宮本武蔵 一乗寺の決斗のレビュー・感想・評価
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【”非道の剣。されど、我、事に於いて後悔せず!”今作は、最後半の吉岡一門との1対73の戦いの凄さと、戦いの前の武蔵の心情を鋭く突いた吉野太夫との遣り取りが秀逸な逸品である。】
ー 京都に縁がある方であれば、詩仙堂や曼殊院などを詣でた際に、白川通りに降りる途中で、「宮本吉岡決闘之地」と書かれた石碑と、脇に立つ数代目かの松が立つ三差路に立った方も多いであろう。今では、閑静な京都の高級住宅街になっているが、少し山側に道を辿れば、今作で描かれた吉岡一門との闘いの場の、残り香を感じるのである。-
■宮本武蔵は清十郎の弟・伝七郎(平幹二朗)から仇敵とされ、吉岡一門から追われる身に。ある日、武蔵は伝七郎から三十三間堂での亥の刻での果たし状を突きつけられる。だが、武蔵は、本阿弥光悦に誘われて、遊郭に行った際に中途で抜け出し、この立ち合いで清十郎と同じく、伝七郎をも秒殺するのである。
そして、面目を失った吉岡を率いる壬生源左衛門(山形勲)は、未だ子供の息子源次郎を名目人とし、一条寺下がり松での決闘を申し入れる。
武蔵は、下がり松の上部から吉岡一門の配置を紙に書きつけるが、相手の数が73と知り、決死の思いで敵の“大将“目掛けて、二刀流で駆け降りて行くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・第三作に続いて、今作も中盤までは風雅である。特に、本阿弥光悦に誘われて、遊郭に行った武蔵がこっそり抜け出し、雪の三十三間堂で伝七郎を秒殺した後に、再び遊郭に戻ったシーン。吉野太夫(岩崎加根子)が琵琶を聴かせた後に、本阿弥光悦が吉岡一門が遊郭の周りにいる事を知り、武蔵を吉野太夫に一夜任せて去るシーンでの、武蔵に対し吉野太夫が”琵琶の細やかな音色に気付かない”武蔵に対し、厳しい言葉を掛けるシーンは秀逸である。
あれは、剣の道を究めつつある武蔵が、”人としての気持ちが無くなっている。”事を、吉野太夫が見事に見抜いたシーンなのである。
最初は、食って掛かる武蔵が、最後、頭をガックリと垂れる姿は印象的である。
・そんな、武蔵の前に今作でもお通はストーカーの如く、突然、武蔵の前に現れるのだが、彼女は病の中、武蔵に想いを告げ、弱気になっていた武蔵も初めて、お通に対する想いを告げるのである。
■そして、日が昇る前の一条寺下がり松。数名の配下を木の上で弓矢を構えさせ、数多くの配下をあちこちに忍ばせる壬生源左衛門。
怖さで震える息子源次郎に”案じるな”と言っているが、武蔵は、敵の“大将“である源次郎目掛けて駆け降り、木の上で弓矢を構えていた二名を小刀を投げて斃し、他の者には目もくれずに壬生源左衛門が庇う子供の息子源次郎を、源左衛門と共に“許せ!”と叫びながら背後から刺し殺し、泥でぬかるむ田の中を、追いすがる吉岡一門を斬って捨てながら、又、吉岡一門を破門された林吉次郎(河原崎長一郎)が、武蔵の非道の剣を目の当たりにし追うが、彼も目を武蔵に斬られるのである。
そして、その全てを高見の見物で見ている、全てを差配した佐々木小次郎なのであった。
・武蔵は、比叡山の無動寺で吉岡一門の為に仏像を彫っている。多分、源次郎に対してであろう。だが、そこに比叡山の僧兵たちがやって来て、武蔵の非道を激しい言葉で詰り、比叡山を去れ!と告げるのである。それに対し、武蔵は”幼き子を名目人にした吉岡一門こそが非道であろう。名目人と言えば、大将であろう!”と返すのであるが、どこか空しげなのである。
