PERFECT BLUE パーフェクトブルーのレビュー・感想・評価
全102件中、1~20件目を表示
追い詰められる主人公と、翻弄される観客
主人公が精神的に追い詰められていく中で、
妄想・現実・劇中劇の3つの物語が混ざり合い、
観ている側は何度も騙され、そのたびに画面へ強く引き込まれました。
そんな入り組んだ構造の物語が、最後にはすとんと腑に落ちる着地を見せてくれて、
本当に面白かったです。
グロいシーンもあるので気軽には勧めにくいですが、
可能であればぜひ劇場で体験してほしい一本です。
アニメだから描けたのかもしれない
虚構と現実
現実と幻想、虚構が混じり合う
今敏監督の作品を観るのは本作が初めて。前回のリバイバル上映を見逃していたので、今回の1週間限りの限定上映を楽しみにしていた。
今から見るといかにも低予算なつくりで、キャラクターデザインや声優も安っぽい感じがするが、画面から溢れ出る下世話なパワーと、場面転換の鮮やかさに惹きつけられる。ミステリーとしても、犯人像が二転、三転して飽きさせない。
題材的には実写向きに思えるが、実写にしたらあまりに生々し過ぎるし、同じカットを虚実どちらにも使えるというのはアニメならでは。後半に行けば行くほど、主人公の現実と、過去の自分の幻想、さらに撮影中のドラマの虚構が混じり合って、主人公と一緒にのたうち回るような感覚をもたらす。
ダーレン・アロノフスキーが本作を偏愛しているそうだが、確かに「ブラックスワン」のモチーフの一つにはなっているのだろう。
今敏監督はこの後、現実と虚構というテーマを深化させた作品を創っていき、道半ばで倒れてしまったが、今更ながらその道をこれから辿ってみたい。
恋はドォキ‼ドォキ‼するけど 愛がラァヴ♡ ラァヴ♡するなら~
と、聞いているうちにドンドン脳みそが耳から垂れ流れていきそうな歌詞が粗製乱造のチープな打ち込みサウンドにのって唄われ、フリフリの衣装でヌルヌル踊る3人組。1997年(日本公開は1998年)と言えばもう安室奈美恵はギャルのカリスマで結婚した年だし、SPEEDだってブレイクしていた訳で、唄って踊る女性シンガーはエナメルかナイロンの衣装に身を包み“アイドル”ではなく“アーティスト”と呼称されていた時代である。そんな時代にコレはどう考えてもダサいのだが、キャリアの岐路に立たされた主人公:ミマの日常がインサートされながら描かれる彼女のラストステージの模様は、否が応でも作品世界に惹き込まれる圧巻のオープンニングである。そしてなによりどう聞いてもチープなハズなのに脳裏にこびり付いて離れないこの曲、「愛の天使」……。本作にはいくつかのヴォーカルソングが流れるのですが、私はこの作品を何度見てもやっぱりこの曲しか頭に残らず、気付くとミマたちのステージを一眼レフ越しに見つめる“追っかけ”たちと同じ死んだ魚の目をしながら口ずさんでいるという恐ろしい曲なのです。(それにしても飛んできた空き缶を踊りながら躱すミマリンは何度見てもかっけぇー!)
そして後はもうただただシーンを巧みに繋げ時間を自在に操る今敏監督の手腕に惑わされるだけの90分。扱った題材と監督の映画哲学と演出技量の嚙み合い具合はもしかしたら「千年女優」(02年)など後の作品の方が高い次元にあるのかも知れませんが、私にとっては監督の処女作である本作が一番丁度よく楽しめる範囲の混乱具合で好きです。「羊たちの沈黙」(91年)のヒットから日本でも爆発的に(何なら今もなお)制作されたサイコスリラー。本作はその中でもストーリー自体はかなりシンプルな方だと思うのですがそれを抜群のセンスで編集し、このジャンルのトップレベルの作品にまで押し上げている感じなのです。
私のような素人にも分かり易く映画作品が“編集”という作業でどれだけ印象が変わるのかを教えてくれた作品であり、巧みな編集技術はもちろん、編集した後のシーンの繋がりを意識してキャラクターの動かし方(演技)や画面の構図が計算されているのだろう事が察せられ、分かり易く凄いと感じるのです。(本作と同じように私に“編集”の重要性を教えてくれた作品にクリストファー・ノーラン監督の「メメント」(00年:DVD特典の時系列編集版と見比べて)と「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」(89年:テレビ東京放送版とノーカットのビデオ版を見比べて)があります。)
