楢山節考のレビュー・感想・評価
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集落、貧しさ、生きる、ヌメリとしたイヤラシさ。 汚らしさと自己保身...
集落、貧しさ、生きる、ヌメリとしたイヤラシさ。
汚らしさと自己保身の為の集団の団結と規則。楢山節考において今村昌平が描きたかったのは何か。今村昌平は人の醜悪な部分をこれでもかと接写する。そのスタイルは変わらない。
生き物の根源である性と死、その為であるなら誰かを叩き落とすこともいとわない。イヤラシさとズルさ。
そう、人はあくまで生物の延長線上であるから、生まれてきたからには競争し、つがいを選び、セックスをして子孫を残し、子を育て死んでいく。生物において老いと死は恐怖でしかない
この集落において、老いと死は諦観的に描かれ、当たり前のようにそこに佇み、山へと還っていく。
この映画で一番恐ろしいところは、盗みを働いた一家が、集団で襲われ、すべてのもの身ぐるみ取られたあげく、それを、当然のように村人たちでわけるところだ。
しかもそれだけで飽き足らず、すべての盗人の血を粛清しようと、生きたまま捕らえられ、山に埋められる。昔の田舎の集落ではこんなことが当たり前のようにまかり通っていたのだろうか。
父に枷をはめられ母に解かれる
年老いた母親を山に捨てにいく。観る前はそれしか知らなかった。それだけで2時間、何を描くのだろうと思っていた。
蓋を開けてみると、母を捨てにいくというのは、クライマックスだとしても、大きな物語の中の一つの出来事でしかなかった。
まず印象的なのは、性行為のシーンが多いことだろう。人間以外の生き物も含めて。
性行為とは子孫を残す行為だ。子どもをつくり育て、次世代を担わせる。人の(その他の生き物も)生を紡いでいくために必要なのだ。
人が集まり村になる。個人ではなく村単位での継続を考えたとき、作中で起こる様々なことは残虐でむごたらしいことだとしても必要なことなのである。
それはもちろん、母を山に捨てにいくことも含まれる。
例えば、多く生まれすぎた子どもを殺してしまったり捨ててしまうことは世界中で行われたことだろうが、狩猟系の集団と農耕系の集団での差が本作には出ていた気がした。
狩猟系の集団は農耕系に比べて仕事中に死亡する確率が高かったろうし、老いたら狩り場の移動などの過酷な状況に耐えられず勝手に死んだだろう。
それに、頭数が多いほうが狩りの成功率が上がるので、子どもは多いほうがいい。
逆に農耕系の集団の場合はある程度安定した生活が出来るものの村の生産量が決まっており、人口が増えすぎることを許容できない。
死なない人、多すぎる子ども、それらをどうにかしなければ村を継続できないのだ。
優しすぎる主人公辰平は、同じく優しすぎた父親に枷をはめられ、優しく生きることを許されなかった。村に残り生きるために。
最後まで葛藤の中、様々なことに耐えながら家長としての務めを果たそうと努力する姿は切ない。
一方で母おりんは個よりも村を尊重し行動する。
しかしそれは残される家族を守る行為でもある。自分の子孫が残ることが自分が残ることよりも重要なのだ。
新しい嫁に魚の穴場を教え、着ていた服を受け継がせることもそうだ。継続していくことが何よりも大事だと考えた。
エンディング、母の持ち物がいたるところで使われている状況をみて辰平は何を思っただろうか。母の気持ちを理解しただろうか。
自分の持てるものを継承させ、自ら大人しく捨てられる母は、優しすぎる主人公辰平の母親らしく、やはり優しすぎる人だったのではないかと思うのだ。
とてもエネルギッシュで娯楽性も高い傑作なんじゃないか。カンヌが好みそうな芸術性もある。
今まで何で観なかったんだろう。
帝国農村はズーフィ○○?!カソリック信者は理解不能。この国は更にペドが加わる。自虐的亡国論だけどね。
我が母と封切りで見た。
1983年の時だから、母は52歳だった事になる。さて、母はどうこの映画を見ただろうか?
