PERFECT BLUE パーフェクトブルーのレビュー・感想・評価
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夢と現実の境を曖昧にして描かれる歪んだファン心理
【イントロダクション】
竹内義和による1991年発表『パーフェクト・ブルー 完全変態』を原案に、『千年女優』(2001)、『パプリカ』(2006)の今敏が劇場映画化。
アイドルを引退して女優業に転向した女性が、芸能界での過酷な仕事やストーカーからの被害により、次第に夢と現実の区別がつかなくなっていく過程を描くサスペンス・スリラー。
脚本には、実写・アニメ共に経験豊富な村井さだゆき。
【ストーリー】
売り出し中のアイドルグループ「CHAM(チャム)」に所属する霧越未麻(きりごえみま)は、グループを脱退して女優業に転向する。自身のラストライブとなるミニライブは、マナーの悪い常連客と警備員のトラブルがありつつも、未麻は最後の舞台に立ち、アイドルを引退する。
女優業に転向した未麻だったが、早々に上手く行くはずもなく、舞い込んできた仕事はドラマ『ダブルバインド』の端役で、台詞は一言のみ。事務所の社長・田所の後押しもあり、脚本家の渋谷は、未麻に「ストリップ劇場の舞台で客からレイプされる」という過激なシーンを提案してくる。嫌々ながらも女優として成功する為だと、未麻は体を張ったシーンの撮影を乗り越える。やがて、未麻にはヘアヌード写真の撮影として、業界で“脱がし専門”と評されるカメラマンの村野からの過激なオファーも舞い込み、これに応えていく。しかし、過酷な仕事の日々に、未麻の心は確実に摩耗していった。
ある日、未麻はマネージャーの日高ルミの手伝いもあり、パソコンを購入してファンレターにあった自身のファンサイト『未麻の部屋』に辿り着く。そこには、まるでもう1人の自分でも居るかのように、未麻の性格から日々の生活までが日記の網羅されていた。恐怖に怯えながらも、未麻は日々更新されていく日記の内容を確認せずにはいられなくなっていく。
未麻は今の自分が本来望んだ姿なのか疑問を抱き始め、アイドルとしての理想の自分の姿を幻や夢に見るようになる。やがて、未麻の周囲では渋谷や村野といった過激な仕事をオファーした人物が次々と何者かに殺害されるという事件が起きていく。
【感想】
今監督の作品は、『パプリカ』(2006)を鑑賞済み。
監督のネームバリューや評価の高さから鑑賞したが、まさかこんなにも正統派なサスペンスだとは思わず(『パプリカ』のような超展開、『マルホランド・ドライブ』(2001)のような夢と現実の狭間で狂気に呑み込まれてゆく物語を想像していた)、思わぬ傑作との出会いに驚いた。鑑賞後、情報を整理して伏線となる箇所を確認したくなり、すぐさま2回目の鑑賞に手が伸びた。
また、物語の真相がクライマックスまで分からず、常に観客の予想を上回っていくのが素晴らしい。鏡やガラスを用いた夢と現実の対比が見事で、時に幻想を、時に真実を写し出す演出は、アニメーションならではの特性をフルに活かしている。現在から過去回想、夢や現実かと思えばドラマの撮影シーンといった、“何が現実なのか分からなくなる”シーンの繋ぎ方の上手さも特徴的。それがまた、観客に物語の真相を最後まで掴ませない効果を発揮している。妄想に取り憑かれたストーカーによる犯行、未麻の多重人格、夢オチ。あらゆる可能性が頭を過っては、それらが次々と覆されていく。しかし、全ての真相を知ってからなら、最初から全てが日高ルミの犯行(迷惑ファンをトラックで撥ねて重傷を負わせたのは、ルミが操ったストーカーの内田)によるものであり、ヒントは全て提示されているというフェアな作りだと分かる。原案があるとはいえ、非常に緻密で完成度の高い脚本だ。
散りばめられた細やかな伏線の数々を確認していく2回目の鑑賞もまた楽しい。
