PERFECT BLUE パーフェクトブルーのレビュー・感想・評価
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ブラック・スワンの元ネタとか
ハリウッド映画「ブラック・スワン」の未承諾元ネタがこの映画だと知って見てみた。
(R15だったようでフラッシュバックの危険性がある人は見ない方が…)
インターネット黎明期の作品らしく分厚いパソコンやテレビデオが懐かしい。
絵がうま怖い。一般的な外見と思われる人たちが何だか全員恐ろしく性格悪そうに描かれる。ヤバいやつはとびきり怖く描かれる。
中身は当時の殺伐とした時代を反映したもので、売れないアイドル、群がるカメラ小僧、未成年を簡単に脱がしたり襲われるシーンを撮りたがる大人どもと心冷え冷えする。
アイドルに限界を感じ女優に転身するといっても1から演技の勉強するわけでもなくただ生き残りをかけてるだけ。見る方も事務所にゴリ押しされただけの下手な役者などみたくないのに。際どいシーンをこなしたり脱いでこそ女優扱いな風潮もおかしいが。
不思議なのが勝手に「未麻の部屋」なるサイトを作られ、日記もストーカーしてるとしか思えない内容なのに未麻は事務所にもマネージャーにも誰にも相談しない。
事務所の社長が未麻宛の手紙が爆発したことで相当の出血だったのに軽傷で済み、警察に届け出なかったのも謎。ニュースになればある意味名を売るチャンスでは?
つきまとい警備員の存在にしろストーカー規制法がない時代にしても「何で周りに相談しないの?」ということ続出。
その後も現実か幻影かドラマの撮影か分かりにくく展開し、主人公が精神的に参ってるのは確からしい。
レ〇プシーンはTVドラマで未成年だろうにこんな撮影までさせる?酷すぎ!と思わされた。(当時のTVは平気で未成年のヌードやグロシーンを平気でだしてたことを思い出す)
それらも実は未麻もストーカーも存在せず、主人公はタカクラヨウコという名で、街でモデルにならないかと騙されストリップ劇場に出る羽目になり集団レイプされたショックで、生み出された別人格!
と思わせる場面が出てきたことで納得しかけた。レイプシーンがリアルで悪質なのは撮影じゃなく本当にあったから。誰にも相談しないのもストーカーの監視力が半端ないのも幻影だから。
酷い。せめてレイプ魔を殺してくれたなら…せめて逮捕されてたらいいのによくある加害者野放し?
と思わせてから女優未麻としての話がまだまだ続き「?」で実は黒幕はこの人でした!とくる。
(先にレビューで「このアニメめヤバいやつは目が離れた顔に描かれる」と読んでしまっててこの人信頼できそうなのに目離れてる…と思ってたら案の定。ネタバレだった)
ほとんど黒幕がやったことで未麻は実在し人気女優になれてると思えたほうがまだ後味いい。
でも未麻が何が現実かわからないほど不安定になっていた理由は?
ブラック・スワンの元ネタだけどこちらも「世にも奇妙な物語」初期の傑作「女優」を思わせるストーリー。
何が現実で妄想なのか誰が実在したのかわからないという話にしたかったのかもしれない。
色あせない青
imdbに公開当時(1998年)のパンフレット画像があった。
パンフレットには大友克洋とロジャーコーマンと藤井フミヤの賛辞が載っていた。
そこで大友克洋はこう書いていた。
『これは、アニメーションと云うカテゴリーで作られ、映像作品と云う意味を持ち得ているすばらしい作品です。監督の今敏君の中では、アニメも実写も既にボーダレスで、彼の前にあったのはいかに面白い映像作品を作るかという事のみであり、そのために費やされた努力に拍手を送りたいと思います。様々な映画ファンにぜひ見て欲しい作品です。アニメーションの進化はデジタル化ばかりでなく、本来のエンターテインメントに向かっているのです。』
これはアニメであることに囚われずにつくった結果、PERFECT BLUEはアニメ映画としてでなく、たんに映画として人々に認知され評価されたという現象を、これより10年前の1988年にAkiraをつくった大友克洋が敷衍したものだ。
そしてPERFECT BLUEが、人々の記憶の映画棚に、アニメ映画という注釈やカテゴライズ抜きで並べられていることが、喜ばしい方向性である──と大友克洋は1998年PERFECT BLUEの賛辞として述べたわけである。
アニメ映画を見るときに「アニメ映画を見る」という身構えで見るわけではない。わたしはそうだ。
最近ルックバック(2024)を見たときも「映画を見る」つもりで見たし、宮崎駿や新海誠の新作を見るときも、映画を見る──つもりで見る。
クリエイターの目的が『いかに面白い映像作品を作るか』であるなら、観衆の関心は『いかに面白い映像作品』たりえているかであって、アニメか実写かに仕切りを設けていないのが一般的な観衆の視聴態度であろうと思われる。
しかし。
現実には、日本の実写映画は、日本のアニメ映画にくらべて、圧倒的につまらない。
クリエイターが実写にするかアニメにするかを題材に合わせて選んでいる──わけでもない。
今敏、宮崎駿、新海誠、細田守、押井守、大友克洋・・・そういった優れたアニメーターの作品世界や精神性を、日本の実写映画で見たことがあるだろうか。わたしはない。
両刀づかい(アニメも実写も扱える)なのは庵野秀明だが、逆に言うと庵野秀明くらいしかいない。
最近、藤本タツキ&押山清高のルックバックを見たが、日本の実写映画では見たことも聞いたこともないアイデアやセリフが、アニメ映画では出てくる。
本作PERFECT BLUEはダーレン・アロノフスキーが惚れ込み、入浴シーン(上からの俯瞰と、顔を湯にうずめて叫ぶ)が、ほぼそのままRequiem for a Dream(2000)で使われ、オマージュであることをアロノフスキー本人が認めて打ち明けているが、海外の映画人に(かつての黒澤明などはともかくとして)模倣される日本の実写映画があるだろうか?
