海がきこえるのレビュー・感想・評価
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高知弁
昔見逃した…親子で観てよかった
子供達が大学生と中3になり、昔見逃した海が聞こえるを観に行った。子供達、ああいう些細な気持ちの変化とかが感じられる映画が昔はいっぱいあったのかな?昔がうらやましい…と言っていた。学校の焼却炉に驚いた…とか。
私は、見逃した頃、ジブリ大好きだったけどとにかく部活忙しいし時間もお金も無くて無理だった。
海が聞こえるを大人になって観て、必死に学生時代過ごしてた自分を思い出した。何かのせいにしたくない、誰かに足を引っ張られたくない、だから自分でしっかり自分を防御するために考えつつ、部活や勉強、友達関係は狭く深めに、家庭では親と距離をおきつつ…成績は微妙でも、先生は内申ちょっとあげてくれた。多分誰にでもある、学生時代。過去の自分を思い出す、そんな素敵な映画でした…
大人になってから観るとだいぶ印象が変わる
本放送当時も観ていますが、もうそれから30年も経つのか…時の流れは恐ろしいものです
当時自分はまだ中学生で、里伽子わがままだなーとか、クラス女子感じ悪いとか、拓も松野もはっきりしなくてなんだかなーぐらいの感想でした。
大人になって彼らの親ぐらいの世代になり、改めてリバイバル上映を観てみると、当時とは全然違う印象を受けます。
劇中のセリフにある、「狭い世界」で皆もがいてたんだな…
ヒロインの里伽子は両親の離婚で生まれ育った東京から高知に生活を移す。
クラスの女子から見ると、自分たちの世界を乱す異分子以外の何物でもないでしょう。
双方自分の領域を守るため必死です。
これはヒロインの里伽子と、親友の松野の間で揺れることになる主人公:拓も同様でしょう。
言葉もうまく対立構造を際立てる道具になっていて、里伽子だけ常に標準語で他の登場人物は強めの土佐弁。
在学中は最後まで分かり合うことのない関係が、卒業後いろんな所に進学、就職をして「広い世界」に出ることで使う言葉が変わり、互いを認めることができるようになっていく。
主人公の拓とヒロインの里伽子の、甘酸っぱい(というにはかなり激しく衝突しますが)ラブストーリーという見方もできますが、衝突を繰り返しながら大人になるにしたがって世界が広がり他者を許容できるようになる青年たちの成長群像劇、という側面もあると思います。
ラストシーンの改変については、放送尺の関係と映像化に合わせた演出と理解しました。
原作ファンの方はいろいろなご意見あると思いますが、これはこれでいいんじゃないかなという感想です。
よくありがちな青春群像劇
この映画の存在自体最近知ったのでちょっと気になって見ました。
ジブリ作品だけど全然ジブリらしくないと言うか、ごくごく普通の青春群像劇でした。
それが悪い訳では無いけど極めて常識的な範囲で
驚くべき所はないと言うか。
良い青春映画だなって印象。
感動した訳では無いけどこんな感じあったよね、って感じと言うか。
普通に始まって普通に終わったのでこの映画の目的って青春ていいよね?なのかな?
まあ何も特別が無い普通の映画もいいよね。
それにしても…海が聞こえなかった…耳が悪くなったかな?
