晩春のレビュー・感想・評価
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親離れ子離れ
終盤、紀子は父周吉に離れたくないと言う。 今が楽しいということを幸福と同列に表現する紀子。外の世界を漠然と恐れ、与えられた今の環境の中で永遠に子供でいたいと願っている様に見える。だからこそイノセンスな自分の世界からはみ出す小野寺には悪びれる様子もなく不潔だと言ったのだろう。自分の世界を決定的に破壊する父の再婚に対しては、親の愛情を取り戻そうとする幼子の様に振る舞って見せたのだろう。 そんな紀子を諭す周吉。紀子は新たな家庭で、幸せな世界を作っていけるだろうか。空の花瓶は、まだ定まらない彼女の将来を思わせる。 しかし、本当に心配なのは周吉ではないだろうか。再婚話が芝居でなく、本当であれば良かった。そうすれば、娘の友人に対して、きっと遊びに来なよと念を押すような醜態を見せずに済んだと思う。 紀子に拗ねたように「お茶、お茶!」と声を張り上げたり、服部と出掛けてきたと知ってソワソワしたりしていた周吉。途中放心するように独り座り込む痛々しい姿の周吉。どれも人間味を感じられた。 しかし、林檎の皮がぽとりと落ちたときの周吉からは、そうしたものを一切感じられなかった。まるで、人として大切なものが林檎の皮と一緒に抜け落ちていった様だった。そしてその後映された夜の海は、一見穏やかだが、抜け殻となった周吉を黙々と暗い海底へと連れ去ろうとしている様に思えてしまった。何て恐ろしいシーンだろうか。 … 原節子の笑顔はとても素敵だったが、彼女の怨めしげな表情のインパクトに上書きされてしまった。 … 周吉が紀子の友人から額にキスをされるシーン。ヴィム・ヴェンダースのパーフェクトデイズで、主人公が後輩の想い人である若い女性からキスをされるシーンはここから来たのかなと、ふと思った。
原節子の見せた表情には唸るしかなかった!
BS260で拝見する機会を得たが、大変驚いたことが二つあった。 一つは、父親の笠智衆と娘の原節子が、週日の午後、連れ立って東京で能を鑑賞したときのこと。 斜め向かいに、父親の後妻の候補に擬せられている三宅邦子が座っている。彼女に気付いた時、原の顔がみるみる般若に変貌する。この映画では原の美貌が引き立つ場面がいくつもあったが、10から20歳近く一挙に老けるとは。原に潜んでいた本質を引き出した小津の力量には感服するしかない。しかし、それが根底にある以上、映画の延長上で、どんなに素晴らしい男性と出会ったとしても、本当に心許す関係になったのだろうか。原は役の上では27歳、実年齢だって29歳にしか過ぎないはず。なぜ、あのような年齢を超えた成熟を得るに至ったのか。それには戦争の影響しか考えられない。戦時中は経済的に恵まれず、栄養も乏しく、結核に罹患し療養を続けていることが、さりげなく描かれていた。しかも原は、実生活の上でも、この般若の思いを心底に秘めて、引退後50年余りを過ごしたことが知られている。つまり、原はこの映画「晩春」の中で自分の一生をも演じきっていたのだ。小津がシンガポールに行く前、中国戦線で本当の戦争を経験していることが効いているのだろう。 もう一つ、小津のローポジションがどこから来たのかわかるような気がした。それこそ能を鑑賞する時の視線である。もともと能舞台は野外にあった。観客席を組むことにも限界があったろうから、どうしても多くの観客は舞台を見上げざるをえない。それが、あのローポジションにつながったのではなかろうか。もちろん、日本映画では座った演技が多いことが反映しているのだろうが。この映画には、のちの小津の映画につながるアングルがいくつも出てくる。 何れにしても、あの傑作「東京物語」は、この「晩春」の延長上に築かれていたのだ。
