二十四の瞳(1954)のレビュー・感想・評価
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木下恵介の「船」
舞台が小豆島で、山や海、白い砂浜など自然背景を存分に活かした構図は言うまでもなく、和船、漁船、観覧船など船の描写が多くあり、櫓で舟を漕ぐシーンや出征のシーンで風になびくテープや船に揺られる人物を写したショットなど、どれもとても美しかった。
映画の中で年を取っていくでこちゃんの役作りは言うまでもなく、子ども達の顔も皆それぞれ個性があり味わいのある顔でよくキャスティングしたなあと感心するばかりだった。
劇中ではメインテーマとして「七つの子」が事あるごとに歌われる。画やストーリーと相俟ってグッと来るシーンもあるんだけど、あまりにもしつこい(しつこすぎる…)。俳優の声を使ったバージョンもあるが、基本はプロの児童合唱団が歌ったと思しきもので、もう歌が上手いわ、伴奏でハーブがボロンボロン鳴るわでなんとも言えない心地になった。更に劇伴には「七つの子」に加えて、誰もが知る童謡がキーを変えたり拍子を変えたり楽器を変えたりと様々な演奏のバリエーションでこれでもかと執拗に繰り返される。ニュアンスに合わせて使い分けていたとは思うけど、貼っていて分かんなくならなかったのかなあと思う程乱用されていた。
仰げば尊し
子供時分に反戦色の強い推薦図書として触れた記憶はあるが、改めて観て、こんな映画だったのかと感じるところが多い。反戦などは時代背景にしか過ぎない。いかなる時代においても通底する生きる不条理と尊さを描いている。
歌をめざすマスノに対する親の言い分に対して、立場をわきまえた上で搾り出す最大限の弁。安っぽい熱血やカタルシスはなく、純然たるひとりの人間の真摯な姿がある。一方では恵まれぬ家庭環境に妥協を受け入れるしかない生徒もいる。無情な結末。先生などと言われても、どのようにして正解を示すことができようか。社会に疑問を呈すれば逆風を受け、教え子が風潮に侵されゆくのを防ぐこともできず、最後は受け入れ難き結果の前に無力に打ちひしがれる。夫も奪われ、余裕も失う中起きる悲劇。青い柿をもいだ子を責めず弔う姿に涙しかない。
人生を嘆き憂いて泣き虫先生となっても、目の前に新しい子供を任せられれば、また向き合い始める。この世がいかに暗くても、光もまたあることを心の中に留めておけば、前に進むこともできる。
恩師との出会い
小説を原作とした
木下惠介監督のこの映画は
古い日本の姿を見せている。
「仰げば尊し」
それは 子供達を照らす光
物語は小豆島を舞台に
新任の教師が戸惑いながらも
子供達と向き合う。
子供達は真っ直ぐな眼差しで
教師を追い慕う。
戦前、戦中、戦後と物語は進み
それぞれ、道は分かれていく。
二十四の瞳に映っていたものは
大きく変わってゆくが
ただひとつだけ
師への恩は変わらなかった。
恩師との出会いは
人生の宝である。
木下惠介監督の演出は
映画を通じて 心に温かいものを
スッと、差し込んでくれる。
※
反戦映画でした
初めて鑑賞。純粋でまっすぐな人が損をする時代でした。子役のセリフがよく聞き取れないのが残念だった。でも自分の歳のせいかも。高峰秀子の演技が秀逸、時に歳とってからの。ラストシーンは泣ける。
反戦
今年も終戦(敗戦)の日が近づいて来ました。
世界情勢も平和ボケしていられない様相です。
戦争反対を静かに訴えるこの映画を思い出しています。
1954年(昭和29年)木下恵介監督・脚本。原作・壺井栄。
香川県小豆島を舞台にした、女性教師と十二人の教え子の、
悲劇と心の触れ合いを描いた映画です。
この映画は黒澤明監督の「七人の侍」とキネマ旬報のその年のベストテンを争い、
一位に輝いたそうです。
その秘密が少し分かった気がします。
1928年(昭和3年)
大石先生(高峰秀子)は、テーラードスーツの洋装で、真新しい月賦で買った自転車に
颯爽と乗り、小豆島の岬から遠く離れた分校へ赴任してきます。
(このシーンは覚えています・・・春風のように若くて元気いっぱいの大石先生)
大石先生を迎えるのは十二人の分校の一年生。
十二人だから瞳は二十四。(これが題名の由来です)
大石先生の分校での授業はたった半年で終わってしまいます。
男の子のいたずらで仕掛けた落とし穴に落っこちた先生は、アキレス腱を断絶して、
入院してしまうのです。
そして4年後、教え子たちは本校の生徒になって、再会です。
そして卒業までの三年間。
先生と生徒の絆は深まります。
修学旅行の金比羅山。そこで写した記念写真は、なによりもかけがえのない思い出。
こんなに、お歌が多かったんですね。
まるで「歌う昭和史」