物語が30年以上前なのでまだスマホどころか携帯電話もコードレス電話も無くてお店によくあったピンクの電話が懐かしかった。よく連絡ついて合流できたもんだと我ながら感心する。そんな時代だったなあ(遠い目)。
物語は1990年初め頃の話。
東京の大学に通う杜崎。夏休みに同窓会の為に故郷の高知に里帰りする。
そして高校時代の思い出にふける。
中高一貫校の私立学園に高校2年の夏と言う妙なタイミングで東京から転校してきた武藤。
杜崎と親友で武藤のクラス委員長をしている松野。
武藤は複雑な家庭の事情で東京から母親の実家のある高知に子供連れで舞い戻ってきていた。
半ば強引に東京から連れて来られた武藤は父親や東京の生活、東京の友達との未練からか学校にもクラスにも馴染めず孤立していた。美人の武藤に恋した松野。そんな松野を杜崎は物好きだなと思っていた。
3人は顔見知り以上の関係では無かったが春休みの修学旅行のハワイ旅行から関係性が少しづつ変わって行く…
PG12
昨年渋谷での初鑑賞以来2回目
原作未読
原作は続きがあるとのこと
1970年代後半から1990年代前半くらいに高校生だった皆様懐かしく感じると思います
携帯のない時代の距離感
淡い恋心も告らないで卒業して離れてしまえばそれまでって感じとか
杜崎拓と親友の松野豊そしてお騒がせマドンナ武藤里伽子の高校2年から大学1年までの青春
◎吉祥寺駅
(スカラ座オデヲン座といった映画館の看板も見えている)
大学1年の杜崎はホームで里伽子(似た女性)を見かける
そして高知に帰省するところから物語は始まります
◎高校2年
里伽子が両親の離婚で東京から転校してくる
松野は彼女に一目惚れ
杜崎は親友を取られたみたいで面白くない?
(どこかの時点で杜崎も彼女が好きになる)
里伽子は目立つ存在でクラスの女子の中で浮いてしまう
3月のハワイへの修学旅行中に杜崎は里伽子に騙され?6万円貸す
◎高校3年
里伽子と杜崎は同じクラスになるがお金は返ってこない
里伽子は友達(小浜)ができる
5月の連休に杜崎は里伽子に道連れにされ成り行きで東京へ
彼女は父親に会うために母に内緒で計画していた(6万円の使い道)
だが別の女性と暮らす父親に失望した里伽子はホテルの同じ部屋で杜崎と一泊することに
彼女が酔っ払ってベッドで寝てしまい杜崎はバスタブで寝不足の一夜
2人の東京旅行は噂になり気になる松野は彼女に確認したが悪態をつかれる
そのことを知った杜崎と里伽子は喧嘩になり平手打ち各1発
学園祭に非協力的な里伽子が清水達クラスの女子と揉めるが杜崎は仲裁に入らない
それに気がついた里伽子は怒って平手打ち
それを知った松野は怒ってグーパンチ
気の毒な杜崎君
そして卒業
松野は京都へ杜崎は東京そして里伽子は高知大学(のはずだった)
◎大学1年高知
杜崎が高知空港に着くと松野が車で出迎えた
松野が殴ったことを謝る
松野が怒ったのは杜崎が自分に遠慮して里伽子への想いを抑えていたから
そして「同窓会」居酒屋でドンチャン騒ぎ
当然全員未成年なので今なら無理
(だからPG12なのか?)
里伽子は来なかったが清水と小浜の2人が里伽子にたまたま会って話をしたことを知る
そして里伽子が東京の大学に進学したこと
東京で会いたい人がいることを知る
会いたい人は「お風呂で寝る人」だとも
◎吉祥寺駅
(「紅の豚」の看板も見えている)
ホームで再会する2人
会釈する里伽子を見て自分の気持ちを再認識する杜崎
さて2人の東京物語はこれから?
という感じでエンド
「ジブリらしくない」と聞いて観ることにしたのですが
確かに自分好みの作品でした
気になっている方はぜひ早めに見ておいて
雰囲気の良い佳作
素直になれない。登場人物の青さにあの頃を思い出す。
美人な転校生、彼女に惚れる親友、そして何故か彼女と接点を持ってしまう主人公、この物語の中でとても大きな出来事はないけれど、彼らの生活や会話が愛おしい。お金を貸してという里伽子の胸元に視線をやってしまう主人公、
里伽子に惹かれている親友にやきもきする主人公などとてもリアルで丁寧に描かれていたように思う。当時は素直になれなかったけれど時を隔てて自らの世界が広がったから見える景色がある。彼らの物語はこれからも続いていく。
そんな事を思わせてくれる。清涼感があった。
ジブリ幻の作品
傑作!ジブリっぼくないヒロインが魅力的!