・冒頭のルミによる「未麻が可哀想」という台詞から既に、本物の未麻ではなく、かつての自分自身と未麻を重ね合わせて作り出した、理想の未麻が崩される事への抵抗だと分かる。それによって、あの台詞は「未麻の幻想に浸る私が可哀想」と聞こえてくるから恐ろしい。
・女優業への転向を告げたラストライブの帰り、ファンからの「いつも未麻の部屋見てるからね〜」という台詞が、後にストーカー視点の台詞ではなく、ルミが運営するファンサイトだと分かる仕掛け。
・未麻のストリップシーンの撮影時に、タバコの火が落ちるのも気にせず、鋭い形相で撮影風景を見つめるルミ。苦しむ未麻の姿に耐えかねて、涙を流して現場を去るのも、自らの中にある理想の未麻が穢されていく事に耐えられなかったから。
・『ダブルバインド』の最終回の撮影風景で、ドラマの結末が“未麻の演じた高倉陽子は、トップモデルの姉を殺して、自分が高倉りかとなる事で成り代わる事で救われた”というのは、ルミが未麻に成り代わろうとした事と重なっている。
・田所が未麻の次の仕事として過激なシーンのあるビデオ映画の主演を持ってきた事を知った瞬間、彼の殺害を決意した笑顔。
未麻役の岩男潤子さんの熱演が光る。幻想として現れる理想の自分、そんな自分の姿に次第に追い詰められていく未麻の姿の演じ分けが良い。アイドルとしてキラキラと輝いている未麻の姿には、常に何処かにルミの狂気が宿っているかのようで不気味さも放っている。
【アイドルという“偶像”に幻想を抱き過ぎる事の危うさ】
ラストで明かされる、一連の事件の真犯人が“理想のアイドルである未麻”を追い求めたルミの犯行であるという真実。ルミの狂気を見事に演じ切った松本梨香さんの熱演に拍手。
かつて自分も売れないアイドルとして活動し、そこからアイドルのマネージャーという立場になった彼女にとって、未麻はある種の“母親が叶わなかった自分の夢を子供で果たそうとする”という、心理学の「自己投影」の亜種と言える。ルミの場合は、未麻を追い詰めて殺害する事で、自らの期待を裏切った未麻への復讐と自らの幻想を守り、自分が理想の霧越未麻になろうとした。
アイドルとは観客に夢を与える仕事である。しかし、舞台を降りれば、そこに居るのは紛れもない1人の人間であり、それぞれの意思がある。「アイドルはファンや周囲の幻想・理想に準じるべし」という行き過ぎたファン心理は、1人の人間の人格と人権を無視した身勝手な思想である。ましてや、そこに“果たせなかった自分の夢を重ねる”というのは、狂気以外の何物でもない。
【総評】
夢と現実の境を曖昧にし、芸能界の過酷さ、夢を追う事の過酷さとそこで生きる者に向けられる行き過ぎたファン心理を描いた本作は、一級のサスペンス・スリラーとして強烈な印象を与えてくれた。
唯一気になるのが、未麻や一部俳優以外のキャラクター以外の目と目の間の間隔が異様に開いたデザイン。あれは、美醜の区別なのだろうか。ストーカーの内田含め、ファンや周囲の人々のデザインに「アイドルオタクって、ストーカーってこんなものだよね」という悪意を感じるのは、当時の時代性故だろうか。
予想外に恐ろしくエロいシーンも多めなアニメだった。
3人組女性アイドルグループ「CHAM!」のメンバーの未麻。
女優という新たな夢に向かって卒業を決意するものの女優業に翻弄されていて行くストーリー。
女優として活動するものの、セリフの少ない役や、過激な濡れ場、ヌードグラビアといった仕事しかない。
未麻は葛藤しながら女優としての経験を懸命に歩もうとする感じ。
そんな中、次々と起こる意味不明な残酷な殺人事件や未麻自身の幻影が出現。
現実と幻虚、ドラマのシーンが入り乱れる展開。
観ていて混乱する始末(笑)
何が現実で、何が幻なのか?
全く分からない(爆)
ストーリーを通して不気味な謎の人物が登場。
彼はいったい何者なのか謎?
