劇場公開日 1965年3月13日

「さながら愛の逃避行」兵隊やくざ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5さながら愛の逃避行

2023年4月7日
iPhoneアプリから投稿

「兵隊やくざ」という物騒なタイトルとは裏腹に、奏でられているのは甘美なメロドラマだった。勝新太郎演じる大宮二等兵と田村高廣演じる有田上等兵の関係には、単なる上司と部下の信頼関係以上の何かが時折瞬いている。

これを「BL」という語彙で括るのは何か悔しいものがあるので近しい構造を有した作品を挙げるとすれば三浦健太郎の『ベルセルク』だろうか。やはり一匹狼の荒くれ者と頭脳明晰な上司というのは関係性としてかなり「尊い」よなあ。暴力と制御の危うい均衡。ともすれば一瞬で崩れ去ってしまうガラス細工のような。そのフラジャイリティが格別の耽美をもたらす。

監督に増村保造を据えたというのも大きな勝因だろう。しなやかでモダンな増村の作風によって描き出される敗戦直前の満州からは、硝煙や貧困といった戦争の泥臭いイメージがほとんど脱臭されている。こうした平坦できめ細かな画面から唐突に血飛沫が噴出する瞬間はきわめて鮮烈でエロティックだ。一方で大宮が女郎の女と「臍酒」という遊びに興じるシーンは明らかな性的描写にもかかわらず妙に恬淡としている。あまつさえ大宮自身も「そういう気分にならねえ」とそっぽを向いてしまう。

思うに、大宮にとっては暴力こそが最も苛烈で情熱的な性行為なのだ。有田が上官命令で大宮に懲罰を下すシーンでは、有田は竹刀で大宮の頬を一度ぶっただけで懲罰を終えてしまう。するとその後大宮は自分の顔に岩をしたたかに打ちつけ血だらけになる。そして大宮の傷の深さを見た上官は、有田を「よくやった」と褒める。もちろん大宮はこうなることを見越したうえで策略的に自分の顔に傷をつけたのだと思うが、それにしたってやりすぎだ。思うに大宮は、敬拝する有田が自分を殴ってくれることでより高次な結び付きが可能になると考えていたのではないか。しかし有田は元来暴力を好まず、懲罰の折にも情が走ってつい手を緩めてしまう。大宮にしてみれば不完全燃焼だ。ゆえに彼は自身の満たされなさを埋めるために自涜的に自傷行為に及んだ、という側面もあるように思う。

また大宮が女郎の女になぜか猛烈に好かれているが、それというのも、大宮が「誰にでも暴力を振るう」という点において「誰とでも寝る」女郎と同様の悲哀を抱えているからではないか。

終盤、南方派遣が決定した大宮が有田を殴りつけるシーンは衝撃的で切ない。これに関しても「上司に不義をはたらくことで南方派遣軍から外してもらう」という大宮の策略があるのだが、それを大義名分とばかりに馬乗りになって何度も有田の顔を殴りつける。暴力を振るってもらえないくらいならこちらから振るってやろうという腹だ。しかし暴力では有田と繋がり合うことができないことは大宮も重々承知している。それは策略という必然性が許した一度限りの愛の交感なのだ。切ない。

戦局はますます悪化の一途を辿り、遂に全部隊に出征命令が下る。兵隊たちは汽車に乗り込む。幾時間か経った頃、大宮と有田は汽車の先頭へ向かい、機関車と客車のジョイントを外す。大勢の兵士を乗せた客車を尻目に、大宮と有田の乗った機関車は満州の平野をどこまでも悠然と突き進んでいく。それはさながら愛の逃避行だ。しかも本作全体に挿入される有田のモノローグからもわかるように彼らの脱走は成功を収めることができたようだ。

その後二人の関係がどのような顛末を迎えたのかは明かされないが、正直うまくはいかないんじゃないかなあと思う。そこを敢えて描かず機関車が去り行くカットで映画を終幕させた増村の徹底した耽美主義に拍手を送るべきだろう。

因果