この作品が初めてTV放映された当時、私は社会人一年目でした。たまたまですが、リアルタイムで視聴できてます。
個人的にはバブル崩壊で景気が急速に萎む中、タイミング的にギリ就職出来て良かったと安堵する一方、この作品に確かに存在する眩しく美しくしかも尊い青春は、高校、大学通じて結局、印象的なものは特に無かったなあ・・・としてはいけない比較をし、その壮絶過ぎるギャップに頭がクラっとした記憶があります(笑)。
そもそも、普通高校で男子校ってのがあり得んだろうが・・・って今でも故郷の教育制度を逆恨みしてます(笑)!
話が脱線して申し訳ありませんでしたが、確か後にソフト化されレンタルビデオ?できちんと再鑑賞してから、その名作、傑作っぶりに改めて驚愕した記憶があります。なんで劇場公開しなかったんだろうと不思議にも感じました。今思えばその理由は、おそらく未成年の飲酒シーンとビンタとかグーパンとか安易な暴力描写でしょう(笑)。
そして今回、なんと初見から32年後にリバイバル上映で初めて、私にとって趣味の本丸である映画館で鑑賞した次第です。
当方の歪んだ青春から生じる思い出補正の作品の美化をまず疑いましたが、実際鑑賞したらむしろその逆でした。見落としていたこの作品の素晴らしいポイントが何個も再発見されたのです。
特にその演出面、カメラワークですが素晴らしかったです!画面構成含めて非常に細やかで繊細な演出がなされていて、キャラ表情の変化や動きに「派手さ」はなくても、そのシチュエーション、心情がダイレクトに心にじわっと伝わってくるイメージです。昨今の音楽やらなにやら過剰にブーストして、演技は大声で泣き喚けばいいみたいな、そんなチープな演出は皆無です。
またヒロイン像もいわばジブリっぽくなくて最高です!
今作のヒロイン武藤里伽子は容姿端麗、文武両道、自身で弁当作ったり家庭的な側面もある当時でいうなら「キャリアウーマン(死語)の金の卵」的存在と思いました。
そしてよく言えば竹を割った様なさっぱりした性格だけど、悪くいえば自己中で協調性はほぼゼロ!彼女の周辺に対して頭ん中の棘のあるワードを意図的に攻撃や拒絶目的でオブラートなしで使うあたり、社会性の欠如や精神的な幼さも想像されます。
彼女は裕福ではあるが複雑な家庭環境で育ち、高校生活の短い期間に将来を決めなければいけない今、その環境は良化どころかむしろ現在進行形で悪化し彼女の理想からどんどん外れていったように思えます。その焦りと不安で精神的に不安定な中、とてもじゃないけど周囲に溶け込む為の労力をさく余裕なんてない・・・と合理的に考えるのは仕方ないかなと、やっと思える境地?となりました。
また彼女を取り巻く甘酸っぱい恋愛模様?以上に、清々しく美しかったのが主人公の杜崎 拓と松野の友情ですね。親友の好きな子があるきっかけから、自分に急接近してきて危い状況になるってのは、都市伝説レベルで存在は確認されております(笑)!しかし、それが仮に自分におこったら理性がもたず無理ですわ・・・どっちも聖人レベルで崇めたいです。
特に松野は本当に偉い!人間出来すぎていて怖いくらいです。私見ですが松野はクラスのリーダー格で一時、里伽子と対立した清水さんがお似合いと思うし最後、居酒屋で良いポジションに居て繋がりそうで良かったと思いました。
各キャラが卒業後、恋愛やら勉強やら将来の不安やら、各自いろんなしがらみから解放されて本音で語り合えてるのがとても安堵感ありました。同窓会は女子は見違えるほど綺麗になり(笑)、その場に居るような高揚感がとても心地良かったですね。
ジブリ作品の中で、男女の恋愛をファンタジー描写に逃げることなく真正面から描ききったという点で、唯一無二の傑作と改めて思いました。
できればぜひ、映画館でご鑑賞ください。
わがまま里伽子の魅力
