降霊のレビュー・感想・評価
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『力の抜けた熱演』
自宅にて鑑賞。M.マクシェーンの『雨の午後の降霊術('61)』を原作とした関西テレビ(共同)制作のTV用ムービー。動機は同じだが、きっかけは原作と異なる。 風吹ジュン演じる“佐藤純子”がバイト先のファミレスで見てしまう女の霊、後の『回路('00)』や『叫('06)』の原型であり、この二作と同じ赤いワンピースを着せている。彼女がホテルでの食事中、右肩をさする様も気味が悪く、巧い演出。肝心の霊の描かれ方も、小中千昭の提唱する所謂“小中理論”に根差しており、これも後作を思わせる。TV用とは云え、容赦なく不気味である。70/100点。
・やや物足りない感もあるが、監督の描くこのジャンルを語る上では、外せない一作であろう。何気にキャスト陣が豪華なのも見所の一つであり、重厚でありつつ主張し過ぎないゲイリー芦屋の音楽も佳かった。
・オープニングで、岸部一徳の“北見”教授と草彅剛の“早坂文雄”が語り合う潜在的自我の特徴、二重体・体外離脱の投影・生者の幻霊等は、後半における役所広司演じる“佐藤克彦”のモノローグのシーケンスの布石となっている。亦、監督はこのテーマで『ドッペルゲンガー('02)』を後に撮っており、その意味でもこの遣り取りは興味深い。
・以前、桃井かおりはアンニュイを熱く演ずると一見、矛盾した様な表現で好評を得、時代を代用する女優へと昇りつめた。本作では“早坂文雄”役の草彅剛が、程好く肩の力が抜けた自然体な演技で、当時の桃井かおりの評を想起させるものがあった。そして“佐藤純子”を演じた風吹ジュンがそれを上回るやもしれない肩肘を張り過ぎないナチュラルで気負いの無い熱演を披露しており、この二人の好演と存在感が交差する事により、荒唐無稽な設定や無理・矛盾を孕んだ箇所がある本作を破綻させず、違和感に眼を瞑れる様に成立させる事に深くコミットしている。
・鑑賞日:2019年2月3日(日)
主役はアラフォー夫婦。このまま働いて食べて寝るだけを繰り返して人生...
主役はアラフォー夫婦。このまま働いて食べて寝るだけを繰り返して人生終わんのか..... とか思いながら生活してる。
誘拐事件の女の子を偶然全く気付かずに連れて帰ってきてしまった録音技師の男。
その妻は霊能者としての資質は持っているが不確かであり自信はない。
霊視してこの女の子見つけ出した!みたいな状況を作り出して有名になり、生活を変えられるチャンスかもと考える。女の子を病院や警察に連れていかず夫婦でいろいろ偽装して霊能者タレントデビューを画策する。
映画の中の警察というのはストーリーの都合に合わせて変テコな場合あるが、この作品では証拠品のハンカチを一般人に預ける、おかしい。
刑事が怪しく思い家に訪ねてきた時に、隠していた女の子が暴れ出したので計画がパァになると焦って抑えつけたら殺してしまう。
妻の霊能力は本物だったのだが、警察にバレないようにと変な芝居をうったりする。
ストーリーになんのひねりもないし、黒沢清監督作品の中では全く怖くない。ラスト30分くらいはしょうもないなと思ってしまった。
ホラー作品だけど、欲だしてバチあたる的な話。
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