所属事務所の方針でアイドルから女優への転身を図る主人公:ミマ。ミマが演じるドラマの登場人物:ヨウコ。そしてヨウコはドラマの中で自分を姉のリカなのだと思い込んでいるという、多重構造の上にさらに身に覚えもなく更新され続ける自分のホームページ。アイドルを続けていた場合のミマ。そのアイドルを続けたミマもミマ自身が思い描く理想の自分なのか?他人から『こうあって欲しい』と求められる他人にとっての理想の姿なのか?それらが判然としないまま幾重にも折り重なり、クンズホグレツしつつ入れ替わりながら複雑に絡み合って次第に混乱の度合いを強めていくミマ。そしてそれを観る観客もミマと一緒になって混乱していく事になるのですが、映画という虚構を観客という立場で観るのなら、この混乱も楽しい体験へと変わる。そんな極上の体感型の面白さも持った娯楽映画なのです。
本作は非日常的な体験をさせてくれる映画ではありますが、その娯楽性は【『やっちまった!』と思った瞬間に目が覚めて『夢だったのか…』と胸を撫でおろす】という、誰もが経験したことがあるであろう感覚を基にしていると思いますので、普遍的な面白さを持った映画だと思うのです。ですが結構いろんな角度でエグい描写が多いのでその点人を選ぶのかも知れません。ただ今回劇場でのリバイバル上映を鑑賞してきて驚いたのが、女性の多さ!制服を着た女学生や、私と同じ年頃の淑女に、迷彩柄のダウンを羽織ったすんごいアグレッシブな音楽が好きそうな女子の姿まで様々で、私のような死んだ魚の目でミマリンを見つめるオッサン連中は割と少なかった印象です。
私はそもそも今回、劇場へは「ガメラ 大怪獣空中決戦」(95年)のリバイバルを観に来たのですが、劇場のスケジュールに「ガメラ~」の後に約1時間のインターバルで本作が上映される事を発見した瞬間、頭の中で『恋はドォキ‼ドォキ‼するけど~』と、あのメロディーが甦ってしまったので観てきました。連休中の人でごった返す映画館はしんどかったですが、どうせ皆他の作品を観にきているのだろうと高を括っていたのに、スクリーンに入ると両作とも大盛況なのです。さすがに一月前に観た「もののけ姫」(97年)程の入りではないのですが両隣にミッチリ人が座った前から3列目の席でスクリーンを見上げての鑑賞でした。この席しか取れなかったからなのですがスクリーンの間近で見ると描かれた線の擦れや背景とセルの間の影まで確認出来て、作り手の痕跡を見られた気がしてこれはこれで趣のある鑑賞体験でした。
何故いま本作がリバイバル上映されたのかな?と思ってみると今敏監督が早逝されてかもう15年も経ったことに気づき、改めて失われた才能の非凡さに思いを馳せずにはいられないのです。
みえみえの釣り餌に食いついてしまった
私は本当に
アニメ初のサイコスリラーと言われる今敏監督の劇場デビュー作品。
アイドルから女優に転身した霧越未麻。アイドル時代とは違う役割を求められながらも仕事をこなしていく。しかしインターネットに起ち上げられた自身のファンサイトにはそんな自分を見透かしたような日記が投稿され、周囲では事件が起き始める。
これは私が書いたの?
事件は誰が?
あなたは誰なの?
私は正気なの?
ストーリー的にはそこまで珍しいものではないが、アニメーションならではのイマジネーション的なダイナミックさと同じ絵をコピー出来るという反復性が、現実と虚構の混乱にリアリティを与えている。
インターネットの中の自分、アイドルとしての自分、女優としての自分、そして本当の自分?
未麻の混乱はそのまま観客へも移っていく。
客席に座りながら現実と虚構の間で揺さぶられ果たして自分は正気なんだろうかと疑う自分がいた。
20年振り位に観たと思うが、当時はアニメーションでどういう表現が出来るのか。実写でやっても構わないことをアニメーションで表現する意義が強く意識されていた時代だったように思う。
現実と虚構が入り混じる作品スタイルは今敏監督のオリジナリティ。
早逝が惜しまれる監督だった。
偶像
先日、旧劇エヴァを観に行った時に予告編で流れ、観たい!と思い調べてみたら一日一回の一週間の上映
発売日にチケットを買ったら、その後すぐに完売になっていました
ネタバレがイヤだったので事前情報は一切頭に入れずに観てきました
最初のクレジットに大御所ネームがたくさん見受けられて改めて(凄い作品なんだな!)と前のめり気味に
かなり精神的にパンチのある作品でした
信じていたのに……っていうダメージ
そして何が真実なのかもわかりません
果たしてラストが真実なのか架空なのかもわかりません
脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感じ
理解はできなかった
でも!でも!!とても良かった!!
