解放されて本音で語り合えてるのがとても安堵感ありました。同窓会は女子は見違えるほど綺麗になり(笑)、その場に居るような高揚感がとても心地良かったですね。
ジブリ作品の中で、男女の恋愛をファンタジー描写に逃げることなく真正面から描ききったという点で、唯一無二の傑作と改めて思いました。
できればぜひ、映画館でご鑑賞ください。
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