七つの子、荒城の月、浜辺の歌、金毘羅船船・・・
フルコーラスで、かなりの時間が割かれます。
特に「七つの子」は事あるごとに歌われます。この映画のメインテーマ曲ですね。
それと「仰げば尊し」・・・高峰秀子の演じるのは先生ですものね、
学校を象徴する、昔の歌で、今は殆ど歌われないですね。
そして戦争が近づいて来て、軍国主義が盛んになります。
すると軍歌が、次々と。
昭和の十年代は軍国主義一色。
「戦争に行って、死ぬな!!」と、考える先生は、
遂に学校を辞めてしまいます。
この映画、
子供たちも大石先生もポロポロ、ポロポロ泣きます。
ともかく泣く場面の多さには驚きました。
肺結核になって、死ぬ間際の教え子と、ただただ手を取り合って泣きます。
修学旅行の金比羅山で、再会した教え子の苦労を思いポロポロと泣きます。
寄り添うこと、何もできなくても、ともかく教え子が愛しくて愛しくて泣きます。
きっとこの映画の公開された昭和29年。
敗戦後9年の日本人は泣きたかったんですね。
戦死した夫を、息子を思い泣きたかった。
飢えて栄養失調で死んだ幼子を思い泣きたかった。
満洲に置き去りにした乳飲み子、
シベリア抑留から帰らぬ夫、
あのひもじかった学童疎開の記憶、
泣きたくて泣きたくて・たまらない・・
そんな時代、人々の琴線を痛いほど刺激したのではないでしょうか?
大石先生の末の女の子も飢えて、柿の木に登り、落下して亡くなりました。
気絶する大石先生・・・泣く気力もなくて崩れ落ちました。
(そして夫も戦死です)
大石先生と二十四の瞳をした教え子たちは、
苦しかった日本人、
辛かった日本人、
負けても、だからと責められる日本人・・・
みんなの代わりに泣いてくれました。
今観ると古臭いけれど、大事な映画史を飾る一本です。
叙情性と記録性の調和が生む、静かなる反戦映画の感動と美しさ
これは間違いなく戦後日本映画の名作の中でも上位に位置する木下惠介監督の代表作である。叙情派であると同時に社会派を特徴とする木下監督が、その両面を遺憾なく発揮して結晶化した、悲しくも美しい作品。戦争と人間のテーマを先生と生徒の温かい交友で自然に描いた感銘深さが素晴らしい。観る者の多くが涙を誘われる悲劇の反戦映画という平易な説明でも間違いではないが、それはあくまでこの映画の感動性だけを意味している。
木下演出の狙いは、内容が悲しい結末に進展することを承知させながら、しかも主人公始め子供たち含めた登場人物が泣く感情的なシーンが多く続く時代の表現として、作家の眼を非常に客観的な視点に置き、その涙の強要を抑えている。無理に泣かせる演出を一切しない、この冷静さがあるから、作品の世界観に観る者が自然に入って行けるのだ。しかも、この監督の抑制された視点には、戦争と言う避けられない渦に巻き込まれた小豆島の人々と自然の調和を美しく描くことで、失われたものに対する郷愁と悔恨の入り混じった社会批評が生まれている。それ故映像として表現できるヒューマニズム映画の理想的な形が、木下監督の中にあるといえるだろう。
瀬戸内海の穏やかな海に囲まれた小豆島の自然の美しさ。その恵まれた自然に溶け込むように生活する人びとは、貧しいながらも純朴に生きている。しかし、おなご先生が自転車で通勤するだけで噂になる時代の男女差別もある。初めての授業で紹介される子供たち12人の顔の表情がいい。一人ひとりの個性を的確に捉えたワンショットの雄弁さ。この子供たちの成長を温かく描いた物語の優秀さは、原作者壺井栄の小説の素晴らしさであるが、木下演出がそれを見事に演出している。大石先生が子供たちの悪戯で作った落とし穴で足を骨折して休職、子供たちが淋しさから先生に会いに2里の距離を歩くエピソード。映像は、偽善なくこの行動を描いている。5年生になり舞台が本校に替わってからは、母を亡くした松江の生活苦から学校を止めて本土の食堂の奉公に出される社会事情がある。修学旅行で尋ねた大石先生との再会で、故郷への愛着を吐露する松江の境遇の悲痛さ。他の子供たちが松江の存在に気付かず大石先生に駆け寄り、それを陰に隠れて見詰める松江。残酷な描写と言わざるを得ないが、ここに木下演出の厳しさがある。それを補うかのような次のショットは、港を離れる遊覧船を見送り手を振る松江の姿を移動撮影で表現したシーンだ。この厳しさと温かさの木下演出タッチが素晴らしい。そして卒業を前に、11人の子供たちの将来を憂う大石先生の日本社会への批判が静かに語られる。それは没落庄屋の娘の嘆きに共鳴する大石先生の心の美しさから生まれる人間の強さでもある。
