息子(1991)のレビュー・感想・評価
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淡々と描くことが逆に暖かみを感じる
淡々と描いている中に、しみじみと深い愛情のような暖かみの感じる映画。
永瀬正敏演じる次男と和久井映見演じる娘が婚約に至るまでの過程をすっぽり省いていて、あれ?どこか早送りしてしまって見落としたのか?と思ったくらい。
このとき、これは父親の主人公の物語なのか、三國連太郎の主役の映画なのかと思い、そのままラストは三國連太郎のカットの流れでエンディングとなって、そうか、これは息子を思う父親の話しなのか、父親が主人公だったのかと思った。
最後のシーン、雪に閉ざされた岩手の一軒家に帰ってきた三國連太郎演じる父親が心臓発作か何かで亡くなってしまうのではないかとドキドキっとしたけれど、そのまま淡々と家屋の広角カットで終わるところもリアルで逆にほのぼのとした。
まるで、その家族を傍から見ているようなそんな感じにさせてくれるリアリティのある映画。
本作息子と学校Ⅲは表裏一体なのかもしれません
本作は1991年公開です
そして学校Ⅲは1998年公開です
バブル最高の株価をつけたのは1991年早春の事でした
本作のラストシーンがその年の早春です
一方、学校Ⅲが公開された1998年はバブル崩壊が遂に大崩壊に至った年です
前年の1997年には一流の大企業であった山一証券や、北海道を代表していた北海道拓殖銀行が経営破綻し、公開5日前には日本長期信用銀行までが破産するに至っています
つまり本作バブル絶頂期に至る戦後日本の良い時代の人生を扱っています
そして学校Ⅲではバブル崩壊後の人生とは何かを扱っているのだと思います
本作での三國連太郎は、恐らく60代半ば
二人の息子はそれぞれ40歳前後、30歳手前くらいに見えます
その間に娘が生まれたのでしょう
長男と娘は団塊の世代そのものです
次男は団塊の世代の下の世代です
父は1920年代後半の生まれでしょう
戦争に行ったのは20歳前後の事でしょう
彼は復員して結婚し、二人の息子と長女の三人の子供をもうけ、岩手で農家をしながら三人を育て上げる為に、農閑期は東京に出稼ぎをしてきた人です
その人生がラストシーンに凝縮されています
正に戦後日本の辿った姿が彼の人生にそのままリンクされているのです
その彼の人生も終わろうとしています
日本も登り坂の時代は終わろうとしています
後は子供達がしっかりとそれぞれの人生を送ってくれたら思い残すこともない
娘はしっかりとした主婦となり心配は無い
長男は彼なりに東京で苦労はしていても頑張っている
しかしバブル崩壊の予感は微かにある
その後を託すべき次男の世代はまだまだ腰がざまらない
それは将来の日本への不安そのものが投影された人物だったのです
しかし、その次男もしっかりとした偏見を持たず真っ直ぐに育ってくれていた事を知り嬉しくて仕方無かったのです
冒頭の外国人のバイト仲間に優しい声をかけ、序盤の葬式後の場面で二人の幼い女の子になつかれているシーンはその人物説明です
いいではないか!はそこに直線でつながっているのです
和久井映見の美しさ可憐さは素晴らしく、この配役は大成功です
彼女でなければ本作はこれほどの成功は無かったのではと思います
父のその後、息子たちのその後は本作では語られません
長男は学校Ⅲにつながって行く運命かも知れません
次男の鉄鋼店はバブル崩壊で倒産しているかも知れません
それでもあの夫婦ならきっとなんとか生きていると思いたいです
岩手に夫婦で帰って父と暮らして農家になっているかも知れません
逆に、次男は懸命に働きすぎ過労死で死んでしまい、聾唖者の妻には学校Ⅲのような運命につながって行くのかも知れません
本作には現役を退場していこうとする世代の人生が、戦後日本と21世紀の未来に向けての思いが重ねられていたのだと思います
その21世紀の未来は今なのです
長男も次男も本作の父の年齢になっているころなのです
父と同じ歳になった息子が、一人寂しくワンルームのアパートに帰ってきた時に見る若い時の家族達が揃った幸せな幻想
それは本作の中のシーンなのです
長男はホームビデオの中の映像
次男は父がアパートに訪ねて来た夜のことかも知れません
名作です
泣きはらしました
めちゃくちゃ良映画やった…
始め数十分はまったりとしていて油断してたけど、永瀬正敏の「いいではねぇか!!」あたりから人間関係が加速してラストは感動と哀愁の深い溜め息漏れました。この老人と家族のお話を「息子」と題したのもミラクル。山田洋次しゅごい。ファックス買う道中の笑顔。
とてもよかった
永瀬正敏がうちの今5歳の長男の将来像に見えてしまい、肉体労働に従事してえらい!聾唖のかわいこちゃんと真剣に恋をして結婚なんて、立派すぎる!とまぶしいほどだ。
三國連太郎のおじいちゃんが、千葉のマンションなんて地獄だ。岩手に帰ったら家族がいる幻想を見るラストシーンは、とうとうお迎えが来たと思ったので、そうでなくて安心した。しかし、あのまま逝ってもそれはそれで幸福な最期だ。歩けなくなったり認知症になる前にそうなりたいものだ。
題名だけで泣ける反則映画(笑) なんてことないストーリーなのだが登...