たとえばNope(2022)の監督ジョーダンピールは、Nopeの前提やモンスターのインスピレーションを新世紀エヴァンゲリオンの天使から得た──と明言している。
今そのように影響を与える日本の実写映画はあるだろうか?
結局、日本の実写映画の製作者たちとアニメ映画の製作者たちは、180度違う人種であり、180度ちがう畑だ。
加えて、すべてがそうだとは言わないが、あきらかにアニメ映画の作り手のほうが実写映画の作り手よりもアタマがいい。
だいたいにおいて、日本の実写映画撮影現場は、いみじくもPERFECT BLUEのキャラクター、アイドルから転向した霧越未麻の境遇のように、女優デビュー作品からいきなりレイプシーンをやらされる──というような昭和四畳半下張りの世界線なわけである。それは令和の今も変わっていない。そんな旧態依然の環境に「本来のエンターテインメントに向かう」意向なんてあるはずがない。
しばしば指摘していることだが、ポルノを出発点とする日本の実写映画人の野心の根底には「(女優と)やれるかもしれない」というのがあったはずだ。全員がそうだったとは言わないが、下心が映画製作の原動力となったのは間違いないと思う。現実に性加害が判明した監督がいるではないか。いわんや旧世代・長老たちなら尚更である。現場には女優たちの泣き寝入りが数知れず転がっていることだろう。
真のエンタメは、アニメ・実写の垣根をもたない──という大友克洋の言説は、よく理解できる。
時代が巡って今2024年、ますますその通りだと思う。
しかし、映画を見慣れている人で、日本の実写映画と日本のアニメ映画のクオリティの差を知らない人は一人もいない。アニメと実写はおなじ日本製でも全然デキの違う兄弟なのである。
つまり観衆はアニメでも実写でも、どちらでもいいのだが、もし実写の製作環境にこのスクリプトを渡していたなら、PERFECT BLUEはつくられたとしても埋もれていた──と言いたかったわけ。
ロジャーコーマンは賛辞に寄せこう述べている。
『驚異的で、パワフルな作品だ。もし、アルフレッド・ヒッチコックがウォルト・ディズニーと共同で映画を作ったならば、きっとこのような作品ができただろう。』
そのとおりだが、もし日本の実写映画人にこのスクリプトを渡したばあい、これはヒッチコックではなく、ロマンポルノ路線へ奔っただろう。それが日本(実写)映画のわかりきった運命なのだ。
そもそも、この映画PERFECT BLUEは、実写映画として構想されていたのが製作段階で出資者が撤退したためアニメになったのだという。
実際にアニメでなければ埋もれるはずの映画だったわけである。
『カルトなテレビドラマのマニアとして知られていた竹内は当初、実写映画を想定していたと言われるが、資金調達が困難だったので、企画はオリジナルビデオに、さらにオリジナルビデオアニメ(OVA)に格下げされた。今(敏)のところにオファーが来た時にはOVAの企画だったので、彼は映画ではなくビデオアニメとして『パーフェクトブルー』を制作した。その後、完成直前になって急遽映画として公開されることが決まった。本来、この作品は「ビデオアニメーション」という枠で作られた作品であり、その狭いマーケットの中で少しだけ話題になってそのまま消えて行くはずだった。それが、劇場映画として扱われ、世界の映画祭などに招待され、各国でパッケージとして発売されることになるとは、関係者は夢にも思っていなかった。』
(ウィキペディア、パーフェクトブルーより)
かつて見た記憶はあるが、今見たら確かに原石の印象があった。ストーカーや男たちが嫌悪感たっぷりに描かれ気味が悪く、想像していたよりもはるかに扇情的なレイプシーンがあり、現代でもインパクトは痩せていなかった。
imdb8.0、RottenTomatoes84%と89%。
今敏監督は、この後、千年女優(2002)、東京ゴッドファーザーズ(2003)、パプリカ(2006)と、怒濤の高クオリティ作品を連発したが、
『新作『夢みる機械』準備中の2010年8月24日に膵臓癌で死去。享年46。』(ウィキペディア、今敏より)
──
imdbで見つけたトリビア。
『未麻がインターネットの使い方を教わるとき使われていたブラウザはネットスケープ・ナビゲーターである。この映画の制作当時、ネットスケープは地球上で最も人気のあるインターネット・ブラウザだったが、その後徐々に人気が低下し、最終的に2008年に開発が中止された。』