鑑賞者が物語に共感し、シーンごとに自分の体験を小津のスクリーンを重ねることで台本の意味が完成する、その比重が最も大きい部類。
映画とは、洋の東西を問わずだが、そのストーリーの歴史的背景や、その物語の起こった時期、その国における文化、そして習慣・習俗を前段階の知識として持っておかなければ十分な理解が難しいことが多い。 制作陣は当然の共通理解と思って、ベースを定め、その土台の上にオリジナルのシナリオを構築していくわけだが、 映画館の客席でアメリカ人だけが大笑いし、日本人の我々がキョトンとしてしまうことなどしばしばあることだ。 「晩春」は、 セリフも俳優の動きもぎりぎり最小限までに簡素化されているが故に、日本の文化に通じていない海外の鑑賞者にとっては、いったい何が起こっているのかが終始意味不明なまま 話が終わってしまう これは最難解作品の部類だろう。 アメリカの映画学校でこの「晩春」がテキストとなったそうだ。講師が自信をもって名作を上映した後、参加者たちがコメントを述べ合うわけだが、このディスカッションで学生の感想を聞いて先生が腰を抜かしたというエピソードが面白い。 講師 笠智衆と原節子の長い沈黙の場面で、床の間の生花の長写しがあったが君たちはあれをどう捉えるかね? 学生 花が小刻みに揺れているように見えました。あの二人が被写体から外れている時間に近親相姦が起こったのだと思います。 これですよ。 嘘のような本当の笑い話だが、 無口で不器用な男やもめ と、控え目で身を慎む孝行娘との間に流れる、結婚式前日の語らずとも流れるその想い、風、畳の匂い、 ・・これらは日本文化の血と肉なのであり、大和魂の珠玉の結晶なのだと思います。 「花嫁の父」(1952アメリカ)では娘を手放す父親のドタバタが愉快でした。 しんみりと言葉少なな小津安二郎も、賑やかさしきりのアメリカ映画も、「父親たちのその心中」については実は一緒で、ボリウムの強弱こそあれ、そこにある心情はグラデーションであることは確実でしょうけれど。
能面の如き原節子の表情に、黒澤作品での役柄だったらと想像も膨らみ…
小津安二郎に関しての書籍紹介の中で、 彼の「紀子三部作」への言及があったのを 切っ掛けとして、 「晩春」を先ずは、と再鑑賞した。 小津監督の「東京物語」は 私の生涯のベストテンの一作だが、 本来、私にとっては、このような淡々と描く 作風の作品は苦手の分野なのだが、 何故か小津映画は全くその範疇に入らない。 登場人物の心象を写し取ったかのような 合間合間の静止画的風景カットの挿入など、 全てが計算され尽くされた演出のためか、 最初から最後まで 作品世界に浸ることが出来る。 そして、この作品では、 父の娘を想う芝居の告白に涙が。 それにしても、原節子という女優、 にこやかにしているうちは良いのだが、 時折見せる彼女の、 観ている側が凍り付いてしまうような 能面の如き表情を見ると、 小津映画の女優陣の中でも 特異なキャラクターに感じ、 そんな彼女が演じるのが、 黒澤明作品での、「蜘蛛巣城」の山田五十鈴や 「乱」の原田美枝子のような、 妖艶さを醸し出す役柄だったら、 と想像も膨らんだ。
風情ある複雑な親娘関係。親の心娘知らず。
内容は早くに母を無くした父親と独身27歳の1人娘の親子関係にフォーカスした静かで、何処となく寂しさと幸せを感じる作品。原節子主演の紀子三部作を楽しみに鑑賞。好きな言葉は『ねぇ!お父さん!私お父さんの事とても嫌だったんだけど‥zzz』本当の事は伝えられない切なさは目が醒める場面でした。嫁に行かないと心配だし行くと心配だ。とも父親同士の会話。『そんな事ならお前と方方行っておくべきだったよ』小津安二郎節とも言える積年の後悔は誰しもが多少感じるのではないでしょうか?!自分が気になったのは妹は拾ったがま口財布👛は本当に届けたのか気になります。捨てる神有れば拾う神ありなんでしょうか?!そして旅の最後に、これが人間世界の歴史の順序なんだよという台詞通り、最後の寄せては返す鎌倉の浜辺で終わるシーンを其々の立場で共感する事の出来る素晴らしい作品でした。