映画は最後まで12人の子供たちへの謝罪の態度を通して、けして大石先生を英雄視はしていない。たった一人の教師の存在なぞ、社会を変える力にはならないのだ。そんなことは誰もが知っている。それに対する答えが、この作品で最も衝撃的で感動的な同窓会の場面に描かれている。戦争で全盲となった磯吉青年が、小学校入学の記念写真を手にとり同級生の位置を確認する。生まれ育った故郷の記憶と生活を共にした仲間への愛着をかたる傷痍軍人の心に寄り添うことが、観る物に求められるのだ。多くの人の心と体を傷つけるものが戦争ではないかと、感動の中で素直に反応することが、この映画の最大の美点である。
感傷に浸るだけではない木下監督の厳しい演出タッチは、技術面でいうとロング・ショットとミディアム・ショットが多くアップ・ショットが少ない。会話シーンの緊張感より、自然を背景とした画面構成を優先している。これが、戦前から戦後直後の日本の美しさを捉えた絵画のような映画に仕上げている。叙情性と記録性の見事な調和が、この作品の優れた特徴と言えるだろう。実の兄弟を子役に採用したキャスティングの丁寧さも作品の世界観を構築していて見事。そして、主演高峰秀子演じる大石先生の涙もろい健気さが作品の美しさを更に高めていた。
1978年 6月10日 フィルムセンター
戦争の悲劇と平和の尊さ
戦闘場面は全く出てこないが、痛烈な反戦映画。最後、平和になった日本なら希望が持てる。だから大石先生は再び教壇に立つ決心をしたのでしょう。
唯一気になったのが、大石先生が怪我をして長期欠勤することになるが、怪我の原因が生徒のいたずらだった。原作がそうなっているのだろうが、映画化する際はそれを変えてでも、例えば自転車から転倒して怪我をしたとかの理由のほうがよかったのではないか。
おなご先生
映画を観て初めて泣いたのがこの作品だった。何故か小学校のときの先生が授業中に見せてくれた。‘アカ’って何?と誰かが質問したような記憶もある。当時はこれが反戦映画、反戦小説だと気付かずに、単なる牧歌的な学園ドラマとしか思っていなかったのだが、歴史を学ぶにつれて徐々にその価値を理解していったものでした。子供にとっても前半の先生の家に押しかけるシーンでは泣いてしまった。
高峰秀子演ずる大石先生が純粋すぎるため、「戦争反対」を口にしなくても生徒を戦争に送り出したくないという気持ちに心打たれました。生徒の一人まっちゃんも重要で、修学旅行中に偶然先生と出会ったり、終盤復職した先生のクラスにも・・・という映画ならではの偶然性に涙してしまいます。また、全体を通して貧困な家庭や庶民性を前面に出したため、平和を強く求めた作者の想いが嫌味なく伝わります。
邦画のオールタイムベスト上位
興味深いけど共感は出来ませんでした。
有名な作品ですが内容についてほとんど予備知識なく見ました。
昭和初期、島の分教場に着任した大石先生。颯爽とした洋装はカッコよく、またこの頃「洋装」というのがどれだけ奇異だったかもよくわかりました。この頃の岬には電柱もないんですよね。
以降、終戦後までの家屋や髪型、風俗の描写はとても面白かったです。
ただ、これっていわゆる「反戦映画」なんですよね。原作者と監督の「反戦」にかける思いがちょっと濃すぎて、他の方が絶賛されているほどには感情移入できませんでした。とにかくえぅえぅ泣きすぎ。颯爽としていた大石先生が最後は辛気くさいおばはんになっちゃって。設定上40歳ぐらいのはずなんですけど、表情はおばあさんですよね~。戦争の悲しさを描くために泣きのシーンはどうしてもふえるのかもしれないけど、もうちょっと別の描き方(明るく振る舞う中での悲しさ。みたいな)もできたんじゃないかとおもいました。類似テーマでいえば「この世界の片隅に」の方が数段デキはいい気がします。
あと、歌のシーンが頻度高くて毎回結構長いのも印象的でした。当時はこういう演出が一般的だったのかなぁ、当時の人たちはそれが感動的だったんだろうかなぁと思うと、鑑賞者の心に訴えるポイントも、当時と今とではずいぶん違うんだろうなぁと。
「1950年代前半に昭和初期を描いた映像」という意味でとても興味深かったですけど、「名画」というほどでもなく、でもこれが賞をいっぱいとったというのもまた事実なので、「なぜ?」というところをもう少し考察しても面白いかな、と思いました。
日本人が日本人である限り本作は名作中の名作であり続けるでしょう
もう冒頭から涙腺が緩み放し、終盤は泣き通しです
お話は忠臣蔵並みに日本人なら誰でも知っている内容です
それでも映像を観た途端にこうなるのです
物語は小豆島の小学生の新入生と新任先生の交流を昭和3年から昭和21年、1928年から1946年の18年間を描くだけでこれと言った事件も出来事もありません
それでも観始めればエンドマークがでるまで微睡むことなく釘付けになり感情を揺さぶられるのです
この涙は一体何の涙なのか?