歯の矯正した方が良くね(笑)
そして誰が何のために作ったのか分からない未麻のストーカー的な日記サイト。
未麻の幻影はなぜ現れるのか?
数々の謎が出現。
頭の中が「?」マークだらけになる始末(笑)
そんな予測不能な展開の中、未麻のマネージャーである留美。
未麻に異常なほど献身的に接する様子が何だか怪しい。
終始、観る者を翻弄するような作風だったけど、ラストシーンで未麻が鏡に向かって語りかける言葉を聞いた時、それまで意味不明な謎が一気に解き明かされた様な感じだった。
本作は自分的に、かなり恐ろしい作品だった。
真夜中に一人で観るのは間違いなくヤバいかも( ´∀`)
なめてた、面白い
【アイドルに魅せられた幻達】
怒涛の展開の数々、鑑賞者も惑わされる悪夢のような繰り返しの展開に、81分間とは思えない程の内容量に感服させられました。
「人気絶頂で女優に転身した元アイドルの未麻」と「ファンの前でキラキラと輝くアイドルの未麻」。
どちらが本物でどちらが偽物か。
この両極端な二面性に、登場人物も鑑賞者も惑わされてしまっています。
アイドルの未麻が魅せる幻影。それに取り憑かれた登場人物達が躍動する物語は、思わず声を出してしまそうになる程に圧巻でした。
映画『JOKER』のように、主人公が見ているのは現実なのか幻覚なのか、目が狂わされる作品はとても素晴らしいですね。
最後、大女優に成ったであろう未麻がバックミラーに向かって「私は本物」というシーンは、最後まで未麻自身もアイドルの頃の未麻に取り憑かれているような感覚を憶え、最後の最後まで混乱させられてしまいました。
ここまで鑑賞者が頭の中で考察を張り巡らせる作品は中々出会えないと思います。
私が産まれる前の作品ですが、とても感動致しました。
アニメでしか表現できない狂気
おかしい。狂っている。
どうしてこんな映像作品が創れるのか?
先に千年女優を観て、その才能に度肝を抜かれた今敏監督。
この作品はずーっと昔から知っていたが、今の今まで観るのを避けてきた(ホラーとか怖いのは苦手)
現実と虚構(幻覚)が入り乱れていく世界。主人公がおかしくなっていくのを観る我々も徐々に虚実の区別がわからなくなっていく。
そしてラストで種明かしが提示される。
我々は一体何を観させられたのか?
主人公の葛藤も虚だったのか?何が本当か?何が幻覚か?
一切合切、説明はない。説明がないから、ずーっと忘れられない感覚を残す。
でも、「真実」が何だったのか考察しようという気持ちにはならないのだ。
それを考えて何になるのか?という気持ちになるのだ。
「わからないものは、わからないままでいい」
「不思議なものは、不思議なままでいい」
「気持ち悪いものは、気持ち悪いままでいい」
得体の知れない強烈な感覚を観る者に残す、狂気の天才による狂気の作品。
アニメを超えてる
色あせない青
imdbに公開当時(1998年)のパンフレット画像があった。
パンフレットには大友克洋とロジャーコーマンと藤井フミヤの賛辞が載っていた。
そこで大友克洋はこう書いていた。
『これは、アニメーションと云うカテゴリーで作られ、映像作品と云う意味を持ち得ているすばらしい作品です。監督の今敏君の中では、アニメも実写も既にボーダレスで、彼の前にあったのはいかに面白い映像作品を作るかという事のみであり、そのために費やされた努力に拍手を送りたいと思います。様々な映画ファンにぜひ見て欲しい作品です。アニメーションの進化はデジタル化ばかりでなく、本来のエンターテインメントに向かっているのです。』
これはアニメであることに囚われずにつくった結果、PERFECT BLUEはアニメ映画としてでなく、たんに映画として人々に認知され評価されたという現象を、これより10年前の1988年にAkiraをつくった大友克洋が敷衍したものだ。
そしてPERFECT BLUEが、人々の記憶の映画棚に、アニメ映画という注釈やカテゴライズ抜きで並べられていることが、喜ばしい方向性である──と大友克洋は1998年PERFECT BLUEの賛辞として述べたわけである。