絵面がとにかく素晴らしく、丁寧で独特の暗さと美しさ
この映画のために作られたであろう、曲の出来もものすごく良くて
同行者に話したらCDが発売されていたとのこと
ヒロインにぴったりの、良い曲ばかりでした
逆にそのぴったり加減が残酷です
もう一回、配信で観ようと思います
ラストを知ってるからこそ、見えてくるものがたくさんありそうです
90年代の空気と共に。
リバイバル上映を鑑賞しました。上映時間は長くありませんが、物語が入れ子構造のように進んでいくため、意識が揺さぶられる独特の難しさがあり、とても引き込まれました。
また、当時の文化やファッション、家電などが丁寧に描かれており、90年代の空気感にふっと戻るような懐かしさもあった。
アニメーション作品として完成度の高い一本なのでしょう。
【ストーリー本線を追うのに必死になる作品】
執着と狂気
こんなアニメ作品があったとは!!かなり衝撃的でした。まずカット割りが絶妙で、一瞬、呆気にとられます。しかも、それが単に奇をてらったものではなく、物語の展開に必要不可欠な技であるところが、観ている気持ちとぴったりフィットします。今敏監督が入れ子構造の作品を作りたかったと語っていましたが、現実とドラマの話と幻想とが縦横無尽に入れ替わるため、観ていて非常に混乱しますが、そのこと自体が主人公・霧越未麻の心理状態を表しており、観客は作品を観ているというより、作品の中にいるかのような感覚になります。今作が描いているアイドルの消費期限(若さへの執着)や熱狂的ファン心理、虚構と実像の乖離などは、今作が公開された1997年よりさらに今日的なテーマになっているようにも感じます。なかなか見応えのある作品でした。
曲もよかった。♪
夢と現実の境を曖昧にして描かれる歪んだファン心理
【イントロダクション】
竹内義和による1991年発表『パーフェクト・ブルー 完全変態』を原案に、『千年女優』(2001)、『パプリカ』(2006)の今敏が劇場映画化。
アイドルを引退して女優業に転向した女性が、芸能界での過酷な仕事やストーカーからの被害により、次第に夢と現実の区別がつかなくなっていく過程を描くサスペンス・スリラー。
脚本には、実写・アニメ共に経験豊富な村井さだゆき。
【ストーリー】
売り出し中のアイドルグループ「CHAM(チャム)」に所属する霧越未麻(きりごえみま)は、グループを脱退して女優業に転向する。自身のラストライブとなるミニライブは、マナーの悪い常連客と警備員のトラブルがありつつも、未麻は最後の舞台に立ち、アイドルを引退する。
女優業に転向した未麻だったが、早々に上手く行くはずもなく、舞い込んできた仕事はドラマ『ダブルバインド』の端役で、台詞は一言のみ。事務所の社長・田所の後押しもあり、脚本家の渋谷は、未麻に「ストリップ劇場の舞台で客からレイプされる」という過激なシーンを提案してくる。嫌々ながらも女優として成功する為だと、未麻は体を張ったシーンの撮影を乗り越える。やがて、未麻にはヘアヌード写真の撮影として、業界で“脱がし専門”と評されるカメラマンの村野からの過激なオファーも舞い込み、これに応えていく。しかし、過酷な仕事の日々に、未麻の心は確実に摩耗していった。
ある日、未麻はマネージャーの日高ルミの手伝いもあり、パソコンを購入してファンレターにあった自身のファンサイト『未麻の部屋』に辿り着く。そこには、まるでもう1人の自分でも居るかのように、未麻の性格から日々の生活までが日記の網羅されていた。恐怖に怯えながらも、未麻は日々更新されていく日記の内容を確認せずにはいられなくなっていく。
未麻は今の自分が本来望んだ姿なのか疑問を抱き始め、アイドルとしての理想の自分の姿を幻や夢に見るようになる。やがて、未麻の周囲では渋谷や村野といった過激な仕事をオファーした人物が次々と何者かに殺害されるという事件が起きていく。
【感想】
今監督の作品は、『パプリカ』(2006)を鑑賞済み。
監督のネームバリューや評価の高さから鑑賞したが、まさかこんなにも正統派なサスペンスだとは思わず(『パプリカ』のような超展開、『マルホランド・ドライブ』(2001)のような夢と現実の狭間で狂気に呑み込まれてゆく物語を想像していた)、思わぬ傑作との出会いに驚いた。鑑賞後、情報を整理して伏線となる箇所を確認したくなり、すぐさま2回目の鑑賞に手が伸びた。