それがわからないのです
悲しいからでも、可哀想だからだけでもないのです
子供のころへの郷愁もあるのは確かですが、それでこれだけの涙がでるものでしょうか?
共感の涙と言うべき涙なのでしょうか
本作を観て外国の人が同じように泣くかというと、それはないでしょう
彼らが観ると前半は冗長に過ぎるし、後半はイタリア映画の戦前のファシズム党の有り様との類似による反戦メッセージを読みとれるぐらいではないでしょうか
本作は静かなる反戦映画とも言われます
確かに監督の製作意図に含まれてはいるでしょうが、それは決して主題ではなく結果としてそうなっているというべきものです
アカとかの戦前の思想統制のエピソードもありますが、21世紀の現代人の目からみれば戦後に分教場に復帰した先生の背後の壁に張り出された習字の文字はヘイワ日本です
右から左への違いだけで思想統制はあるのです
本作の主題はそこにはありません
小学校の卒業式で仰げば尊しは歌われなくなって長くなります
学校によっては国旗も無く、君が代も無いところもあるそうです
90年以上昔の日本は21世紀の子供達からみれば、どこか遠くのアジアの国の物語にみえるかも知れません
そんな右や左の思想を子供達に洗脳する機関が学校と言えばそれまでですが、そんなことは本作には全く関係ないことです
本作の主題は別のところにあります
それは日本人への讃歌です
貧しい暮らし、将来への希望、長じてその希望が破れる、それでも山も海も昨日と変わらずそこにあるのです
幼い友はいつしか壮年になり、家業に精をだし、将来の希望は叶わずとも今を幸せに生き、あるいは死に、あるいは身体に障害を負い、辛い思いをして孤独に暮らし、あるものは母になっているのです
日本人の暮らし、生活、物事の考え方、感じ方
それら全てへの讃歌です
小学校の唱歌、子供達の歌声は90年たとうとも日本人の情操のなかに奥深く刻みつけられているのです
新任の大石先生が子供達と汽車ごっこを唱いながら遊ぶシーン
それを一目観るだけで泣きそうになるのはそれなのだと思うのです
日本人が日本人である限り本作は名作中の名作であり続けるでしょう
忠臣蔵がそうであるように
もしも本作が評価されないような未来が訪れたとしたなら、その時の日本は最早日本人とは言えない日本人の国に成り果てているのだろうと思います
高峰秀子の演技力の凄さ、木下惠介の演出の見事さは筆舌に尽くし難いものです
冒頭の新任時代の大石先生の輝くばかりの初々しさ
そして終盤の40歳位の歳に過ぎないのにあえて定年間近の様に老けた様子に卒業生達の目に見える姿として演じ撮らせたその対比
本作の演技力と演出力は舌を巻くしかありません
日本人の心情の琴線を直接震わせるものです
日本人にしかわからないものがここにあるのだと思います
期待しすぎでした
今の眼で見てしまうと、冗長でウエットに感じてしまいました。
苦手な昭和を観てしまった、という印象です。
だいぶ克服したつもりだったのですが、まだまだ修行が足りないのかもしれません。
もしかすると、唱歌が多いのが気になったせいでしょうか??
・春のシーンがカラーだったらなぁ ・小さい子どもたちの本気の走り方...
・春のシーンがカラーだったらなぁ
・小さい子どもたちの本気の走り方がかわいらしい
・初めて観た時は子どもの成長にいちいち感激した
・まっちゃんのシーン以降は泣きっぱなし
・贈り物で号泣
あの世でも鑑賞したい
中国電力の本社屋内にある500人規模?のホールで1995年頃開かれたチャリティー上映会で鑑賞しました。
満員でした。
同窓会で出征時に失明した元生徒が幼い頃の集合写真を手に取り、
あらぬ方向を指差しながら写ってる一人一人の同級生たちの名前を挙げる場面では感涙しました。
後に文庫でも読みましたが映画の方が素晴らしい。
リメイク版も観ましたがオリジナル版の方が素晴らしい。
時代は違えど幼き頃の心象風景を鑑賞者に想い出させるだろう。
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