<今作は、最後半の吉岡一門との1対73の戦いの凄さと、戦いの前の武蔵の心情を鋭く突いた吉野太夫との遣り取りが秀逸な逸品なのである。>
宮本武蔵・視覚化の決定版④
60年代安保闘争への鎮魂歌という、本シリーズの真のテーマに回帰
力作です
物凄い映像も有ります
しかし、流石に飽きて来た感があります
とはいえ、クライマックスの一乗寺下り松の73人対一人の決闘シーンは最高の見物です
大立ち回りの殺陣はもちろんですが、撮影が凄い
アメリカの夜と呼ばれるフィルター式の明度彩度を落として夜間を表現する手法のようでどうも違うようです
何かしらフィルムの現像段階での特殊な手法のように思います
夜が明けて、辺りが白みだす様がその特異な手法で見事に表現されています、太陽が昇るであろう方向の空だけが明るく、次第に明度が上がって行くのです
彩度は変わらず極端に落としたままですが、すべてが終わり逃げ切った武蔵が仰向きに倒れ込んでいる次のシーンでは周囲のシダの葉が朝日であろう真っ赤な色彩に染まっており劇的な効果を上げています
敢えてこのような色彩の無い映像とすることによって、殺戮の凄惨さを抑えつつ、この殺戮の無意味さ、空虚さを表現しようとしたものではないでしょうか
この決闘シーンでの独特の白黒というべき映像画質が翌年の飢餓海峡のW106方式と呼ばれる特異な映像画質に繋がっていくのかも知れません
物語はいよいよ佳境
吾は正しい
そう頑なに果てしなく一直線な武道に対する武蔵の考えが、遂に壁にぶち当たるところで終わります
ラストシーンでは平和を希求して武蔵は観音菩薩像を拙いなりに彫り上げます
しかし彼の希求している道は阿修羅の道なのです
その矛盾がはっきりとしてきたのです
これこそが宮本武蔵シリーズのテーマです
60年代安保闘争、全学連運動に敗れ、それでもなお、吾は正しいと頑なに主張する若者へのメッセージこそが本シリーズの真のテーマなのです
とすると、この一乗寺下り松の決闘とは、国会前デモそのものを描いていたのかも知れません
第二作、第三作とこのテーマはなりを潜めて単なる剣豪映画でしたが、ようやく真のテーマに回帰してきた訳です
しかし、1961年から年一作ペースの製作できて、本作は1964年の正月映画です
最早60年安保闘争も昔話、東京オリンピック、高度成長の時代です
こんなメッセージを観客はもう誰も望んでいなかったことでしょう
ならば、本作は単なる時代劇大作に過ぎなくなってしまいます
こうしたことも本シリーズの次作完結編の製作が怪しい雲行きになるのもむべないことです
さて、弟子の城太郎少年は前作で柳生屋敷に置いてけぼりをくらいますが、本作で偶然京で再会します
しかしまた、郭から高い柵から脱出して、武蔵から折しも聞こえてきた城太郎の父、青木丹左衛門が吹いているてまあろう尺八を追えと指示されたまま置いてけぼりをくらいます
次作完結編には登場せず、これにて退場となります
果たして彼は父と再会できたのかどうかは定かにはされません
お通さんにしろ、城太郎にしろ、少し宮本武蔵は冷たすぎです
伝七朗と決闘する蓮華王院の裏手とは、映像を観ての通り三十三間堂です
京都国立博物館のすぐ近くです
一乗寺下り松は現存してますが、本作のような大木ではありません
松の木の脇に大きな石碑が決闘の地を知らせています
松の前には謂われを書いた高札もあります
叡山電鉄で出町柳駅から三つ目の一乗寺駅下車し東に徒歩10分ほどです
そこから南に徒歩10分歩けば、こってりラーメンで全国に有名な天下一品ラーメン総本店もあります
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