【娘が父を想う心。父が娘を気遣い付いた優しき”嘘”。低迷していた小津安二郎監督の名声が一気に上がった作品。但し、現代社会では自由恋愛を基本にして欲しいなあと思った作品でもある。】
ー 妻を早くに亡くした曽宮周吉(笠智衆)は、大学教授をしながら娘・紀子(原節子)と2人で暮らしている。 紀子は27歳になるが、身体を害したこともあり、父を置いてよそへ嫁ごうとはしなかった。周吉と彼の実妹・田口まさ(杉村春子:コミカルな演技で作品にアクセントを与えている。)は、結婚を渋る紀子の相手を何とか見つけようとするが…。ー ◆感想 ・私事で恐縮であるが、一昨日娘が”お父さん、今年も京都に行かないんだ!”と言いながら帰省した。愉しき二晩を過ごし、彼女は旅行に!行った。 今作では、娘が27歳になるのに嫁に行かない事を心配する父や実妹の姿が描かれ、最終盤で、紀子は父の説得を聞き入れ、嫁に行く。 - 名作であるし、父娘で京都に行った時の紀子が父に掛けた言葉、”私は、ずっと父さんの傍にいるわ・・。”という言葉には、素直に感動した。- ・今作は、20代に一度鑑賞している。だが、当時、何が面白いのかサッパリ分からず・・。40代になり、年頃の娘を持つ身になって初めて響いた作品である。 - 映画って、観る時の年齢、境遇によって全く感想が違う事を体験した。- ・但し、今作の後半の流れは余り好きではない。 紀子の気持ちが蔑ろにされているからだと感じたからである。 結婚は必ずしなければならないものではないと思う。(してくれれば、勿論嬉しいのだが・・。) - 私の枕頭には、お気に入りの文庫本が10冊程度、月替わりで置いてある。その中には現在、石井妙子著の「原節子の真実」がある。その中の彼女のコメントを記載する。 ”親の言う事を聞いて、見合い結婚を選んで生きていく。そういう意味で、今度の「晩春」の役にはちょっと割り切れないものがあり、遣りにくい役です。” 成程。 本当に純正日本人ですか!という美貌、容姿を持った大女優は、意識の面でも時代の先を行く方だったのである。- <今作は、父娘の感動作ではあるし、小津安二郎の映画監督の地位を盤石のモノにした作品であるし、能のシーンでの原節子演じる紀子の苦悩する表情も印象的な作品である。 少しづつ、日本が世界に誇る大女優、原節子さんの作品を見て行こうと思った作品の中の一作である。>
今にも通じる、父と娘。
やもめ父と、独身娘。もうこの設定があかん、私の好きな話。 周囲からの縁談に乗り気じゃない娘を、どう嫁がせるか。娘の気持ちが痛いほどわかるので、最後父が語る幸せの定義。今にも通じる話で、もう涙ボロボロでした。
率直な感想ですが
異常なまでにも依存しているとは言えないのでしょうか? 永遠に父を愛してほしい希望に目が眩んでるのではないでしょうか? 子供は永遠に子供(野球少年と同じくらいの)であってほしいという願いなのではないでしょうか? そして加えて、他の若い女からの愛も受けられると(銀座から上野まで1日過ごしたり、酔っていたとは言えおでこにキスしたり)錯覚しているのでしょうか? 当時の感覚を持ってしてみることは出来ないため率直な感想しか出来ないことを承知の上。 装飾としてのカメラワークや、台詞でない体現は本当に好きです。
父娘
