劇場公開日 1955年9月13日

「「頼りにしてまっせ、おばはん」の台詞を英語に訳すなら」夫婦善哉 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0「頼りにしてまっせ、おばはん」の台詞を英語に訳すなら

2019年9月5日
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昭和7年1932年、戦前の活気溢れる大大阪と云われた時代のお話です

冒頭の地震は関東大震災ではありません
それは本作の舞台の9年も昔の出来事で、その年には記録に残るような大地震はありません
つまり関東大震災の再来かと大した地震でもないのに逃げ帰る維康柳吉の頼りなさと、これ幸いと駆け落ちから大阪に帰れる口実を作る彼の打算を説明しているシーンです

旅館の中居さんのさっぱりした関東弁との対比で二人の大阪弁で全編進行する本作を包む雰囲気をものの見事に説明してしまう監督の演出の手際にも感嘆します

森繁久彌、淡島千景の演技は惚れ惚れするほどです
駄目男のだらしなさ、情けなさををこれでもかと演じきる森繁久彌の名演は神がかって驚嘆するレベルです
駄目男を更に甘やかせてしまう蝶子を演じる淡島千景は本当に愛情のこもった細やかな気遣いの仕草と表情を見せます
男の理想の女房像を見せてくれます

蝶子の父役の田村楽太も感嘆する名演でした

二人は本当の夫婦ではありません
駄目男とその浮気相手のカップルで籍は結局最後まで入りません
しかし本作の二人は本当の夫婦の姿です
駄目男の行状や言動や態度のひどさは耳が痛く胸が痛むものです
本作を観た男性陣はこれ程酷くはなくても、どれもこれも大なり小なり心当たりがあるものばかりでしょう
それに対する蝶子の怒り方、赦し方もまた思い出すとまた胸が痛むのです
それほどの見事なリアリティーです

本作にはシャイな日本人ができる精一杯の男女の細やかな愛情表現とその機微が画面一杯に全編に詰まっているのです
それが本作のテーマであり観る価値と意義なのだと思います

ラストシーンの肩を寄せあって小雪が降る中を歩く姿こそ、いろんなことを経験した末に結局このまま二人で生きていくのだという結論が心震えるレベルで映像となっています
長く連れ添って初めてわかる世界かも知れません

ラストシーンでの「頼りにしてまっせ、おばはん」の台詞を英語に訳すならそれはこうです

I Love You, Darling.

それはちゃんと伏線であるのです

本作で聞く大阪弁が本当の大阪弁です
現代のテレビで飛び交う大阪弁は本当の大阪弁ではありません
ほとんどが河内弁や泉州弁、播州弁が入り交じった汚い言葉です
本作はテレビはおろか今の大阪の街中でももう稀にしか聴くことのできない本当の大阪弁を聴くことができます
淡島は東京出身にも関わらず、宝塚にいたためかまるでネイティブのように大阪弁を操っています

自由軒は今も難波千日前のど真ん中にあります
本作のものと変わらないと思われるライスカレーが今も定番です
案外に辛いです。真ん中にある生玉子をかき混ぜないと大変です

何度も登場する水掛不動さん、法善寺横丁は今も本作と変わらない風情です
場所は道頓堀のすぐ近く、東京でいうなら歌舞伎町のど真ん中にあるとイメージして下さい
終盤に二人が入る甘味処の店名が夫婦善哉です
エンドマークに重なる人形はそのお店のお多福の招き人形です
このお店も本作そのままの場所に今もあります

蝶子のおでんやは何処にあるのか分かりませんが
水掛不動さんの脇に今も渋い戦前のままのようなおでんやさんがあります
カフェーは地下鉄谷町九丁目の近くにある生國魂神社の参道のようです
こちらはもはや戦前の繁華街の面影は微かにしか見いだせません
その近辺は今や大ラブホテル街です

有馬温泉のきつい坂の路地のような細い通りも本作のまま今もあります
流石に旅館はみな鉄筋コンクリートのホテルに変わっています

他にも戦前の道頓堀がちらりと写ったりします
それだけでも興味深く楽しめることができます

あき240