インターネットの歴史年譜によると1998年(前後)はブラウザ争いのほかに、1M/秒のADSLが実用開始した年、Windows98がリリースされた年、Googleが創業・法人格を取得した年、「ひろゆき」が2ちゃんねるを開設した年、iモード(携帯電話からネットへアクセス)が開始された年。など・・・。
映画内では未麻が極度のパソコンオンチであることを描写していたがそれが滑稽なほど時代的だった。
ちなみに藤井フミヤの賛辞は──、
『アニメーションでしか表現できない主人公未麻の存在感とリアリティがこの作品の切なさと恐怖を増幅させていく。この映画は日本の新しい文化と技術でしか作れないサイコだと思う。』
90年代にこんなに複雑かつ没入させる作品があったなんて 所々難しい...
90年代にこんなに複雑かつ没入させる作品があったなんて
所々難しい表現をしているなとは思いましたが、主人公が陥っている恐怖を体験できるとは思いもしませんでした。
一度目は主人公の体験
二度目は物語の繋がりを楽しめる
2度楽しめるいい作品
四半世紀の間の映画と僕の変化
先だって観た、今は亡き今敏監督の『千年女優』(2002) が素晴らしかったので、同じ今敏作のリバイバル上映に駆け付けました。これは監督の長編デビューとなった作品です。アイドルグループを抜けて俳優になろうとする女性の周りで起きる不気味な事件を巡るホラー・ミステリー。『千年女優』と同様に現実と妄想の間の境が崩れ、観る者を困惑の中に引きずり込みます。
う~ん、中盤から、物語の大筋とは直接関係のない所で僕は突然立ち止まってしまいました。
昔から残酷場面は平気で、今も昔もスプラッター・ムービーは平常心で観る事が出来ます。その一方で、近頃すっかり鑑賞不能になって来たのが性暴力場面です。近年のコンプライアンス意識の高まりとは恐らく別に、自分の中の何かが変化してそうした場面を直視できなくなって来ました。そして、本作ではアニメでありながら生々しい性暴力場面が描かれ、僕はたちまち胸クソが悪くなってしまいました。四半世紀前ならば、こうした描写にも問題意識はなかったのでしょうね。
でも、この作品自体はドロドロしつつ強いエネルギーに満たされています。胸クソ悪いのでもう一度観る気はないけれど、近年のお子様ライス的アニメにはない力に満ち溢れているのは確かです。僕はこれをどう受け取ればいいのでしょう。僕らはそうした課題を抱えた時代を生きているのです。
考察したくなる大人向けのアニメ
絵のクオリティも高く、画面の隅から隅まで拘りを感じます。
大友克洋さん、江口寿史さんらがスタッフとして制作に携わっています。
今敏監督といえば平沢進さんですが、今作では参加していません。
殺人事件が起きたり、主人公がレイプされるシーンがあり怖いです。
すべての謎がハッキリせずに終わるので考察したくなります。
左右が逆なのは鏡の影響だとして、幻覚なのか夢なのか現実なのかTVドラマの撮影なのか、どこまで本当なのか、はてなはてな...ラストのセリフも明るく言っているのは何故なのか氣になります。
ちょっと凝りすぎ、狙いすぎのような……
『千年女優』が素晴らしかったので、本作も「是非観たい」と遠くの町まで出かけて鑑賞したのだけれど、それほど面白いとは思いませんでした(なんかえげつない感じの内容だったし)。ちょっと期待しすぎていたせいかな。
この入り組んだストーリー展開は、少し凝りすぎ、狙いすぎのような気がします。
後半になるに従って、虚と実が入り交じって観ていてわけがわからなくなってきた。
『千年~』にも、同じような手法が用いられているけれど、あちらのほうがスッキリとまとまっているように思います。
作画も『千年~』のほうがずっとよかった。本作のキャラクターは、あまり好きになれませんでした。まず未麻ですが、カットによって別人のように顔がちがいすぎる。骨格までかわっちゃってる場面がいくつかあった。それから、やたらと目が離れたキャラクターが何人か登場しますが、あれは不気味すぎて、僕は少し拒絶反応を示してしまいました。
何はともあれ、未麻があんなに追い込まれる前に、もっと早い段階で精神科なり心療内科なりに連れて行くべきですよね。
追記
本作にも『千年女優』にも、地震のシーンがあるけれど、昨今の日本の状況を予見しているようでなんか怖い。
完璧な青とは?
