「60年代安保闘争への鎮魂歌という、本シリーズの真のテーマに回帰」宮本武蔵 一乗寺の決斗 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
60年代安保闘争への鎮魂歌という、本シリーズの真のテーマに回帰
力作です
物凄い映像も有ります
しかし、流石に飽きて来た感があります
とはいえ、クライマックスの一乗寺下り松の73人対一人の決闘シーンは最高の見物です
大立ち回りの殺陣はもちろんですが、撮影が凄い
アメリカの夜と呼ばれるフィルター式の明度彩度を落として夜間を表現する手法のようでどうも違うようです
何かしらフィルムの現像段階での特殊な手法のように思います
夜が明けて、辺りが白みだす様がその特異な手法で見事に表現されています、太陽が昇るであろう方向の空だけが明るく、次第に明度が上がって行くのです
彩度は変わらず極端に落としたままですが、すべてが終わり逃げ切った武蔵が仰向きに倒れ込んでいる次のシーンでは周囲のシダの葉が朝日であろう真っ赤な色彩に染まっており劇的な効果を上げています
敢えてこのような色彩の無い映像とすることによって、殺戮の凄惨さを抑えつつ、この殺戮の無意味さ、空虚さを表現しようとしたものではないでしょうか
この決闘シーンでの独特の白黒というべき映像画質が翌年の飢餓海峡のW106方式と呼ばれる特異な映像画質に繋がっていくのかも知れません
物語はいよいよ佳境
吾は正しい
そう頑なに果てしなく一直線な武道に対する武蔵の考えが、遂に壁にぶち当たるところで終わります
ラストシーンでは平和を希求して武蔵は観音菩薩像を拙いなりに彫り上げます
しかし彼の希求している道は阿修羅の道なのです
その矛盾がはっきりとしてきたのです
これこそが宮本武蔵シリーズのテーマです
60年代安保闘争、全学連運動に敗れ、それでもなお、吾は正しいと頑なに主張する若者へのメッセージこそが本シリーズの真のテーマなのです
とすると、この一乗寺下り松の決闘とは、国会前デモそのものを描いていたのかも知れません
第二作、第三作とこのテーマはなりを潜めて単なる剣豪映画でしたが、ようやく真のテーマに回帰してきた訳です
しかし、1961年から年一作ペースの製作できて、本作は1964年の正月映画です
最早60年安保闘争も昔話、東京オリンピック、高度成長の時代です
こんなメッセージを観客はもう誰も望んでいなかったことでしょう
ならば、本作は単なる時代劇大作に過ぎなくなってしまいます
こうしたことも本シリーズの次作完結編の製作が怪しい雲行きになるのもむべないことです
さて、弟子の城太郎少年は前作で柳生屋敷に置いてけぼりをくらいますが、本作で偶然京で再会します
しかしまた、郭から高い柵から脱出して、武蔵から折しも聞こえてきた城太郎の父、青木丹左衛門が吹いているてまあろう尺八を追えと指示されたまま置いてけぼりをくらいます
次作完結編には登場せず、これにて退場となります
果たして彼は父と再会できたのかどうかは定かにはされません
お通さんにしろ、城太郎にしろ、少し宮本武蔵は冷たすぎです
伝七朗と決闘する蓮華王院の裏手とは、映像を観ての通り三十三間堂です
京都国立博物館のすぐ近くです
一乗寺下り松は現存してますが、本作のような大木ではありません
松の木の脇に大きな石碑が決闘の地を知らせています
松の前には謂われを書いた高札もあります
叡山電鉄で出町柳駅から三つ目の一乗寺駅下車し東に徒歩10分ほどです
そこから南に徒歩10分歩けば、こってりラーメンで全国に有名な天下一品ラーメン総本店もあります