「宮崎駿監督は、なぜこの映画を認めなかったのだろう」海がきこえる 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎駿監督は、なぜこの映画を認めなかったのだろう
ただ一回、この映画を見た私の感想。まず、設定がどうかと思った。製作者たちは、バブル期の東京の若者たちの青春を、高知に持ち込んでいる。
主人公の杜崎拓は、なぜ自由にできるお金をあんなにたくさん持っていたのだろう。地方の進学校の高校生、通常、バイトも許可が降りないはず、もちろん、カードなんて使えず、現金だけの時代。バブル期の東京の情景を映しているとしか言いようがない。彼は、東京の(おそらく)私大に進学してからも、帰省はいきなり飛行機だし。
高校の修学旅行にハワイはよく聞くけど、都市部で系列大学への進学が約束されているところに限られるだろう。普通は、語学研修がせいぜいか。
作画は、予告編を見た時には、ジブリそのものと思ったけれど、実際には、女子たちの描き方が、やや類型的。肝心の二人目の主人公、武藤里伽子は、吉祥寺駅のホームの姿が一番良かった、だけど、高校時代の姿との連続性が弱かった、とても、地方の進学校で、いきなり良い成績を取るようには見えなかったし。母親に連れられて、泣く泣く高知に来たとしても、母から離れて一人下宿なんて、家事の上でも、財政的にも非現実的。高校生たちに土台になるリアリティがなければ、ストーリーで飛翔し、カタルシスを味わうことなんて、できっこない。
三人目の松野豊だけは、地方の奥手の秀才で、卒業後、京都の国立大(おそらく京大)に進学したことも、よく納得できた。杜崎が、最初に帰省した時、それまで仲違いしていたはずなのに、なぜ、松野が迎えに行けたのか分からなかったけど。おそらく、杜崎の家は、裕福で、田舎とは思えない開放的な家庭だったのだろう。
ストーリーも、結局どうということはなかった。でもたった一つ、良かったところも、終盤、松野に指摘されて、初めて、杜崎の抱いていた思いが、武藤里伽子への恋心であったと、気付かされる。特に、里伽子が、同性にもいえないような秘密を、杜崎には、初めから打ち明けていたことが、連続的にリフレーズされる。それにしても、それまで60分もあって、ただただ退屈だった。動きもないし。タイトルの意味も、最後まで明らかにされることはなかった。
私は、ジブリの同系列だったら、宮崎吾朗の「コクリコ坂から」が好きだな。朝食を作るときのリズムとか、よく思い出す。

