母恋星
劇場公開日:1949年6月12日
解説
企画は新人長曾我部隆、脚本は新興時代活躍した波多謙治が終戦以来初の筆を執る。安田公義の「最後に笑う男」につぐ監督、キャメラは「山猫令嬢」「千姫御殿(1948)」の武田千吉郎で、主演は「母三人(1949)」の三益愛子と夏川大二郎が顏合せるほか「手をつなぐ子等(1948)」「忘れられた子等」につぐ島村イツマ「花くらべ狸御殿」の喜多川千鶴「地下街の弾痕」につぐ高田稔らが共演してテイチク・レコード株式会社の提携で作製される。
1949年製作/85分/日本
配給:大映
劇場公開日:1949年6月12日
ストーリー
市橋家の一人息子、高行は小間使お澄の方に宿した子供を、父高秀にたくして勉学専心、外国に旅立った。三年たったら二人ははれて結婚するつもりだった。しかし高秀は執事の向井を計って、運転手坂上に納得の上お澄を縁組ませようとした。その婚礼の夜、お澄は単身市橋家を後にした。--流れ流れて--産れた高夫はもう中学に進学する年になっていた。その成績優秀な高夫もお澄の女手一つでは、入りたいと願っても中学にさえ進むことは出来なかった新聞売りをしていた高夫が、売場争いで難儀しているところを偶然に救ったのは、すでに洋行から帰って康子と家庭をもっていた父高行だった、高行はそのかいごうまで、留守中にお澄が運転手坂上と結婚し、平和な生活を営んでいるとばかり思っていたのだった。十数年ぶりで高行はお澄と対面することが出来た。お澄の貧しい生活にひきくらべ、将来を考えればやはり高夫は父高行にひきとられて進学するのが一番よいとさとったお澄はなみだをのんで高夫を手離す決心をした。市橋家にひきとられた高夫は第二の母康子に一向なつかなかった。ついに実母お澄の家ににげ帰った高夫は、高行がわざわざ迎えに来てもはなれず、高行はむなしく帰っていった。その夜のことだった。急病の母を助けるために薬局で高夫は盗みをしてしまった。巡査神谷の好意で、ことなく済んだが、お澄は高夫の将来を思い、心をおににして京都の市橋家に帰してやった。お澄が帰宅してみると、坂上が留守に上りこんで、持参の酒をのみあげくの果てお澄に言いよってきたので乱とうとなりお澄はあやまって坂上を殺害してしまった。--それからまた十数年の月日がたったお澄は刑期より早目に出ごくが許されたが、市橋家の知らぬ間に自ら行方をたったのである。高夫の義母康子が死に、いまは晴れてお澄を市橋家にむかえるために、行方をたずねているのだ。高夫はすでに成人して三島医博の令嬢弓子と婚約の仲だった。そのお澄をさがし出すために、その物語が浪曲にくまれてある夜大阪の大劇場で、広沢虎造、寿々木米若によって全国に放送されたそしてついに高夫の努力が報いられて、十数年ぶりに母子は再会の日にめぐまれたのである。