小津安二郎に、裕福な人たちが出てくる映画──という印象をけっこう強くもっている。 長屋の映画もあったが、あつかうひとたちは、裕福が多いのではないかと思う。 いちばんゆうめいな東京物語にしても、貧乏ってわけじゃないが、やや庶民かと思う。 長男は医者とはいえ町医者である。長女は美容院をやっている。みんな忙しくて、葬儀が終わったらとっとと東京へ帰ってしまう。次男は戦死しており、紀子はお隣にお酒を借りに行く、質素な未亡人だった。 晩春の父娘はもっと裕福である。 衣食足りて礼節を知る、と言うが、人間のもんだいを描くために、最低のことは満たしておく必要があったのだろうと思われる。 中産階級になって、はじめて家族の諸問題は見える。それより貧困ならば、もっと別の悲哀になってしまう。だから、小津安二郎の人たちは裕福なのだろう。と思う。カラーになると裕福がさらにアップした。 わたしは祖父や父から、あるいは昔の人たちから、戦後が貧乏とイコールな印象しか持っていない。だけどその感じが小津安二郎にはない。自身が復員して間もないのだが、映画には戦争の気配を介入させなかった。 晩春は1949年で、大局的にみると、戦後まっただなか、社会が混乱しているなか、娘が嫁に行く話なんて、ゆうちょうだなあという批判が、あったという。 一方で、戦争はおわったわけだし、戦争から離れて、家族の問題に向き合うのはさすがだという称賛も、あったという。 紀子三部作と言われるものの最初で、紀子は父と鎌倉に住んでいる。三部作といえども繋がっているわけじゃなく、それぞれ別個の話だが、原節子が紀子という役名で、三回やってるから紀子三部作だそうだ。 よくしらないが、鎌倉に代々住んでいる──なんてひとは裕福であろうと思う。 「ここ海近いのかい?」 「歩いて14、5分かな」 「ああいいとこですね、こっちかい海?」 「いやあこっちだ」 「ふうん」 「八幡さまこっちだね?」 「いやあこっちだ」 「東京はどっちだい?」 「東京はこっちだよ」 「すると東はこっちだね?」 「いやあ東はこっちだよ」 「ふうん、昔からかい?」 「ああ、そうだよ」 <二人笑い> 「こりゃあ頼朝公が幕府をひらく訳ですよ。要害堅固の地だよ」 父役の笠智衆と叔父役の三島雅夫の会話だった。 八幡さまとは鶴岡八幡宮であろう。家に、縁側があり、庭がある。そこが涼しげに開かれている。歩いて14、5分ならば、ときどき潮風=海の香りもはこんでくるだろう。 主人が着物をきて居間で来訪した叔父をもてなしている。 女たちはかしましいが、男女の地位には封建制がある。 父娘だって、いまから考えりゃ堅苦しい。 父が叔父と相酌しているんだが紀子が燗をつけたのを「すこしぬるいな」「あら、じゃあ」「いやいい、あとの熱くして」なんて言う。いまの娘ならおやじ自分で燗つけろよと言うだろう。 嫁入りのまえに、父娘と叔父夫婦で、京都へ旅行する。 旅先で父娘が床を並べて寝る。 カメラが部屋の床の間の壺をあんがい長くとらえる。 そのシーンが論争をもたらした。とwikiに書いてあった。 壺は陰部をあらわし、はっきり父娘のインセストの映画と言ってる論者もいるようだ。 そんな風にも読めるが、それらはもちろん、うがちすぎである。小津安二郎がインセストの映画を撮ろうとしたはずがない。 息子が母にあこがれる、娘が父にあこがれる、それは普遍なことだ。 外国の論者は父娘が床を並べて寝る旅館のシステムに奇異を感じたのかもしれない。 むろん、いまの父娘は、そんなことはしない。 晩春は東京物語につぐ人気や知名度がある。 海外の研究者も多い。 そして壺のカットは、メタファーや寓意を、論争させるほどに、やや長かった。 が、晩春は紀子の婚前ブルーと、残される父の寂しさを描いた映画である。 それらは、宇宙人でもわかるほどに、丁寧に描かれているが、個人的には東京物語に比べると通一遍な感慨しかない。 いんしょうに残ったのは上述した父と叔父の会話と、彫像のようにきれいな月丘夢路だった。 