アニメ映画を見るときに「アニメ映画を見る」という身構えで見るわけではない。わたしはそうだ。
最近ルックバック(2024)を見たときも「映画を見る」つもりで見たし、宮崎駿や新海誠の新作を見るときも、映画を見る──つもりで見る。
クリエイターの目的が『いかに面白い映像作品を作るか』であるなら、観衆の関心は『いかに面白い映像作品』たりえているかであって、アニメか実写かに仕切りを設けていないのが一般的な観衆の視聴態度であろうと思われる。
しかし。
現実には、日本の実写映画は、日本のアニメ映画にくらべて、圧倒的につまらない。
クリエイターが実写にするかアニメにするかを題材に合わせて選んでいる──わけでもない。
今敏、宮崎駿、新海誠、細田守、押井守、大友克洋・・・そういった優れたアニメーターの作品世界や精神性を、日本の実写映画で見たことがあるだろうか。わたしはない。
両刀づかい(アニメも実写も扱える)なのは庵野秀明だが、逆に言うと庵野秀明くらいしかいない。
最近、藤本タツキ&押山清高のルックバックを見たが、日本の実写映画では見たことも聞いたこともないアイデアやセリフが、アニメ映画では出てくる。
本作PERFECT BLUEはダーレン・アロノフスキーが惚れ込み、入浴シーン(上からの俯瞰と、顔を湯にうずめて叫ぶ)が、ほぼそのままRequiem for a Dream(2000)で使われ、オマージュであることをアロノフスキー本人が認めて打ち明けているが、海外の映画人に(かつての黒澤明などはともかくとして)模倣される日本の実写映画があるだろうか?
たとえばNope(2022)の監督ジョーダンピールは、Nopeの前提やモンスターのインスピレーションを新世紀エヴァンゲリオンの天使から得た──と明言している。
今そのように影響を与える日本の実写映画はあるだろうか?
結局、日本の実写映画の製作者たちとアニメ映画の製作者たちは、180度違う人種であり、180度ちがう畑だ。
加えて、すべてがそうだとは言わないが、あきらかにアニメ映画の作り手のほうが実写映画の作り手よりもアタマがいい。
だいたいにおいて、日本の実写映画撮影現場は、いみじくもPERFECT BLUEのキャラクター、アイドルから転向した霧越未麻の境遇のように、女優デビュー作品からいきなりレイプシーンをやらされる──というような昭和四畳半下張りの世界線なわけである。それは令和の今も変わっていない。そんな旧態依然の環境に「本来のエンターテインメントに向かう」意向なんてあるはずがない。
しばしば指摘していることだが、ポルノを出発点とする日本の実写映画人の野心の根底には「(女優と)やれるかもしれない」というのがあったはずだ。全員がそうだったとは言わないが、下心が映画製作の原動力となったのは間違いないと思う。現実に性加害が判明した監督がいるではないか。いわんや旧世代・長老たちなら尚更である。現場には女優たちの泣き寝入りが数知れず転がっていることだろう。
真のエンタメは、アニメ・実写の垣根をもたない──という大友克洋の言説は、よく理解できる。
時代が巡って今2024年、ますますその通りだと思う。
しかし、映画を見慣れている人で、日本の実写映画と日本のアニメ映画のクオリティの差を知らない人は一人もいない。アニメと実写はおなじ日本製でも全然デキの違う兄弟なのである。
つまり観衆はアニメでも実写でも、どちらでもいいのだが、もし実写の製作環境にこのスクリプトを渡していたなら、PERFECT BLUEはつくられたとしても埋もれていた──と言いたかったわけ。
ロジャーコーマンは賛辞に寄せこう述べている。
『驚異的で、パワフルな作品だ。もし、アルフレッド・ヒッチコックがウォルト・ディズニーと共同で映画を作ったならば、きっとこのような作品ができただろう。』
そのとおりだが、もし日本の実写映画人にこのスクリプトを渡したばあい、これはヒッチコックではなく、ロマンポルノ路線へ奔っただろう。それが日本(実写)映画のわかりきった運命なのだ。