高知県の高校2年生・杜崎拓の通う高校に、東京から武藤里伽子という転校生がやってきた。勉強もスポーツも万能で美人の彼女は、瞬く間に学校中で知られた存在となったが、里伽子自身は高知の方言が苦手で、周囲になじもうとしなかった。拓の中学からの親友である松野は里伽子にひかれていたが、拓にとっての里伽子は、松野の片思い相手というだけの存在だった。しかし、高校2年の3月、ハワイ修学旅行の際、里伽子にお金を貸した事をきっかけに、拓は里伽子の家庭の問題を知り、それによって2人の距離は縮まっていくかと思われたが・・・さてどうなる、という話。
1993年5月5日にテレビ初放送されたらしいが初めて観た。
絵はテレビならマシだが、という程度で荒いが、だんだんと気にならなくなっていき、里伽子のマイペースな行動の意味は?など、興味深く観た。
高校、大学の頃ってこんなだったなぁ、と思えるようなストーリーと、キャラが個性的で魅力あった。
エンディングで里伽の声優・子坂本洋子の歌も良かった
面白かった。
杜崎拓と武藤里伽子に久しぶりの再会
93年5月5日のこどもの日、何気なくTVを付けた夕刻の出会い。
その日から約32年ぶりとなる今日、杜崎拓と武藤里伽子に久しぶりの再会をしてきました。
ジブリの若手製作陣が宮崎駿さんに試写の段階で否定されてしまった「写真から起こしたアニメ作り」のおかげで一気にあの頃へと戻る事ができました。
導入時の吉祥寺駅から見える映画館の看板、ラジカセにFM雑誌、並んだ公衆電話、建造中の新都庁舎、そしてスプライトのデブ缶に至るまで、細部に渡り再現された時代が本当に心地よく、郷愁で胸が一杯になります。
アニメにも関わらず、ここまで現実的な懐かしさを誘う作品はおそらく本作だけじゃないかと思います。
本作の後、「写真起こし」を否定したはずの宮崎駿さんは実在する聖蹟桜ヶ丘の町を使って「耳をすませば」を完成させていますが、等身大の高校生を描いた本作とは違う畑の作品でしたし、描いている本質の部分が違うため郷愁を感じるまでには至らない作品でした。
古臭いと言われてしまえばそれまでなんですが、あの時代に生きた者たちのリアルが一杯詰まった奇跡のようなアニメです。
毎年、何処かの映画館で上映されているらしいですが、2度とTVでは放映できない作品となっておりますので、この再上映の機会を逃す手はないと思います。
なぜ、今
ジブリ映画のリバイバル?上映です。
懐かしく見てきました。
キャラクタデザインと作画監督の近藤勝也の雰囲気と、バブル期の頃の雰囲気と、
あぁそんな時代ね、と思わせるモノでした。
宮﨑・高畑ではないジブリ長編アニメとしては初挑戦だったように思います。
本来なら、宮﨑・高畑ラインとは別あるいは並行して伸びていく路線だと思っていましたが、この作品で企画に携わっていた鈴木敏夫氏には良くは映らなかったのではないかと推測します。
その後、宮﨑五郎監督の登場まで、宮﨑・高畑ラインは続き、その宮﨑五郎監督も、いわば不発扱いにされている気がします。
高畑監督がいなくなった今、宮﨑監督作品は高尚なモノになってしまい、ジブリに期待するものは一体、何になるでしょうか。
個人的には「海がきこえる」のような作品がどんどん出てくれればいいのにと思います。
しかし、それを鈴木敏夫プロデューサーは許さない感じがしてなりません。
ジブリブランドを、映画から離して、いつまでも宮﨑作品の恩恵にすがるようなグッズやイベントのモノになってしまうのでしょうか。
アニメファンとしては、いつまでもジブリじゃない、と感じつつも、宮﨑ラインではないジブリを見たいと思います。そう強く感じさせてくれる「海がきこえる」でした。
全体的にヒロインに振り回されている
約30年前のスタジオジブリ作品のアニメ映画
リバイバル上映をされていたので鑑賞しました
トトロ的な作品ではなくて
主人公、親友、そして東京から転校してきたヒロインの
ゆるい三角関係みたいな青春物語だと思った
全体的にヒロインが
カネを借りたり、東京に行こうとしたりしている行動に
主人公が巻き込まれていく感じが強い
