典子は、今
劇場公開日:1981年10月7日
解説
サリドマイド禍を克服して、熊本市職員として働く辻典子さんの半生を本人の主演で描く。脚本、監督は「ふたりのイーダ」の松山善三、撮影は石原興がそれぞれ担当。
1981年製作/117分/日本
原題または英題:This is Noriko
配給:東宝
劇場公開日:1981年10月7日
ストーリー
昭和三七年一月、松原典子は両腕が退化したサリドマイド児として誕生した。「人間には手と足が二本ずつあるのだと私がはじめて気がついたのは五歳の時でした」高校卒業を間近に控えたある日、淡々と話す典子の言葉にクラス全員は息をのんで聴き入っていた。両腕のない典子の小学校入学の壁は厚かった。知能も健康にも優れた典子が両腕がないというだけの理由で入学を拒否された。典子の母はその時、狂ったように泣いた。「あの日から今日まで私も母も泣いたことはありません。泣いたってどうにもならないことを知ったからです」最後に、碩台小学校の先生が「この子に障害はない、手がなく不便なだけだ」と入学を許下してくれた。それ以来、典子は、残された足で何が出来るか挑み続けた。習字、そろばん、運動会のリレーではバトンをくわえて一着になった。先生にしがみつくことの出来ない典子は噛みつくことで喜びを表現した。白髪の増えた母を見て、大学へ進んでデザイナーになる夢を捨て、典子は社会へ出る決意をする。熊本市役所が公務員を募集していた。典子は二六倍の難関を突破して、見事に合格した。熊本市、市民局福祉課。足で書類をめくり、そろばんをはじく。サリドマイド児として初めての社会人の誕生だ。典子は文通を続けていた広島の障害者、富永みちこを訪ねようと決心する。はじめての一人旅を心配する母に、いずれ一人で生きていかなければならないのだからと典子は説得する。たった一人で広島にたどりついた典子は、富永みちこが自殺して世を去ったことを聞く。みちこの兄は典子を釣りに誘って、妹は障害に負けたのだと語った。「わしが可愛がりすぎたんだ」とも言った。そして「お前は死ぬなよ。負けるなよ」と涙ぐんだ。典子の竿に激しい当りが来た。横転しながら足で竿を上げる。大きなはまちが宙に舞い、小舟の中を跳ねまわる。魚を抱えこんだ典子の胸に生命の躍動が伝わってきた。