そもそも、この映画PERFECT BLUEは、実写映画として構想されていたのが製作段階で出資者が撤退したためアニメになったのだという。
実際にアニメでなければ埋もれるはずの映画だったわけである。
『カルトなテレビドラマのマニアとして知られていた竹内は当初、実写映画を想定していたと言われるが、資金調達が困難だったので、企画はオリジナルビデオに、さらにオリジナルビデオアニメ(OVA)に格下げされた。今(敏)のところにオファーが来た時にはOVAの企画だったので、彼は映画ではなくビデオアニメとして『パーフェクトブルー』を制作した。その後、完成直前になって急遽映画として公開されることが決まった。本来、この作品は「ビデオアニメーション」という枠で作られた作品であり、その狭いマーケットの中で少しだけ話題になってそのまま消えて行くはずだった。それが、劇場映画として扱われ、世界の映画祭などに招待され、各国でパッケージとして発売されることになるとは、関係者は夢にも思っていなかった。』
(ウィキペディア、パーフェクトブルーより)
かつて見た記憶はあるが、今見たら確かに原石の印象があった。ストーカーや男たちが嫌悪感たっぷりに描かれ気味が悪く、想像していたよりもはるかに扇情的なレイプシーンがあり、現代でもインパクトは痩せていなかった。
imdb8.0、RottenTomatoes84%と89%。
今敏監督は、この後、千年女優(2002)、東京ゴッドファーザーズ(2003)、パプリカ(2006)と、怒濤の高クオリティ作品を連発したが、
『新作『夢みる機械』準備中の2010年8月24日に膵臓癌で死去。享年46。』(ウィキペディア、今敏より)
──
imdbで見つけたトリビア。
『未麻がインターネットの使い方を教わるとき使われていたブラウザはネットスケープ・ナビゲーターである。この映画の制作当時、ネットスケープは地球上で最も人気のあるインターネット・ブラウザだったが、その後徐々に人気が低下し、最終的に2008年に開発が中止された。』
インターネットの歴史年譜によると1998年(前後)はブラウザ争いのほかに、1M/秒のADSLが実用開始した年、Windows98がリリースされた年、Googleが創業・法人格を取得した年、「ひろゆき」が2ちゃんねるを開設した年、iモード(携帯電話からネットへアクセス)が開始された年。など・・・。
映画内では未麻が極度のパソコンオンチであることを描写していたがそれが滑稽なほど時代的だった。
ちなみに藤井フミヤの賛辞は──、
『アニメーションでしか表現できない主人公未麻の存在感とリアリティがこの作品の切なさと恐怖を増幅させていく。この映画は日本の新しい文化と技術でしか作れないサイコだと思う。』
90年代にこんなに複雑かつ没入させる作品があったなんて 所々難しい...
四半世紀の間の映画と僕の変化
先だって観た、今は亡き今敏監督の『千年女優』(2002) が素晴らしかったので、同じ今敏作のリバイバル上映に駆け付けました。これは監督の長編デビューとなった作品です。アイドルグループを抜けて俳優になろうとする女性の周りで起きる不気味な事件を巡るホラー・ミステリー。『千年女優』と同様に現実と妄想の間の境が崩れ、観る者を困惑の中に引きずり込みます。
う~ん、中盤から、物語の大筋とは直接関係のない所で僕は突然立ち止まってしまいました。
昔から残酷場面は平気で、今も昔もスプラッター・ムービーは平常心で観る事が出来ます。その一方で、近頃すっかり鑑賞不能になって来たのが性暴力場面です。近年のコンプライアンス意識の高まりとは恐らく別に、自分の中の何かが変化してそうした場面を直視できなくなって来ました。そして、本作ではアニメでありながら生々しい性暴力場面が描かれ、僕はたちまち胸クソが悪くなってしまいました。四半世紀前ならば、こうした描写にも問題意識はなかったのでしょうね。
でも、この作品自体はドロドロしつつ強いエネルギーに満たされています。胸クソ悪いのでもう一度観る気はないけれど、近年のお子様ライス的アニメにはない力に満ち溢れているのは確かです。僕はこれをどう受け取ればいいのでしょう。僕らはそうした課題を抱えた時代を生きているのです。