成績優秀、スポーツ抜群だったがクラスで浮いていて
他の女子とも対立する
地味に親友の告白を断るシーンはヤバい
90年代の作品なので
携帯がなかったり、学校が学力のために修学旅行を唐突にやめたりするのは
は時代的なものかなと思った。
「青春っぽいイメージ」優先の薄っぺらな作品
原作者を始め、製作サイドは、この作品を通じて、「若者の青春とノスタルジー」というテーマを真っ向から描きたかったのかも知れないけど、個々人の反応が淡白すぎて「青春恋愛ドラマ」として成立していない。そういう意味で個人的に共感できる部分が少なかった。
他の方の指摘にもあるように、「離婚してきた訳アリのヒロイン」とか「親友がヒロインを好きになる」という、人物設定がありきたりで薄っぺらい。またその設定を聞いた地点で、誰でもどんなストーリー展開になるかも見当がついてしまう。リアルさを狙ったからか、日常シーンも淡々としているため、主人公を始め、親友もヒロインも人物像が曖昧なままストーリーが進んでいく。
本来は物語の中で、それぞれの人物がお互いに相互補完をしていく事で人物像が固まっていくし、ドラマも発展していくはずだが、この作品では、そこら辺の関係がまるで描けていない。主人公はヒロインのやる事に、ただ何となく巻き込まれているだけで、「自分の意思」といったものが感じられず、最後まで親友やヒロインに対して何をどう思っているのか分からないまま。
親友もヒロインのことが好きだと、序盤からしつこいくらい言っていながら、作中で具体的な行動に出ることもない(と言うか、親友がストーリーに絡んでくることすら、ほとんど無いという扱い)。
また肝心のヒロインはヒロインで、離婚という不幸を盾に自分勝手に振る舞い、主人公達を好き勝手に振り回す始末。そのくせ、二人に対する態度もはっきりせず、これまた何を考えているのか分からない。
そして三人はそのまま卒業。こんな調子なので再会シーンには何の感慨も無く、主人公は相変わらず「やっぱり、自分はこの娘が好きだったのかなあ」と、これまたぼんやりとした結論。
結局、三者三様、自分からは何も動いておらず、かと言って、他人に責任を押し付けたりもしない現代的な個人主義者としか映らなかった。そう見えてしまう脚本構成や人物描写の稚拙さが目立つ作品だった。タイトルの「海」も、ストーリーとまったく関係してないというお粗末さ。 「青春っぽいイメージ」優先の薄っぺらな作品としか言えない。
90年代の時代感・空気感を存分に
この手のジブリ作品は観たことがなかったし、
劇場で観れる機会もそうそうないなと思い、鑑賞した。
90年代の文化ビジュアルが私の年代には刺さる。
FMラジオとかFM雑誌とか特に、自分もよく聴いたし読んでいた。
杜崎と里伽子の恋模様は直接的な言葉ではなく二人の距離感で表現している。
それが良かったりする。特にホテルの1室に一緒に泊まるところなんて
リアルタイムで観ていたらドキドキしただろうな(寝どこは別なのだが、それが後々キーになっているのも面白い)。
ヒロインあるあるの学校での浮き方、
里伽子の言動・行動が突拍子なく感じるが、行動の背景がわかるとなるほど!となる。
ただ、演出かもしれないが里伽子(坂本洋子)のセリフの棒読み感が気になるし、
坂本洋子によるエンディングの歌唱力も気になった。え!?これ大丈夫か!?と思ったもん。
今の季節柄、
夏を感じられるテーマだったり、作品そのものの空気感が
当時だと相当にオシャレな感じがする。
今観ても古臭くは感じなかった。
それにしても、杜崎・里伽子双方のビンタシーンは強烈だった。
これは今のアニメ作品で表現しているものを観たことがない。
これも時代ゆえできた表現なのだろうか。
ラストが実に味のある〆方をしていて、私は好きだ。
今観ると懐かしい写真のよう
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