劇場公開日 1956年1月21日

「【“埴生の宿”ビルマで英国軍に囚われた日本軍の中で、只一人ビルマの地に残り、彼の地で死んだ同胞のために僧侶となって鎮魂する男の姿を描いた反戦映画の逸品。】」ビルマの竪琴(1956) NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0【“埴生の宿”ビルマで英国軍に囚われた日本軍の中で、只一人ビルマの地に残り、彼の地で死んだ同胞のために僧侶となって鎮魂する男の姿を描いた反戦映画の逸品。】

2024年11月24日
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ー 竹山道雄氏の「ビルマの竪琴」を読んだのは、大学の頃であったろうか。
  大岡昇平氏の「野火」とは、全く違うトーンの内容であり、且つ水島上等兵の、痛切且つ崇高な選択に、いたく感動を覚えたモノである。-

■1945年、夏のビルマ。
 敗戦後も抵抗を続ける通称三角山に立てこもる日本軍の兵士たちのもとに隊長(三国連太郎)の依頼により、降伏の説得に向かったまま戻らない水島上等兵。
 隊の仲間たちが水島を探す中、ある日彼らは水島にそっくりのビルマの僧を行違う橋の上で見かけて声をかける。
 しかしその僧は、目を伏せ走り去ってしまう。

◆感想

・粗筋は分かっていたが、映像で観ると矢張り、水島が所属していた隊長が合唱好きだったために、常に歌を口ずさむ隊員達の姿や、美しい楽曲が印象的である。

・又、隊員たちが手名付けたオウムが”オーイ、ミズシマ、イッショニニッポンヘカエロウ”と啼くシーンは沁みる。

■特に、隊長が僧侶を水島と確信しつつ、彼の想いを汲み、無理に日本に連れ帰らない決断と、帰国の船上で隊員達に水島から託された手紙を読むシーンは、白眉である。

<映画の作り方としては、殺戮シーンは三角山のシーンのみで、英国側のナースが日本兵士の墓に対し、歌を手向けるシーンなどが、印象的であった。
 更に言えば、兵士たちや水島上等兵の想いをモノローグで流す手法は効果的であると思った作品である。
 いずれにしても、今作が、邦画の反戦映画の逸品である事には、間違いないであろう。
 出来得れば、一度音響の良い劇場の大スクリーンで鑑賞したい作品である。>

NOBU