ねじ式のレビュー・感想・評価
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『もっきり屋の少女』と『やなぎや主人)と『ねじ式』と『つげ義春の半生』
『ねじ式』と言うが『もっきり屋の少女』と『やなぎや主人)と『ねじ式』と『つげ義春の半生』じゃないかと思う。
幻想的と言うが、そんな演出をしている様には見えない。つげ義春先生の創作に何も加えていないから、基本的に話の結末が分かる。すじを知っている者にとっては。
蒸気機関車がちゃちいのと、何故『外川駅』なのかが疑問だった。外川駅の夕陽は絵にはならないと思うが。
つげ義春先生のファンであるだけに、許せない作品と思う。
この映画を応援する人の中に弟さんの名前はあったが、御本人名がなかったので、本音で採点したい。つまり、評価できない。
もっきり屋の少女と紅い花を合わせて、一本の話にするとかすれば、もっきり屋の『こばやしちよじ』も生きただろうに。
~メメクラゲ~
粗悪なB級ポルノ
映像化する旨味があまりにもない気がする。
しかし石井輝男のキャリアを鑑みると迂闊にストレートな罵詈雑言が吐ち散らせないのがもどかしい。セリフを原作からほとんど変更しなかったことや、敢えてチープな撮影技法を多用していることにも何か意図があったのではないかと勘繰ってしまう。
おそらくそういった見る側のメタ的事情も織り込んだうえで撮られた単なる悪趣味映画といったところなのだろうけれど、そういうのってズルいからどちらにせよあまり好きになれない。
私が原作未読であったならばより平坦に、「粗悪なB級ポルノ」という所感くらいしか抱くことができなかったと思う。
『もっきり屋の少女』に関しては原作のバランス感覚のよさを改めて思い知らされた。これは水木しげる風に人物造形が戯画化されていればこそかろうじて文芸として成立するものであって、それを実際の人間に演じさせるとかくも不愉快で平板な児童ポルノに落ちぶれてしまうのだな、と。
完全なアート作品と見れば
嫌じゃないんですがこの古い、嫌悪感。
疎外感は消えるか
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