1998年のリバイバル上映でした。
先日、千年女優を観て気が緩んでいたんですよ。
この手の恐い系は苦手だからあらすじ読んだ時点で敬遠してたのに、つい観てしまいました。
こういうのはサイコホラーとでも言うんですかね?
とても恐かったす。
千年女優でも使われていた現実なのか撮影なのかよくわからないクルクル変わる場面転換手法によるミスリードに次ぐミスリードですっかり騙されました。
そしてやっぱ撮影だってわかっていてもエグい印象の残るレイプシーン。
物語の中の承になる重要なシーンではあるけど、見ているこっちも辛かった。
これこそ、そう思えるように作り込んだ監督の手腕なんだろうね。
苦手なジャンルの作品ではあるけど、怖さ、エグさ、闇深さ、狂気の沙汰、真犯人のどんでん返しまで描きの完成度がとても高い作品だと思います。
が、何度もは見たくはないですね。苦手なジャンルだし、怖いし、辛くて重い気分になる。
ところでタイトルは何で PERFECT BLUE なのだろう?
時代を感じますが・・・
遅ればせながら、近所の映画館で上映されてましたので、観てきました。まず最初の感想としては、時代を感じる・・・といったところでしょうか? チョイ売れのアイドルが、ドラマに出て、ちょっと大胆なシーンを演じたり、ヘアヌードを撮って、話題になる。あー、当時は、そういう時代だったのかな、今だと、そういう話題作りって難しいと思います。また、インターネットが普及していった直後で、そこで発信されている情報が、何でも、すごいものに感じられ、すぐに影響を受けてしまう。そういうこともあったと思います。そういう時代の物語を、改めて、今になって上映することで、若い子たちには、どういうふうに、この映画の世界観が伝わるのでしょうね。一方では、アイドル志望や、芸能界で頑張っている若い子達が、ドラマ上での役や仕事の影響を受けたり、身近で立て続けに起こる事件から、精神的に不安定になり、追い込まれてしまう。そこまで行かなくても、まだまだ精神的にも未熟なまま、大人の世界に抛りこまれ、翻弄されてしまうようなことって、今でもあるのかも知れないですね。という意味では、時代のギャップを感じながらも、現在でも十分に通用するテーマを取り上げた良作だと思います。
病んでる時にみる夢
リバイバル上映で視聴。みなさんのおっしゃるとおり、現実世界と幻覚が巧みに行き来して段々何が本当なのか、どこからどこまでが幻覚なのか、分からなくなりました。終わってからしばらくは、映画館を出てからの自分のまわりの現実世界すら疑ってしまいました。急に場面が切り替わるんじゃないか、とか...。自分がこの映画を観たことすら、幻だったのかもと思えてくる。劇場でみることができてよかったです!もう一度みたい。
ライブ音響上映 圧倒的な迫力の音響でやっと劇場で観れた! 全編、リアリティ・緊張感あふれるサイコ・スリラーの傑作!
最近リバイバル上映を行った本作ですが、この度、新宿ピカデリーの「ライブ音響上映」でも上映。
やっと観れました!圧倒的な音響でした。
女優へ転身を図るため、アイドルグループを脱退した霧越未麻は、連続ドラマのレイプシーンやヘアヌード写真集など、過激な仕事に挑戦し始める。
それと並行して、彼女の周辺で、連続殺人事件が発生するが-。
2010年、46歳の若さですい臓がんで亡くなった「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」の今敏監督の1997年の作品。
ストーリー展開、作画、美術、音楽、すべて抜かりなく緻密に作られていて素晴らしい。
冒頭から物語にぐいぐい引き込まれ、展開のテンポも速くて、一気に観てしまう。
全編、リアリティ・緊張感あふれるサイコ・スリラーの傑作です!