少なくとも、女性が見て面白い映画とは思えない。感想など聞かなかったが、
『自分の田舎(茨城県)にはこんな風習はなかったよ。長野ってひどい所だね』と言っていた。
今回、40年ぶりの二度目の鑑賞たが、母親に見せるような映画ではないと反省した。
その
反省点はいくつもあるが、その根本的な間違いは、この演出家が、弱肉強食の食物連鎖をはき違えている事と、女性の人格を全く無視いている事だ。つまり、日本の古くからの風習なんかどうでも良いが、伝承されて来たこの方法では、口減らしは不可能だと言う事。
先ずは、
この映画も触れていたが、第二子以降は間引いていたはずだ。間引けなければ、男児ならば、去勢するだろう。勿論、女児は売られる。
では、こうならないためには、隣村を攻めるか、穀物の品種改良だろう。若しくは『瀬降り物語』のサンカの様に移住しただろう。それが現実であって貰いたい。
こんな映画見せて、我が母には申し訳なかったと思っている。
しかし、この映画は人間社会維持を目的にしているので、まだ、許せる。
『PLAN75』は国の維持がテーマだった。国の維持の為には、老人には死んでもらいましょうでしょ。怖くありませんか?
少なくとも、こう言った問題はきちんとリサーチして作って貰いたい。フランス人に見せる様な映画じゃない。誤解を受ける。
帝国農村はソド○○○?!カソリック信者には理解出来ないぞ。更にこの国の貧困農村は(自虐的亡国論だが)ズーフィ○○にペド○○○、そして近○○姦が加わる。薄気味悪いが、そう言いたいのか?
正に日本の恥の様な映画じゃ!
生と性を貪り、死を受け入れ、輪廻する。重厚かつトラウマな凄い作品ですw
子供の頃に「カンヌ国際映画祭 パルム・ドール受賞!」を高らかに宣伝していて、年老いた母親を姥捨山に連れていくと言う大まかなストーリーは頭の中に入ってましたが、後に作品を観た時は姥捨山に連れていくと言う本筋以外のエピソードがあまりにもショッキングで"こりゃあ、結構なトラウマだわ"と思って、幾数十年。
未だにいろんな意味で印象的な作品ですが、池袋の「新文芸坐」で今村昌平監督作品の特集上映をされると聞き、劇場では未観賞なので、この機会にと足を運びました。
コロナ影響下の御時世に何処も動員に苦戦しているにも関わらず、場内はソーシャルディスタンスを守りつつも超満員でした。
で、感想はと言うと、改めて凄い作品だなぁと。
ストーリーもそうだけど、出演している役者陣が凄すぎて、今ではここまでの製作は多分出来ないでしょうね。
緒形拳さん、坂本スミ子さん、左とん平さん、あき竹城さん、倍賞美津子さん、清川虹子さんと当時の日本を代表する錚々たる俳優陣がもうどっしりとストーリーに重厚感を与えていて、それでいて何処かシニカルで滑稽。
閉鎖した中に達観した感じを醸し出しています。
また、様々な生物の交尾や捕食などの食物連鎖の描写が上手く表現されていて、生々しくも自然の成り立ちを描かれています。
この辺りの描写が説明だけではクドくなりがちな人間賛歌を巧みに描写していて、素直に自然の厳しさを醸し出している。
蛇の捕食や家の中や周りに蛇がいると言うのは個人的にはちょっと鳥肌モノですがw
山中の寒村を舞台に「齢70を迎えた老人は『楢山参り』に出なければならない」と言う掟に従う、坂本スミ子さん演じるおりんと緒形拳さん演じる息子の辰平の「楢山参り」= 姥捨山がメインストーリーですが、ラストに至るまでの様々なサブストーリーの織り成し方が秀逸なんですよね。
「結婚し、子孫を残せるのは長男だけである」
「他家から食料を盗むのは重罪である」
「齢70を迎えた老人は『楢山参り』に出なければならない」
この3つの村の掟は絶対で厳しい寒村で生き抜く為に守らなければいけないにしても、かなりキツい。
女の子が産まれると売る事も出来るが、男は長男以外は下男とされ、蔑まされる存在。
