楢山節考のレビュー・感想・評価
全17件を表示
【”おっかあ、山へ逝く日に雪が降って良かったのう・・”故、深沢七郎の衝撃作を見事に映像化した作品。所得が増えずとも、高年齢化が進む将来の日本を見据えたかのような作品でもある。】
ー 70歳になった親を、楢山様に”捨てに行く”事で、若き命を保つ村が舞台。
村に住む人々の生と、性と、死をリアリスティックに描き出している。
故、深沢七郎の原作も凄かったが、それを映像化した、今村昌平監督も凄いと思った作品である。-
◆感想
・今作は前半は、寒村に住む村人たちの、性と生を中心に描かれる。
ー 少ない、食料を粥状にして、ガツガツと食べる若き人たち。一方で、綿密に食い扶持を計算するおりん婆さんの姿。-
・おりん婆さんは、頑丈な自分の身体を恥じ、自ら石に前歯を打ち付け、歯を叩き割る。
ー これは、原作でも衝撃的なシーンであるが、今作でのおりん婆さんを演じた故、坂本スミ子さんの血だらけの口で皆の前に現れるシーンは驚愕である。-
・皆の食料を盗み、隠し持っていた家族が、村人たちにより、生き埋めになるシーン。
■今作の真価は、おりん婆さんを楢山様に捨てに行く息子(緒方拳)が、険しい山道を母を背負って行く姿であろう。
<初見時には、故、深沢七郎さんの独特のキャラクターを嵐山光三郎さんの「桃仙人」や、深沢さんの個性的なエッセーを読んでいたため、成程なあ、と思っていた。
が、私もおりん婆さんの息子と近しい年齢になり、今作を鑑賞すると、イロイロと考えてしまった作品である。>
自然の中で逞しく生きる人間の本質
見ごたえがある
容赦のない現実対、その全てを呑み下して我が身の結末を雄々しくたぐりよせるおりんの気迫との渡り合い、それを自然ぐるみ重厚に描き出す撮影、坂本スミ子の好演、すべて見ごたえがある。
主題は言うまでもなく姥捨てで、その最終場面へ向けてすべてが収束していくが、白眉たる真の見どころはアマヤ家族が楢山さまに謝らされる段だ。この恐ろしさのためにDVDを購入した。
最終場面も胸に焼き付く。おりんを山に置いて辰平が戻ってみると、息子ケサやんの新しい嫁がおりんの綿入れをさっそく身に着けている。見ると、心からおりんに添いおりんのお山行きを嘆いた妻のタマやんの腰にも、やっぱりおりんの帯が巻きついている。主題に溺れず見せるところは最後の最後まできっちり見せてくれる。
中で唯一父利平の亡霊の出現だけが目障りだ。これだけの名画をぶち壊しにしてしまいかねない子供だましのオカルト的挿話に首を傾げる。
原作にもなかったはずだ。よく覚えていないが、仮にあったとしても文学とはほど遠いこんな幼稚なアレンジではなかっただろう。
善良いっぽうに描かれている辰平にも闇の部分があったということならそれはそれでいいし、その闇もおりんが一身に引き受けてお山へもっていく、それもさらにいい。また心に闇ある人間だからこそ、習わしとはいえ母親を捨てることの唐突感も和らぐ。しかも村の掟である姥捨てを敢行できなかった利平の“軟弱さ”への反感からとなれば、母捨て行為はもちろん父親殺しさえもが正当化される。すべてがよくてきている。ただそれを安直なオカルトでまとめてしまったのだけが残念だ。
あるいは副旋律補強の意図からか? だがその点なら、あんな通俗漫画を付け足すまでもなく不足なく作られている。アマヤの1件がそうだし、無しでは済まない性問題の見事な処理、そして唸ってしまうのが、瀕死の床についていた清川虹子バアサンを白萩様(白いごはん)1杯でけろり快癒させて明るさを灯してみせる味付け(原作にあっただろうか?)。これ以上何も必要ないほど盛りだくさんだ。
本当にあのオカルト漫画部分だけがわからない。
山中でおりんを一瞬消してみせる幻覚シーンもある。あんな意味不明なものを入れたのも、つまらないオカルトを組み込んでしまったがゆえのつじつま合わせにすぎないと見る。辰平の願望を描いて見せたとするには幼稚安直すぎる。
作品の名誉のためにそっと忘れるべき謎というしかないか。
人間讃歌!生命讃歌!はウソ
鮮烈なエロスとタナトス
追悼・坂本スミ子さん
追悼・坂本スミ子さん、先月1月23日に逝去された、歌手が本業だった彼女の映画代表作です。
本作は1983年のカンヌ映画祭で、本命だった『戦場のメリー・クリスマス』を覆してパルムドールを受賞した作品であり、従い現地にも坂本スミ子と日下部五朗プロデューサーのみしか赴かず、予期せぬ高評価に、東映京都撮影所の名プロデューサーとして名を馳せた日下部氏自身が大いに戸惑ったようです。
また2月7日は、その日下部氏の一周忌でもあります。
改めて、お二人のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
本作は、各地に伝わる姥捨て伝説を取り上げた深沢七郎原作の短編小説の映画化であり、嘗て木下恵介監督も映画化しています。舞台は江戸時代と思しき信州山深い貧しい寒村。その村人は、食い扶持を減らすため70歳になった冬には息子に背負われ楢山に捨てられるという因習があった。これに従い楢山行きを間近に控えた老母と、複雑な思いで彼女を見つめつつ、その日に向け一日一日を過ごす息子との葛藤を、貧しい村の猥雑で凄惨な生き様を交え、今村監督独特の生気、生きる活力と精力が漲るタッチで描かれた名作です。
