阿弥陀堂だよりのレビュー・感想・評価
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でくのボウと言われるそんな人間になりたい
同じ様な年齢の子供が12人以上いる。二人兄弟一組だとしても、この子供達の親は六組、つまり、12人の親がいる。だから、少なくとも、24人以上の若者がいると言うことだ。ただの高齢村とは言えない。また、老人は96歳が最高齢だとしたら、沢山の老人がご存命なはずで、この村の総人口は少なくとも120人以上になる。
だから、
この村が無医村な訳がない。しかし、果たして、 20年前の話だから、今はどうなっているのだろう。
この当時の老人は全て亡くなり、子供達の親たちが、僕と同世代として、残っているだけだ。つまり、最低、6組12人の老人がいるだけ。この主人公夫婦は団塊の世代で、この村の頂点なはずだ。つまり、今の日本と人口形態が同じで、総人口は精々20人だと思う。
さて、PLAN75がよく似合う村なのだが、もし、PLAN75実行すると、この村の人口は一体何人になるのか?最低、12人から0人になる。100人以上いた人が、20年もすると、12人になる。さて、PLAN75にサインすべきなのだろうか?そして、賢明な鑑賞者は理解出来ると思うが、高齢者社会だけが問題なのでは無く、子供が少ない事が問題なのである。12人以上いた子供が全て都市に流失している。実態を無責任に予想しているが、当たらずとも遠からずなはずだ。
田舎が、自然豊かな良い所である事は理解出来るが、それは金があるから成り立つ生活。
だから、この映画は東京の矛盾を言っているに過ぎない。何で『お神楽』なのか?若者がこの『お神楽』の良さが理解出来る訳がない。経済が若者を引き付けていないのだ。この地では生活が困窮する経済なのである。
『でくの坊と言われるそんな人間になりたい』
と言っているわけだから、言っている本人は自分が『でくの坊』と自覚している。それが宮沢賢治の凄い所だ。逆にこの映画はそれを分かっていない。
『田舎に引っ越す医者は落ちこぼれ』ってハッキリ言っている。昔から存在するインテリなリベラリストの考え方だと感じる。
『気』を語る。『気』など無い。それは科学が証明している。そして、それを東洋医学の真髄としているが、それが東洋医学がオカルト医学から脱せない証拠。
つまり、『幽霊がいる』『宇宙人がやって来る』『奇跡が起こる』『気功』『占い』などなど、それらが現在社会の断片を象徴している。現代社会を堅固な物にしているとは思えない。逆に、脆弱な行き当たりばったりな社会にしてしまっている。
やっぱり、原作者は医者か!医者は死を沢山経験しているだろうが、死んだ事が無い。だから、死を経験した人数で掛け算する価値観は大変に閉口する。ご自分の病気の経験を前面に出せば、良い作品は書けると思う。但し、売れるか売れないかは分からない。
小学校唱歌のような映画
主人公二人が小学生の子供たちを鬼ごっごや縄跳びをして遊ぶシーン、微笑ましいととるか?私はこんなのありえねーと思ってしまう。しかも子供たちが「夕焼け小焼け」の歌を歌いながら帰っていくなんて、映画の中でしかありえない。大人が思い描く子供たちの姿だろうけど、いつの時代のはなしなのか。
また、声の出ない少女が肺炎になり、その治療を行うことになったとき、素手で呼吸のバッグをバグバグさせていたけど、素人ながら手袋しないの??って思ってしまった。
それに診療所の先生がほかの病院でメインでいろいろと指示したり、本当にそんなことあるかな、じゃあ、この人がいなければその若い先生だけで対応していたのかとか。
もちろん、彼女が本来は有能でそういうことができる人で、自信を取り戻していく、という描写かもしれないけど、それなら診療所での診察でいろいろな患者さんとの間で自信を取り戻していく、という過程にしたほうがよほど自然な感じがする。
いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた
映画「阿弥陀堂だより」(小泉堯史監督)から。
寺尾聰さん、樋口可南子さんの夫婦役を軸に、
おうめ婆さん役の北林谷栄さんなどが加わり、
なんともいえない、ゆったりとしたリズムが全編を包む。
さらに、喉の病で喋ることの出来ない娘・小百合役を演じた、
初々しい小西真奈美さんが、おうめ婆さんから聞いた話を
「阿弥陀堂だより」として文字にする設定は、まさしく私好み。
タイトルの「阿弥陀堂だより」は、作品の中では「5作」。
どれも素敵な文章で、甲乙つけがたいので、紹介は後日。(汗)
気になる一言は、冒頭、樋口可南子さんが露天風呂で呟くシーン。
本当に気持ちよさそうに、そしてリラックスした感じで
「いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた」。
お湯に浸かりながら目の前に広がる信州の遠景。
どれほど、彼女を癒しただろうか、と羨ましくなった。
自分を振り返ると、たしかに最近、遠くの景色を見ていない。
遠くを見る、それだけで緊張感がとれることを、
この台詞で思い出された。
木版画家・前田光一さんが作り出す風景とそっくり、
そんな視点で眺めてしまった。
さすが、長野県。派手さはないが、久しぶりの「秀作」だった。
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