左とん平さん演じる利助は「くされ」と呼ばれ、その中でも更に蔑まされている。
人並みの待遇は与えられず、悶々とした中で性欲だけは人並み以上で「獣姦」を繰り返し、トラブルの原因となり、後家さんにも"それだけは勘弁してくれ"と断られ、しょんぼりした所をおりんが知り合いでおかねに頼んで筆下ろしをさせてもらう。
もう、赤裸々過ぎて、滑稽を通り越して微笑ましく感じる。
今ではいろんな人権問題で放送は出来ないかと思います様々な作品に出演されている名バイブレーヤー、左とん平さんの真骨頂ではないでしょうか。
また、「他家から食料を盗むのは重罪」と言う掟は物が溢れた現代においてはかなり異質に映ります。
命は食料よりも軽く扱われ、一度目の盗みは制裁を受けるが、家族の者が再度盗みを働くと「泥棒の血統」として一族根絶やしとされ、生き埋めにされる。
食料事情が切迫する中での非情な制裁に見えますが、それ程の状況下と言う事と、その行為を当たり前の様に描いています。
いろんなエピソードが交差していく中、粛々とおりんの楢山参りの日が近付き、その日を決め、楢山参りの当日の描写は凛々と進んでいきます。
誰にも見られてはいけないという掟の下、辰平は背板に母を背負って「楢山参り」へ出発。
会話をする事を禁じ、途中、白骨遺体やそれを啄ばむカラスの多さがどういう場所かを静かに表している。
辰平がおりんを山に置いて帰る途中、舞い降ってくる雪に感動し、その事を告げる描写は切ない。
自身の母親を置き去りにしなければならないと言うのは、悲しくて切なくて、心がキリキリします。
また会話が無い事で余計に胸に響きます。
帰りの途中で隣の銭屋の倅が背板から無理矢理に70歳の父親を谷へ突き落としていたのは無情に思えるがそうする事が掟であり、そうしなければならない。でもその描写がおりんとの別れの対比になっているんですよね。
家に帰ると新しい生命の誕生を瞬時する描写に命は輪廻すると言う事を感じさせる。いろんな意味で人間賛歌です。
この作品の正式な続編ではありませんが、今村昌平監督の長男の天願大介監督の「デンデラ」と言う楢山節考の続編みたいな作品がありますが、こちらはハードな作風に見えて結構なパロディw
でも、主演が浅丘ルリ子さんで、倍賞美津子さん、白川和子さん、草笛光子さんとベテラン女優陣を陣容しているだけに余計にタチが悪いw
個人的には「楢山節考」と違った意味でなかなか語れる作品なので興味があったら、如何でしょうか?
デンデラ~!w
当時のポスターに「人間の大らかな"生と性"を謳う。今村節=笑い・感動・愛・衝撃」と書かれてましたが、ある程度の人生の酸いも甘いもを経験するとこの謳い文句が解るんですよね。
劇中のシニカルな笑いなんて、若い頃には分かんないですよ、アンタw
物凄く重厚な作品でズッシリと重たく、見応えがあります。好き嫌いの好みは分かれる作品ですが、映画好きなら、1度は観とくべき作品の1つかと。
生きると言う事を貪欲に赤裸々に愚直に描いていて、過去にこういう事があったと教科書で見ただけでは分からない歴史の重さを教えてくれます。
…まぁ、予備知識も無く観賞するとちょっとトラウマになりますがw
機会があれば如何でしょうか?な作品です。
性=生→死、そしてまた生
信州の山深い、楢山という山を信仰の対象にしている寒村。
時代は定かではないが、明治期のように思われる。
その小さな村にある「根っこ」という呼ばれる一家。
七十を迎えようとする婆おりん(坂本スミ子)、45歳になる辰平(緒形拳)、辰平の弟で奴(家を持たない二男以下のこと)の利助(左とん平)、それに辰平の三人の子供の一家があった。
村の掟では、七十を迎えた老人は、寒村の命を繋ぐため「お山参り」と称して、山に棄てられる運命にあるのだが・・・
という話だが、姥捨ての話は後半になってから、前半は素寒貧の寒村の様子を丹念に描いていきます。
食うものは芋程度。