1991年「羊たちの沈黙」、1995年「沙粧妙子-最後の事件-」「セブン」、1997年「CURE キュア」-
製作当時の雰囲気満載です。
しかし、当初のOVAから映画公開に至った本作でも、アニメーションでこれをやるのは挑戦的だったと思われます。
過激なレイプシーンやヘアヌード写真集の撮影シーンなどが実に痛々しいです。
それが伝わるほど、作画・演出のレベルが高いということでしょう。
現実と幻覚の区別がつかなくなっていく様子などが、実に流暢に描かれています。
そしてクライマックス、犯人と対峙していく展開、サプライズ!も良くできてます。
ラスト・カットも実に気が利いてます。
唯一気になった、終盤までセリフがない警備員内田役の声・大倉正章が、悪い意味でいかにも”アニメ声”で、高すぎて違和感ありと思っていたら、Wikiによると、「体格の割に声が甲高い」という設定だったとあって納得しました。
ちなみに、アトラクションショーの司会者の声を、あの、知る人ぞ知るショッカーO野が担当!
と、後でわかりました。
まだ“ストーカー”と言う言い回しがされていなかった頃の物語
怖かった。
とにかく怖かった。
パソコンが超絶箱型で、インターネット黎明期でまだ“パソコン通信”と言われていた『アイドル氷河期』の時代の話なんだけど、四半世紀経ってもオタク・ストーカー・アタオカ勢は今も昔も何も変わっていないことがわかって超怖かった😱😱😱(※注意※オタクは何にも悪くないです!)割と常にストーカーもどきがいる身としては気を付けねばっ!と😂そして、太ったおばさんのなりふり構わないフリフリドレス姿が如何に見苦しいかもわかったので反面教師にして気を付けよ……
それでも今敏監督の作品はやっぱり好きみたい💜
ネオンテトラってか、お魚って死んだらお腹上にしてぷかぷかするんぢゃないの??
あと、ライブ音響上映は良かったけどエンドロールまで音が大きめなのはちょっと……
本物
アイドルグループ「CHAM」の霧越未麻は、あるミニライブでアイドルを卒業して女優へ転身することを発表する。
事務所の脱アイドル戦略のもと、未麻はレイプシーンやヘアヌード写真集にも挑戦し過激な路線変更をするのだが、アイドル時代のファンは大きくイメージの変わった未麻を受け入れられず、ストーカーや脅迫などの悪質な嫌がらせも増えていった。
嫌がらせは次第にエスカレートし、精神を病み始める未麻は現実と虚構の判別がつかなくなっていき……
ここ最近で1番観たかった映画を特別上映するというので。
2週間くらいの上映でそろそろ終映なのに新宿ピカデリーはほぼ満席!
その人気も大きく頷ける傑作アニメーションだった。
ストーリーと大まかなタネは分かるんだけど、「で、結局なんだったの?」と、この作品の核となる部分が一回観るだけではイマイチ掴めない。
ネットの解説記事や考察動画を観れば、なんとなく腑に落ちるのだが、ふわふわした気持ち悪さが残るような気もする。
ただ、それがこの映画に合っていて良い。
今敏監督作品はこれで3作目になるが、言葉では言い表せないモゾモゾ感がどの作品にも違った形であって、観終わっても余韻と衝撃が残り続ける自分好みな監督だと感じた。
今作はすごい好きか?と聞かれた微妙だが、もし自分が映画を撮れるとなったらやりたいと思っていたことが詰め込まれていて、とにかく賞賛を送りたい。
毎作品言っている気がするが、本当に亡くなられたのが悔やまれる。
内容の考察等については前述したとおり、ネットの解説記事や考察動画を見ることをオススメする。
また、少し時間が経ったら、全て分かった状態で再鑑賞したい。
観る度に発見が増えそうな気がするので今から少し楽しみだ。
部屋
観たくて観たくて
札幌
最終日に駆け込み
1998年の映画なので
ネットがそこまで普及してなくて
昔っぽいけど
どんどんこの映画に、入り込む
いや、のめり込む?
グイグイ引き込まれて
今敏監督の手腕なのか
凄い
皆さん好評通り
怖かった
悪いやつは目が離れているのがサイン
もっと早くに観ておくべきだったと思える名作。今敏監督は『パプリカ』...
もっと早くに観ておくべきだったと思える名作。今敏監督は『パプリカ』も好きだが、本作がデビュー作とはすごい。『ブラック・スワン』の元ネタという話も有名。ご存命なら今どんな作品を生み出してくれていただろう。
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