そもそもいまわれわれが小津安二郎をみて、どうこうというのはない。 ただこれらの普遍な映画世界が価値の高いものだということは百姓のわたしにもわかる。(気がする。) よく思うのだが外国人にsunny smileと評される原節子の笑顔は、個人的な見地だが、とても無理笑いであると、かんじる。 こんだけ無理な笑いもないだろう──ってくらいな無理笑いなひとだと思う。 なんか見ていて痛々しいのである。このひとが笑っているだけで、哀しくなる。 原節子が引退した理由は、演技をすこしも楽しんでおらず──ただわたしは家族をサポートするために、ながなが我慢して銀幕のスターをやってきたんだ──もうやめさしてください。というものだったそうだ。 1960年代に40代なかばでやめ、そこから半世紀経った2015年に95歳で亡くなるまでインタビューも写真も拒否し世界から永久に背をむけつづけた。 そして、そんな隠遁生活をおくるであろうっていう気配は、晩春にも麦秋にも東京物語にもある。なにしろ笑っているだけで痛々しいんだから、無理強いしている気がするんだから。 終の住処は晩春とおなじ鎌倉だった。 きっと楽しく豊かな孤独を過ごしたのだろうと、希望的観測している。
流石小津さん
素晴らしい。 期待以上☆彡 色々と自分の人生を振り返ったり、 今の、年頃の息子の事が重なり 涙、涙🥲 もっと早くに見たかった。 私の結婚する頃に。。。。。 ユーモアもあり杉村春子さん 原節子さん綺麗 笠さんのお父さんぶり素敵。
ザ松竹という温かみ
父の再婚候補を見る原節子こと紀子の表情の険しさに痛く感動。一瞬で切り替え、見事なものだ。紀子の結婚承諾を喜ぶ叔母杉村春子の全身表現も流石。 結婚するという嘘をついて大事な娘を嫁にやる作戦で、それを娘の友人に打ち明ける脚本は、まさにその後綿々と受け継がれる松竹の伝統芸のルーツということか。大きな温かみを感じさせた。 結婚生活、そして幸せはこれから夫婦で作っていくものと娘を諭す、父親はとても良いが、今だとこのセリフは真っ直ぐには難しいか、でも時を超える真理ではあると思った。 最初、退屈しそうであったが、結局最後までそれはなく、麦秋や東京物語と異なり、後味も心地よかった。ただ、謎解きの面白みはあまり無しではある。
幸せは築き上げるもの
父が心配だから結婚に気乗りしないという心理の底には、父との関係を維持していたい、子供のままでいたいという気持ちがあるのではないかと思った。 結婚=幸せではない。 結婚をして親子とは違う夫婦という関係を築いていくこと、幸せというものも築き上げるもの。 結婚は、人間社会の通過儀礼のようのもの。 京都での父と紀子の会話は考えさせられた。 結婚や幸せ、人と人との関係性の構築…など現代の考え方と比較して考えてしまう作品だった。 みる人の年齢によっても感じ方が異なると思う。
素晴らしい余韻が残る、日本の最良の部分を残すことが同時に世界的に普遍性のある物語にまで昇華している
1949年昭和24年 同年公開の黒澤明監督の野良犬、前年公開の酔いどれ天使に登場する東京とは全く違う世界が描かれています 左翼からは当時の困窮混迷した社会情勢に背を向けた鼻持ちならない極めてプチブルジョワジー的な映画だと批判されもしたようです しかしその批判は当たらないと思います 小津監督の視線は日本の現状をしっかりと見つめており、だからこそこのような日本の最良の社会の在り方を残そうと懸命に記録しているとも言えると思うのです 序盤の横須賀線の走行シーンを長々と挿入しているのは何故でしょうか? 