題名だけで泣ける反則映画(笑)
なんてことないストーリーなのだが登場人物が哀愁漂う。
三國蓮太郎、やっぱり味あります。息子さんはまだまだ足元にも…ですね。
原田美枝子が超美人、和久井映見も超可愛い、華やかです。ラスト、息子の嫁にちょっと恋してるようで怖い(笑)
親父にとって自分はどんな息子だったろうか、息子にとって自分はどんな父親だろうか、そんなことを考えてしまいました。
家族をつくるということ
やっぱり、この監督は原作がある方がいい。
自分としての生き方を生きていく。
交わるところと、交わらないところと。
親の力を借りずとも生きていける。それは”一人前”になったということの証でもあり、親孝行のはずなのに。
昔なら、代替わりする頃には、親がボケるか、体を悪くするか、寿命でこういうことで悩むことはなかったのに。
自給自足に近い世界なら、地産消費で、遠くに行くことはなかったのに。
貨幣世界等、価値観が変わってしまった世界。
親の都合と希望。
子の都合と希望。
簡単に交わりそうなのに、交わらない。それが家族。
そんな中でも、未だ行先の定まらないと心配していた子が、パートナーを得て、己の生き方を定める。
それがこんなにうれしい親心。
終盤、哲夫の部屋での眠れぬ夜から岩手の実家に帰ってきた場面。
そのための映画。
もちろん、それまでに、三人の子の家族のいろいろを描いているからこそ、この場面が映える。
父を演じた三國さんのすごさ。田舎の老爺を見事に表現。普段のオーラなんてどこへやら。
そして、永瀬さんが初々しい。方言の発音も一番それらしい。他の役者が方言ぽく話していても聞き取れるのに、永瀬さんのだけは聞き取れない箇所がある(笑)。
和久井さんの初々しさもいい。思わず哲夫が、昭男がOK出してしまうのが、とっても理解できる。
原田さんも難しい役。
とはいえ、征子が美しいから哲夫は「聾唖でもかまわない」になったんだろうという流れには複雑。美しくなかったならどうなんだろう?
昭男にとっては、どうしようもない哲夫をまじめな勤労者にしてくれた福の神であって、容姿とかは関係ないのだろうが。
そして、長男の嫁にしろ、娘にしろ、次男の婚約者にしろ、実権は妻が握っているかもしれなくとも、外面では周りに気を使って、夫を立てているという女性像ばかり。ワンパターン。
だから、きれいに収まるのだ。
時代を切り取った
80年代でもないし、95年だともっと後だし、
そうそう、90年過ぎくらいが確かこういう感じ。
狭い所を巧みにフォーカスしている。
核家族化が進み、親と一緒に暮らすという概念が
段々と当たり前ではなくなってきた頃だし、
聾唖への差別的発言が社会で許容されなくなってきた頃でもある。
ここまでひとつの時代の特徴をとらえて、
的確に表現できるものなのか。すごい。
懐かしき日々
たまたま眠れなくて、テレビをつけたらやっていたので暇潰しに視ました。
90年代初期、この時代を生きてきた人にとっては、懐かしさとともに色々な感慨が思い浮かぶと思います。一時代を見事に切り取ってあり、ヒューマンドラマとしても楽しめます。時代は変われども、幸せのかたちは変わらない。便利な世の中になったとはいうけれど、その分、余計なものもたくさんある。ひょっとしたら、余計なものが増えた分、幸せを見つけにくくなっているのかもしれない。
役者さんも、この時はまだまだこんなに若々しい。それにしても、当時の和久井映見さんはこんなに可愛らしかったのか。いや、今でも美人ですけど。
作品の感動は不滅です。
これまで観た映画の中でとても感動した作品のひとつ。公開当時は何度か劇場に足を運んだ記憶があります。
あれから17年もたって、ここで描かれている世界が懐かしく思えるようになりました。いまでは居酒屋での外国人労働も珍しくなくなったし、家庭用FAXよりもインターネットや携帯電話が占めているし。でも作品の感動は不滅です。
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