「皮肉すぎる国策映画の表と裏」ハワイ・マレー沖海戦 TRINITY:The Righthanded DeVilさんの映画レビュー(感想・評価)
皮肉すぎる国策映画の表と裏
1942(昭和17)年、実際の真珠湾攻撃及び、マレー沖海戦の翌年に製作された、いわゆる国策映画。
今回、劇場で観たヴァージョンでは、冒頭、この作品が戦時中に製作され、戦後再公開するに当たって、修正を一切加えていない旨の簡潔な解説が付されていた。
反省材料もしくは反面教師的な資料として観賞されることを企図したものと推察できるが、反戦表現などはないものの、若者が軍隊に取り込まれていく経緯や、神頼み的な感覚のなか、戦争に突入していく様子などから、現在では反戦的作品という位置づけから語られることも少なくない。
同じく戦意高揚が目的で製作されながら、戦後、反戦のシンボルとなった作品に、小早川秋聲の絵画『國之盾』(当初の画題は『軍神』。軍部からの発注で製作したのに受け取り拒否され、のちに改題)がある。
『國之盾』が視覚的インパクト絶大なのに対し、本作を反戦作品として受け止めるには、順を追って作品を読み解く必要があるかと思う。
飛行機が好きという単純な理由で予科練(海軍飛行予科練習生)を志願する主人公の少年・友田義一。入隊先では競技を通した厳しい鍛錬こそあるが、みな和気藹々として牧歌的で、教官もまるで林間学校の引率者のよう。鉄拳制裁など、まったく無い(そんな訳ねーだろ!)。ただ、友田少年が最初に受ける洗礼は、上官による「精神講義」。
ここでの教えは単なる根性論ではなく、軍隊に必須の絶対服従や自己犠牲が強調される。この段階で、国民(特に若者)が消耗品として手段化される刷り込みが始まっている。
その点では主人公の生い立ちに関する描き方も同じ。
美しい姉妹とともに屈託なく育った友田少年の家が、物語が進むなかで、母子家庭であることが示唆される。
出征して息子が戦死すれば、養子を迎えない限り、友田家は途絶えてしまう(作品冒頭、主人公が地元青年に家族の説得を嘆願するのはそのため)。
それでも義一を送り出したあとの母は気丈にも「うちには息子はもういない」と言い張り、美徳として描かれている。
つまり、このようなひとり息子の家庭でも志願兵を出しているのだから、ほかの家庭ももっと戦争に協力して当然と呼び掛けているのだ。
主人公の友田義一を演じたのは、当時の新鋭・伊東薫。
のちに小津安二郎作品の常連となる大女優・原節子や、ともに戦後の東宝を支え、TVドラマでも活躍した藤田進や河野秋武らに囲まれて堂々主役を張った伊東は、この作品の製作/公開の翌年、たった20歳の若さでこの世を去っている。
死因は戦死。
しかも、映画の初公開と同じ月(1947年12月)に召集され、翌月(1948年1月)に中国で死亡している。映画が大ヒットし、軍部にとって恰好の宣伝素材になり得た筈の彼の身に何が起こったのか、自分なりに調べても詳しい事情には辿り着けなかった。
国策映画の主役を務めた直後に召集された伊東の眼には、セットではない本物の戦場はどのように映り、最後に何を思って逝ったのだろうか…。あまりにも切なく皮肉な彼の最期を惜しまずにはいられない。
伊東が演じる劇中の友田志願兵は、初年度から休暇がもらえるとは思わず、電報を打つ暇もなかったと言いながら、しっかり家族へのお土産を用意して帰省している。
その手回しの良さなら、飛行機乗りより調達部署の方が適ってそうだが、彼のその後は詳しくは描かれずじまい。
現実の日本は戦局悪化に歯止めがかからず、いっそう国民の犠牲を強いる事態に。
そうした状況下で生まれた神風特攻隊は友田の所属した海軍の発案。伊東薫や友田義一のような有用な人材が玉砕や散華の美名のもと、数多く戦火に投入されていくことになる。
作品の前半が友田少年兵の成長譚で占められるのに対し、中盤からは開戦への動きと作戦の遂行が描かれ、最後は日本軍の堂々たる勝利を印象付ける勇壮な軍艦マーチで映画は幕を閉じる。
そんな中で物語の終盤、傍受されるラジオからはアメリカのジャズやバラードが流れてくる。
敵国がダンスパーティーに耽っていることを揶揄するシーンはあるが、不思議なことに音楽を批判する描写はない。
これらの音楽が敵性音楽として全面禁止されるのは作品公開の翌年1月。それ以前からも演奏や鑑賞はタブー視されていただろう。でも、この映画の演出上なら挿入も可能。国策映画なのに、敵性音楽も楽しめるという訳。
音楽だけでなく、映画も含めて何もかも戦時下の統制を受けることへの、せめてもの腹いせ。そこまで想像するのは考え過ぎ?!