「「雪山」に負けた「豪華絢爛」」人間の証明 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
「雪山」に負けた「豪華絢爛」
1977年10月8日に公開された角川映画(配給東映)第2弾。ファッションショーのシーンを短く編集しようと提案された角川春樹は「豪華絢爛なシーンだから編集せずに全部見せろ」と却下し、俳優も「端役に至るまで主演級の役者を」と、あくまで豪華絢爛にこだわったそうです。
また棟居刑事役は当初高倉健にオファーしたそうですが、新鮮味がないという角川春樹の一存で松田優作へ変更となりました。高倉は笑って『久しぶりだね。俺がやるって言っているのに向うがいらないって言うのは』と全く怒らず許してくれたと、交渉役の証言が残っているそうです。
また日本映画初のニューヨークロケ、シュフタン刑事役のジョージ・ケネディのギャラは8000万円と、これまた豪華絢爛でした。
本作は莫大な宣伝費を投入したこともあり、配給収入22億円と、犬神家の一族を超える大ヒットとなりましたが、同年6月4日に先行公開、東宝配給、高倉健主演の八甲田山の配給収入25億には及びませんでした。
「戦後の混乱期の不都合なできごとを隠すために犯す殺人」という構図の映画としては
1965年に公開された飢餓海峡(監督内田吐夢、脚本鈴木尚之、原作水上勉、配給東映)があります。1975年には183分完全版がリバイバル上映されたとのことで、当時本作と飢餓海峡の両方の作品を見比べた方も多かったのでは。
飢餓海峡ではS32肺病病みの刑事(伴淳三郎)が社長(三國連太郎)を追い詰めて行きました。本作ではジーパン刑事(松田優作)が有名ファッションデザイナー(岡田茉莉子)を追い詰めます。飢餓海峡の設定は戦後12年とまだ戦争の影が色濃い時代ですが、本作は32年後。もはや戦争の記憶は遠くなった時代です。
本作を観ていていくつか疑問が湧きました。
●八杉恭子はなぜ我が子ジョニーを殺す必要があったのか?
黒人の子を生んだ過去が世間に知られたからと言って、身の破滅になるとは思えませんが。政治家の旦那に頼んで、ジョニーに金渡して二度と顔見せるなと脅して追い返せば済むのでは?そもそも彼女は黒人文化を剽窃したようなデザインの服ばかり作っており、そっちのほうが気になります。
●なぜジョニーは恭子に会いに日本に来たのか?
ジョニーの父は当たり屋をしてまでジョニーの渡航費用を工面します。しかもそれが元で死にます。まさに命がけで息子を日本に送り出した父。ウキウキで日本にやってきた息子。この父子、一体何がしたかったのでしょうか。古びた帽子と詩集まで持って。日本に遊びに来たりせず、今まで育ててくれた父の看病をするほうが大事では?ジョニーが刺された後にわざわざホテルまで行った理由はなんなのか?電飾が麦わら帽子に見えたから、と説明されましたがあまりに陳腐。恭子を守りたいなら公園でそのまま死ぬべきでした。
●八杉恭子はなぜ中山たねを殺す必要があったのか?
ジョニー殺しの証拠もないのになぜ慌てて殺しにいったのでしょうか。自分の過去を知る女性は一人だけではないのに。なにしろ殺しの動機が薄い。
●郡恭平はなぜいつも高級懐中時計を持ち歩いているのか?
バイクや車好きの不良青年がママにもらった大事なお土産の時計を肌身離さず持ち歩くなんてバカなのでしょうか。しかも母が殺人を犯した同じ日に人を轢き殺すとは、この母子、奇跡のシンクロニシティ!しかも坊っちゃんのくせにニューヨークで銃を手に入れ持ち歩くとは、何がしたいのか意味分かりません。
●棟居刑事は能力者?
八杉恭子に会うなり、戦後の闇市で米兵たちに襲われていた女性と同一人物であることに気づきます。棟居は当時幼い少年だし、あれからもう30年以上経っているし、女性は金持ちになっているし、何もかも変わっているのに鋭すぎ!ニューヨークでバディを組んだアメリカ人の刑事はなんと父の仇。ものすごい奇跡の再開が続きます。「ストウハ」→ストローハット、「キスミー」→霧積温泉と、神レベルの言語能力を駆使し犯人に迫ります。
まあなんというか、見かけは豪華ですが中身はぺらぺらの映画でした。
警視庁捜査第一課の警部を演じた鶴田浩二はなんとも官僚的で高圧的なボスでした。その部下棟居刑事(松田優作)は心の内に父を殺したアメリカ人への恨みをたぎらせる野獣のような男で単身アメリカに乗り込んでも傲岸不遜。一方ニューヨーク市警察27分署長オブライエン役のブロデリック・クロフォードと部下のケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ)はふたりとも人間味あふれる演技を披露してくれています。肩の力の抜け具合ではアメリカ警察(俳優)の圧勝でした。伴淳なら勝てたかも。大作映画ということでみんな肩の力が入りすぎのようですが、日本人俳優で力の抜けたいい演技をしていたのは高沢順子でした。さすが!