馴染みのある横須賀線カラーではない、昔の茶色い塗装の電車が遠景で映ります 一両だけ白い帯が横にはいった車輌が列車の真ん中にあります グリーン車ではありません 米軍専用車輌なのです 紀子と服部が自転車で葉山から茅ヶ崎まで海岸を走るシーンでは道路標識は英語でマイル表記なのです つまり監督は占領下の日本の行く末 その社会の構造、人間の機微 そういった日本の本当に美しいものが壊されてはなるものか そのような強い意志をもって本作を撮影しているのだと思うのです 冒頭に茶会のシーンを置くなどだけでなく、本作のテーマそのものや、登場人物達のものの捉え方、行動、立ち振舞い そういったものを飲み込まれてはならないものとして映画に刻みつけようとしているのだと思うのです 晩春という題名 確かに冒頭の北鎌倉は桜も終わった明るい陽光に満ち溢れています 服部が紀子を誘った東京劇場のバイオリンの演奏会は4月28日開催でした 服部が婚約者が在りながら自分を誘ったことになんとも不潔だと紀子が怖い顔で歩くシーンはその前の切れない沢庵問答の時の笑顔との落差が効いています 能の演目は杜若(かきつばた) つまり初夏の花です 紀子が途中で三輪秋子に気付いてからみるみる不機嫌になるシーンは心に残りました 終盤の京都の清水寺には修学旅行とおぼしき女学生達が冬服で散策しています 紀子は半袖ですが、周吉はカーディガンを着ています つまり父娘の京都旅行は初秋頃です ラストシーンでは父周吉が独りリンゴの皮をむきますから、紀子の結婚式は晩秋から初冬だろうと思われます では何故本作は晩春という題名なのでしょうか? それは劇中の季節を指しているのではなく、紀子の事を指しているのだと思います 遅い春がようやく彼女にも訪れたという意味なのだと思います 上野の料理屋の多喜川の主人が西片町にお住まいの頃云々と話ます その地名は東大前と本郷の間にありますから、周吉は東大の教授なのでしょう 京都の旅館で明日帰るという夜 父娘は布団を並べて眠ります その時床の間の壺が意味ありげに長く撮されます 色々な解釈がされているようです ユング的には壺は女性を象徴しています その空洞の内部に全てを呑み込み、そして産み出す存在なのです つまりエディプスコンプレックスを説明しています 果たして翌朝、彼女は結婚したくない、周吉といつまでも暮らしていたいと言い出すのです この時初めて周吉は雄弁に彼女に話しかけるのです 今までになかったことです こんなことはできない人物です なのにこんなにも話すのです それがラストシーンとの対比を強めているとおもいます 周吉は独りの家に戻り暗い台所でリンゴの皮をナイフで剥きはじめます そんな事は紀子がしてくれることで、危なっかしい手つきです 彼は慟哭はしません 周吉とはそんな男ではないのです これで良かったのだと言い聞かせているのです 結婚式に向かうシーンで杉村春子がバックを二つもって退場しようとしてまた戻って忘れ物がないかぐるりと部屋を一周してから階段を下りていくのです 素晴らしい小技で参りました エンドマークは鎌倉の夜の海が写されます 寄せては返す波 それははるか昔から同じ光景であり 周吉と紀子のような嫁に行かせる話はその波のように太古から繰り返し繰り返し同じことがあったことなのです 素晴らしい余韻が残る、日本の最良の部分を残すことが同時に世界的に普遍性のある物語にまで昇華しています 本作の12年後小津監督の遺作秋刀魚の味が撮影されます ほとんど本作のセルフリメイクと言える内容です 本作をより整理して父が嫁に行かせる物語により焦点を絞りこんでいます 監督の本作への再挑戦だと思います 是非合わせてご覧下さい
・前半は全体的に穏やかな日常だけど、紀子の感情に不安定さがちょいち...
・前半は全体的に穏やかな日常だけど、紀子の感情に不安定さがちょいちょい出てくる ・本音をぶつけた時に少し泣く ・話が大きく動いてから最後にかけてボロ泣き
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