一家の二男以下は単なる労働力で、嫁を娶ることはできず、常に悶々としている。
娘ならば、大きくなったら売って金に換えたいところだし、嫁は嫁で、これもまた労働力、かつ、今後の労働力になる(もしくは金になる)子どもを産むことが期待されている。
まぁ、もうどうにもこうにも暗くて遣る瀬無いのだけれど、生きている限りは仕方ない・・・といわんばかりに、どこか突き抜けている。
前半の主人公は、ほとんど利助といっても構わない。
もしくは、村の中から嫁をとる、辰平の長子。
ふたりから見えるのは、生=性であり、遣る瀬無くまた滑稽だけれど、彼らの性的欲求を否定することはできない。
この前半で、がらりと色調を変えるのは、辰平の長子が娶った嫁の実家の皆殺しのシーンで、貴重な食料を盗んでいた一家を一族郎党、根絶やしにするために生き埋めにしてしまう。
このシーンは凄まじい。
が、イタリアンのリアリスモ映画でも、あったような印象を受け、どこか、もう、仕方がない・・・みたいな気にもさせられてしまう。
若い嫁の腹のなかには、胎児がいたにもかかわらず・・・
このエピソードが、性=生の前半から、生→死の後半へと繋ぐ役割を果たしている。
とはいえ、後半の姥捨ての道行のシーンはいささか冗漫な感じがしないでもないが、白骨累々のお山のシーンは衝撃的で、こりゃ、こんな光景をみるよりは、手前の谷で老いた親を蹴落としたくなるだろうねぇ。
なので、念仏を唱えながら成仏するおりんの姿は神々しいものの現実離れしているようにも思えましたが、こうでもしないと、映画的には決着がつかないのでしょうね。
初公開当時は観る気の起きなかった映画でしたが、歳を経て観て、観てよかったと思える作品でした。
世界が認めた長野の姥捨山伝説の映画化
長野県の姥捨山伝説の原作小説を基に今村昌平監督が標高1000Mの廃村で三年の歳月をかけて撮影した大作で、1982年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品である。舞台の農村では厳しい自然環境と食糧事情を背景に、村の掟による極度の人口統制がとられていて、老人は70歳になるとお山に捨てられ、次男以下の男子には婚姻はおろか性交すらも許されていない。人々は信仰と慣習と掟の中にだけ生き、ひたすら食べ、ひたすら交じり合う。そして時に食糧盗難の制裁の下に、或る家族の根絶やしの為に、村民の男衆皆で生き埋め殺人までもする。しかしそんな中でも、村民達は明るくどこか滑稽で、それを見つめる監督の眼差しは温かい。この作品は人間讃歌であり、生命讃歌である。思えば極端化されてはいるが、明治維新前の日本中の農村は多かれ少なかれ、この村のような環境下にあったのだろう。いわば日本の農村の典型で、我々のルーツである。現代の我々日本人の飽食と繁栄と自由の謳歌とはまるで異なる。しかし男女の愛情と親子の心情は今も昔も少しも変わらない。俳優陣の名演もあって、人類の普遍性の描写に極めて成功している。日本の長野県の伝説を映画化した作品を、外国人が理解し評価した点からも、それは伺えるのである。やはり傑作だと思った。
山間部の暮らしが上手く描かれている!!
山間部の暮らしが上手く描写されており、映画そのものに民俗学的な価値があると思います。山中でセックスするシーンは、傍で蛇も絡み合い何か気持ち良さそうですが、お母さんを捨てに行く時が刻々と迫る、という意味でセックスシーンが度々入るさまは緊張感を与えます。「命の循環」の描写は、2019年の「ミッドサマー」より、こちらが断然上だと思います。お母さんを背負ったまま山に入っていくシーンは、台詞も殆どなく静かで有無を言わせず心に残ります。タイトルだけご存知の方も、終盤のシーンを観るために是非ご覧になって頂きたい映画です。
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