劇場公開日 1991年9月14日

「「現実」の粗悪なイミテーション」ピノキオ√964 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

0.5「現実」の粗悪なイミテーション

2023年1月29日
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80年代末から90年代にかけて流行した露悪・鬼畜系ブームからその根幹である批評性を差し引いたような代物だった。ジャンプスケア的に明滅するノイズやしつこい汚物描写によっていたずらに生理的嫌悪を煽るばかりで、物語はどこにも辿り着かない。

というか多分、本作の主眼は「受け手を不快にさせること」それ自体にあるのだと思う。しかし不快にさせたから何だというのか?批評性や倫理意識を欠いた露悪芸はもはや露悪とはいえない。ただの悪だ。

いや、悪に徹しているならいい。池袋の地下道で汚物を吐き散らかしたり、奇声を上げながら新宿の歩行者天国を疾走したり、そういうアウトローなインディーズ根性を最初から最後まで貫徹するのならそれでいい。研ぎ澄まされた「悪の美学」的なものがそこに顕現するやもしれない。

しかし物語の大半は地下室や路地裏や海辺の廃工場といった安全圏を舞台にしている。生温いと思う。だったらはじめから通路や人混みといった公共圏での無許可撮影なんか敢行するなよと思う。結局それはどこまでも火遊びに過ぎない。みんな見てくれ、俺はこんな悪いことができるんだぜ、という稚拙なアピール。

映画は夢なのだ、と誰かが言っていた。映画館という外界から隔絶された空間においてのみ効力を発揮する脆く儚い夢。それは人を生かしも殺しもしないし社会を直接転覆しうる力もないけれど、真っ暗な箱の中でスクリーンを見上げている約90分の間だけは少なくとも真実なのだ。現実を土台にしている限り決して立ち現れてこないオルタナティブなリアリティー、とでもいうべきか。俺はそれを味わいたくて映画を観ているといってもいい。

この映画は映画=夢としての自負が著しく欠如しているように感じた。

現実はいつだって俺たちを無意味な悪意から邪魔したり傷つけたりする。それと同じことを映画がやってどうするんだよ。ひたすら不快な気持ちになりたいだけなら、わざわざこんなものを見なくても、映画館を出て外の世界=現実に戻ればいい。

映画の幕間に屋外の喫煙所に行ったら飲んだくれが騒ぎ散らす横でガールズバーのキャッチがサラリーマンに絡まれていた。遠くでパトカーのサイレンが聞こえる。深夜3時。気温2度。ここで90分立ち尽くしていたほうがよっぽどマシだったな、と俺は思った。

因果