今からそう遠くない時代、日本の数多の人々は、生と死のギリギリの境目を、日々必死になって摂食し只管生き切っていく苛酷で壮絶な生活環境に晒されていました。私が愛する時代劇の、風格ある美しき情景と心奥に沁み入る情感に満ちた世界の、同時代の直ぐ裏面には斯様な苛烈な世界が広がっていたのです。本作は、生と死の狭間を歩む人間像を描くという点では、「いただきます」とは「あなたの命をいただきます」が原意であることを想起させ、生きていくということの劇烈さと、それ故の崇高さを高らかに謳い上げる人間讃歌といえるでしょう。
虚飾を全て剥ぎ取った人の本源は、生と死、その生の源となる性、そして死に向かう老、重く暗くなりがちなテーマを、今村監督は、時に軽妙に、時に深刻に、しかし決して憐憫や侮蔑の視点ではなく、極めてエネルギッシュでバイオレントで、そしてエロティックなな人間性を抉り出して描き切ったと思います。
これを演じた緒形拳の懐深く、終始緊迫感に溢れた演技は流石ですが、彼以上にこの映画を引き立たせるのは、実は緒形拳より一歳年上なだけの坂本スミ子演じる“おりん”の神々しくも異様な存在感です。その聖母ともいえる透徹した諦観と悟性、最早、「老い」そして「死」からも解脱した生き様を、役と一体化して見事に体現していたと思います。
沈鬱で暗澹たる枠組みの話であり、山奥の寒村ばかりの地味で非常に狭域を舞台にした淡白な映像構成ですが、映画自体に悲惨さや陰鬱さを感じさせることはなく、今村監督らしい可笑しくて哀しい人間像が軽快に鏤められており、終始人間存在の根源を考えさせつつも素朴に愉しめる傑作です。
『仁義なき戦い』『柳生一族の陰謀』『鬼龍院花子の生涯』『極道の妻たち』『藏』等々、数多のヒット作を制作してきた日下部五朗氏にとっても、異次元の代表作といえるでしょう。
木下恵介のほうがいい
木下恵介版と今村昌平版の違いは一体何なのでしょうか?
楢山節考の原作は1957年の刊行
二度映画化されており、1983年公開の本作は二度目の作品です
最初のものは1958年公開の木下恵介版で大女優田中絹代が主演です
ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品されました
受賞はならなかったものの、あのフランソワ・トリュフォーが激賞しています
キネマ旬報の日本映画のオールタイムベストにリストされているのはこちらの方です
では本作はどうか?
日本映画オールタイムベストにはランクインしていません
ところがカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞しています
つまり国内より海外での評価が高い作品ということです
何故そうなのでしょうか?
木下恵介版と今村昌平版の違いは一体何なのでしょうか?
それは本作がいわば木下恵介版の実写版という趣があるところかと思います
木下恵介版ももちろん実写です
しかし、ラストシーンを除き全てスタジオセットで撮影しているのです
その上、歌舞伎の舞台劇であるような演出、長唄や浄瑠璃のような劇伴の音楽を使用して、この世界が劇であることを最初から最後まで主張している作品です
それに対して本作はほぼオールロケ
リアリズムを追求して、劇ではなく現実の物語であるという方針で製作されているのです
劇伴の音楽は極力排されてここぞという場面のみです
そしてその音楽は現代的な普通の映画としてのものです
それが実写版と感じる意味です
性行為のシーンが木下恵介版は全くなく、本作には多用されています
人間だけでなく蛇、蛙、カマキリなどの生き物達のそれも何度も写されます
それは本作のリアルさの追求という方針に基づくものでしょう
人間も生き物も変わりはない
自然の中で生きており、つがい子を産み、そして死んでいく存在なのです
だから生き物達のそのシーンが数多く登場し、人間の物語と相対的に変わらないのだと繰り返し主張するのです
木下恵介版は、過酷な物語を歌舞伎的な演出によってこの神話的な物語を芸術として昇華する事を目指したのです
そして本作はリアリズム的な表現による、神話を地上の物語として表現した具体的な映画だということだと思います
この差が、日本国内での評価の差と、海外での評価の差の逆転現象をもたらしているのではないでしょうか?
芸術としての感動は圧倒的に木下恵介版の方が上です
幽玄的なクライマックスの感動は身動きできない程のものをもたらしています
それは現代のロケシーンををラストに挿入しなければ席を立てないまでのものです
本作にはそこまでの感動はありません
実写版ならこういう光景になるのかという感覚で観てしまうのです
しかしだからと言って駄目な作品では決してありません
圧倒的な傑作なのは間違いの無いことです
木下恵介版が飛び抜けた名作過ぎると言うことなのかも知れません
是非、木下恵介版もご覧頂きたいと思います
木下恵介版の田中絹代は51歳の時の出演で前歯を実際に抜いてまでの女優魂をぶつけています
一方、本作での坂本スミ子も負けてはいません
坂本スミ子は本作撮影時47歳です
22歳も上の老け役を、前歯を極限まで削ってまでの熱演でした
田中絹代のおりんは神々しくまさに神話的存在でした
一方、おりんの土俗的な強さの表現は坂本スミ子の方が上だったようには思います
それこそが木下恵介版と今村昌平版の違いであると思います
不安な現実感
ありえないしきたり
圧倒的な生
昔の日本の文化が垣間見れる。
昔は村単位で法があり、それは掟(オキテ)といった
知り合いがショックをうけた作品だと聞いたので
全17件を表示