人気商売の宿命を不気味に翻弄してくる怪作
2024年劇場鑑賞63本目 名作 80点
存在は存じ上げていたが、配信で見受けられる機会がなく、丁度良いタイミングで劇場公開されたので、シモキタK2まで足を運んで堪能した作品
結論、口コミ通りの怪作で、これが25年ほど前に公開さえていたと思うと、さぞ稀有な存在で話題に上がり、特定のファンが生まれたのも頷ける存在感でした
特に後半の現実なのか幻想なのかを行き来する描写と、ハッキリと描かず説明過多にしない作りに釘付けで脱帽しました
アイドル活動を通してそれなりに有名になってきた主人公である未麻が、更なる活躍と華やかな世界に憧れ、グループを卒業し、個人での活躍の場に身を移していく
ここでまず、かつての知名度があっても、個人で売り出し、別ジャンルの現場や仕事に順応や採用してもらうのには一苦労である故に、肩書きを持っていながらも仕事を選んでいられず果敢にチャレンジしていく
そんな中で製作陣やプロデューサーに心ない仕打ちや待遇、それをかつて応援してくれていたファンやその他世間一般の方までもが、彼女を一つのエンタメとして消化してしまう始末
そこでの理想と現実とのギャップに心身ともに疲弊し、次第に混沌とした世界で彷徨いもがき苦しむも、目を覚す。そんなお話である
当方7〜8年ほど乃木坂46を追いかけていた過去がるので、卒業したメンバーが芸能界に残り、肩書きを捨て、身一つで挑んできた姿を何人も見てきたので、必ずしも想像した姿が叶わなかったり、人目から離れてしまうことも多かったことを、今作の中盤の未麻を見て思い返した
観客も主人公も翻弄してくる物語中盤から終盤の出来事は、羊たちの沈黙と言わんばかりの展開で、ミステリーとしてもホラーとしても見応えがあり、引き込まれる
とってつけたような対立キャラでなく、アイドル時代から現在まで一番近くで見守りサポートしてきたマネージャーだからこそ、親御心と嫉妬心が入り混じり、狂気と憎しみに変わるのはキャラクターとして理にかなっている
未麻も未麻で、恵まれた容姿にあぐらをかき、若くからチヤホヤされ、自信はあるも世間知らず故の無鉄砲さが、一番近くの人を弄んだり、悪意なく人の心を痛めている自覚もなさそうなのが、所謂天然美人ぽくて実に女っぷりが良い
ミステリーであり、ホラーであり、社会派でもありながら、ある種青春劇でもある今作は、壮絶なヒューマンドラマであり、25年たっても大して変わらない芸能界の縮図を見るに、向こう25年は残り続けるような、問題作である
是非
考察したくなる大人向けのアニメ
ちょっと凝りすぎ、狙いすぎのような……
『千年女優』が素晴らしかったので、本作も「是非観たい」と遠くの町まで出かけて鑑賞したのだけれど、それほど面白いとは思いませんでした(なんかえげつない感じの内容だったし)。ちょっと期待しすぎていたせいかな。
この入り組んだストーリー展開は、少し凝りすぎ、狙いすぎのような気がします。
後半になるに従って、虚と実が入り交じって観ていてわけがわからなくなってきた。
『千年~』にも、同じような手法が用いられているけれど、あちらのほうがスッキリとまとまっているように思います。
作画も『千年~』のほうがずっとよかった。本作のキャラクターは、あまり好きになれませんでした。まず未麻ですが、カットによって別人のように顔がちがいすぎる。骨格までかわっちゃってる場面がいくつかあった。それから、やたらと目が離れたキャラクターが何人か登場しますが、あれは不気味すぎて、僕は少し拒絶反応を示してしまいました。
何はともあれ、未麻があんなに追い込まれる前に、もっと早い段階で精神科なり心療内科なりに連れて行くべきですよね。
追記
本作にも『千年女優』にも、地震のシーンがあるけれど、昨今の日本の状況を予見しているようでなんか怖い。
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