劇場公開日 1957年10月1日

「雑感「夜の荒海の、僕の灯台」」喜びも悲しみも幾歳月 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 雑感「夜の荒海の、僕の灯台」

2025年9月28日
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灯台の光が好きだ。

子供の頃、幾度か引っ越しはあったものの、どこかしらに海は見えていた。
そして居間や子供部屋の電気を消すと、遠くの海岸で光る灯台の光が見えていた。ゆっくりと回ってくる光の点滅。白が1回、そして待っていると2回続けて。
じっとそれを見ているのが好きな子供だった。

その灯台の光を歌詞に歌った真心ブラザーズの「エンドレスサマーヌード」がめっちゃ良くって。あそこで歌われる情景《暗い海辺の岩かげを照らす》《一瞬の一条の光》に、
心がギュッと持っていかれる。

灯台を舞台にした映画といえば、洋画の「ライトハウス」や吉田修一原作の「悪人」なども思い浮かぶ。

本作、「喜びも悲しみも幾歳月」は、佐田啓二と高峰秀子による長編ドラマだ。主題歌こそラジオで耳馴染みはあるものの、今回初めての ちゃんとした鑑賞になった。

神奈川県観音崎〜北海道石狩〜伊豆大島〜豊後水道水子島〜五島列島女島(めしま、福江島から80キロ、国内最後の有人灯台2006年まで)〜佐渡ヶ島弾埼(はじきざき)〜静岡県御前崎〜志摩半島安乗埼(あのりさき)〜瀬戸内海高松市男木島(おぎしま)〜

「灯台」は人里離れた辺鄙 ヘンピな岬や断崖に、そして隣人ゼロの孤島に立つ。
結婚も子育ても、孤独と人恋しさとの闘いなのだ。

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僕の深夜の長距離トラック生活も、もう三十年目を迎える。
いちおうの定年も間近なのだが、長野県から岐阜県を経て愛知県に入り、ラジオ深夜便を聴きながらへろへろになって、長い運航もようやくやっと終わりがけの頃に、
荷下ろしステーションの手前の国道端に「一軒の家」が建ったのだ。

実に堅牢な立方体の二階建てで、あれは三井ホームあたりだろうか。そして地震に備えてだろう、窓はごく小さめだ。
ささやかな玄関前の植栽も合わせて、どういうお人が住まっておられるのか、その堅実なお人柄が想像出来るいいお宅だった。

ふと《それ》に気づいたのはしばらく経ってのこと。
その家の、おそらく二階に上がってゆく階段の踊り場に、僕は「小さな灯火」を見つけたのだ。
ガラス窓とレースのカーテンの間に、小さな電気スタンドが置いてあるらしい。豆電球が灯っているのが通りから見える。何のためだろう。子供部屋があるのだろうか、夜の階段のための常夜灯だろうか。常夜灯にしたって心許ない とても小さくて暗い明かりだ。

真冬の星辰ふるえる夜更けにも、春のおぼろ月夜も、そして夏の暴風雨の最中にも、あの豆電球は必ずそこにあって
僕はその《小さな光の粒》を道の左側に確かめてから先へと進んだのだ。

三十年もやっていれば喜びもあれば悲しみもあった。絶望や涙に打ちひしがれての運転も本当に多かった。家には帰れなかった。だからあの《光》がありがたかった。
二度と朝はこないような苦しみの中、まるで漆黒の嵐の海に、黒い大波にもみくちゃになって沈みかかっている難破船が、「やっと暴風雨の彼方に奇跡的に灯台を発見した時の気持ち」と言おうか。
あの《灯台》には心底、どんなに助けられたか分からない。

最終日には郵便受けにメモをそっと入れて、お礼を届けたいと思っている。
びっくりなさるだろうが、夜通し通る大型トラックの振動と騒音へのお詫びも、必ず記しておきたい。

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「灯台ってのは、人里離れた、それこそ泣きたくなるような場所が多いんだ・・」
「沖を通る船だって私たちの苦労を知っているのかしら?」

これは新妻を迎えた晩に、「絶界の灯台生活」で気の触れてしまった元灯台守の奥さんが押し掛けてきた時の、新郎の説明だ。
そしてもう一つは主人公の同僚の妻が臨終の床で漏らした恨み言だった。

・・

光の灯るところには人が住んでいるわけで。
どこか遠くから灯台の明かりを見ていてくれるかも知れない「その誰かのために」、
灯台守の善人たちは、ああやって命を賭し、その仕事の意味を信じて、《あの小さな灯》を守るのだろう。

佐田啓二と高峰秀子。
素朴な暮らしの中にこそ人間の光はあった。そして人の内側からその光は輝きいだすのだと
木下恵介は教えてくれた。

・・

今夜は僕は御前崎灯台の近くにいます。
東名高速道路、静岡県の牧之原サービスエリアで今夜は車中泊なのです。数百台のトラックが今夜も停泊して寝ています。
車中からこのレビューを送信。

トラック乗りの独り言です。

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(コメント不可で固まっていますご容赦ください)

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きりん
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