不死鳥(1947)のレビュー・感想・評価
全3件を表示
『陸軍』の焼き増し
木下恵介と田中絹代のタッグといえば1943年に公開された『陸軍』が有名だ。本作は太平洋戦争末期に帝国陸軍主導で制作されたにも関わらず、そこには木下恵介の戦争に対する激しい憎悪と失われゆく命への哀惜が込められており、今では専ら反戦映画の代表作として知られている。
戦時中、木下恵介は『陸軍』を撮ったことで軍部から反日分子と睨まれ、しばらくの間映画制作を禁じられていたのだが、戦後に日本映画界がGHQの民主化政策下に置かれたことで復権し、『大曽根家の朝』などの反戦・反軍国主義を制作した。
さて、本作は『陸軍』の4年後、つまり『大曽根家の朝』と同年に公開された作品であるのだが、反戦映画としては同じく田中絹代が主演を張った『陸軍』に劣る。
本作では、未亡人の田中絹代が戦死した佐田啓二との過去を回想するという体裁で青春の瑞々しさと戦争の愚かしさが描き出される。のちの木下の代表作『野菊の如き君なりき』にも通じる回想形式のナラティブは本作に端を発するものだろう。現在時制でのちょっとした会話や小物などから悲壮な過去を匂わせる巧みな演出には脱帽した。
ただ、過去時制において展開される悲劇は有り体にいえば平凡で、なおかつ普遍性もない。戦争に赴く男と取り残される女という取り合わせは反戦映画においてはあまりにも手垢にまみれている。それでいて田中絹代と佐田啓二の家柄は没落気味とはいえ屋敷に女中を置ける程度のブルジョア家庭であり、いまいち共感し難い。『大曽根家の朝』でみられたような自らのブルジョア性に対する自認も欠けており、ひたすらエモーショナルな「悲劇」が展開していく。
本作最大の見せ場は田中絹代が佐田啓二の父親に自分たちの結婚を直訴するシーンだが、ここでも田中絹代の演技力に全てを一任している節があり、それはつまり『陸軍』の焼き増しでしかない。
戦後の田中絹代といえば、アメリカにかぶれて国内の大衆の反感を買ったエピソードが有名だが、自らのブルジョア性に無自覚でありながら反戦という卑近なエモーションに便乗して涙を流す本作の田中絹代はまさに「戦後の田中絹代」の兆候だったといえる。
吉村秀夫が『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾年月』等の木下の反戦作品を「過度なエモーショナリズム」と批判していたが、本作のほうがよっぽど過度にエモーショナルな凡作だったように思う。
全3件を表示