また、物語の真相がクライマックスまで分からず、常に観客の予想を上回っていくのが素晴らしい。鏡やガラスを用いた夢と現実の対比が見事で、時に幻想を、時に真実を写し出す演出は、アニメーションならではの特性をフルに活かしている。現在から過去回想、夢や現実かと思えばドラマの撮影シーンといった、“何が現実なのか分からなくなる”シーンの繋ぎ方の上手さも特徴的。それがまた、観客に物語の真相を最後まで掴ませない効果を発揮している。妄想に取り憑かれたストーカーによる犯行、未麻の多重人格、夢オチ。あらゆる可能性が頭を過っては、それらが次々と覆されていく。しかし、全ての真相を知ってからなら、最初から全てが日高ルミの犯行(迷惑ファンをトラックで撥ねて重傷を負わせたのは、ルミが操ったストーカーの内田)によるものであり、ヒントは全て提示されているというフェアな作りだと分かる。原案があるとはいえ、非常に緻密で完成度の高い脚本だ。
散りばめられた細やかな伏線の数々を確認していく2回目の鑑賞もまた楽しい。
・冒頭のルミによる「未麻が可哀想」という台詞から既に、本物の未麻ではなく、かつての自分自身と未麻を重ね合わせて作り出した、理想の未麻が崩される事への抵抗だと分かる。それによって、あの台詞は「未麻の幻想に浸る私が可哀想」と聞こえてくるから恐ろしい。
・女優業への転向を告げたラストライブの帰り、ファンからの「いつも未麻の部屋見てるからね〜」という台詞が、後にストーカー視点の台詞ではなく、ルミが運営するファンサイトだと分かる仕掛け。
・未麻のストリップシーンの撮影時に、タバコの火が落ちるのも気にせず、鋭い形相で撮影風景を見つめるルミ。苦しむ未麻の姿に耐えかねて、涙を流して現場を去るのも、自らの中にある理想の未麻が穢されていく事に耐えられなかったから。
・『ダブルバインド』の最終回の撮影風景で、ドラマの結末が“未麻の演じた高倉陽子は、トップモデルの姉を殺して、自分が高倉りかとなる事で成り代わる事で救われた”というのは、ルミが未麻に成り代わろうとした事と重なっている。
・田所が未麻の次の仕事として過激なシーンのあるビデオ映画の主演を持ってきた事を知った瞬間、彼の殺害を決意した笑顔。
未麻役の岩男潤子さんの熱演が光る。幻想として現れる理想の自分、そんな自分の姿に次第に追い詰められていく未麻の姿の演じ分けが良い。アイドルとしてキラキラと輝いている未麻の姿には、常に何処かにルミの狂気が宿っているかのようで不気味さも放っている。
【アイドルという“偶像”に幻想を抱き過ぎる事の危うさ】
ラストで明かされる、一連の事件の真犯人が“理想のアイドルである未麻”を追い求めたルミの犯行であるという真実。ルミの狂気を見事に演じ切った松本梨香さんの熱演に拍手。
かつて自分も売れないアイドルとして活動し、そこからアイドルのマネージャーという立場になった彼女にとって、未麻はある種の“母親が叶わなかった自分の夢を子供で果たそうとする”という、心理学の「自己投影」の亜種と言える。ルミの場合は、未麻を追い詰めて殺害する事で、自らの期待を裏切った未麻への復讐と自らの幻想を守り、自分が理想の霧越未麻になろうとした。
アイドルとは観客に夢を与える仕事である。しかし、舞台を降りれば、そこに居るのは紛れもない1人の人間であり、それぞれの意思がある。「アイドルはファンや周囲の幻想・理想に準じるべし」という行き過ぎたファン心理は、1人の人間の人格と人権を無視した身勝手な思想である。ましてや、そこに“果たせなかった自分の夢を重ねる”というのは、狂気以外の何物でもない。
【総評】
夢と現実の境を曖昧にし、芸能界の過酷さ、夢を追う事の過酷さとそこで生きる者に向けられる行き過ぎたファン心理を描いた本作は、一級のサスペンス・スリラーとして強烈な印象を与えてくれた。
唯一気になるのが、未麻や一部俳優以外のキャラクター以外の目と目の間の間隔が異様に開いたデザイン。あれは、美醜の区別なのだろうか。ストーカーの内田含め、ファンや周囲の人々のデザインに「アイドルオタクって、ストーカーってこんなものだよね」という悪意を感じるのは、当時の時代性故だろうか。
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