「ラストカットに殉じた実験性」楢山節考(1958) 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストカットに殉じた実験性
深沢七郎の原作を舞台芸術のフレームで立ち上げた実験的作品。『カルメン純情す』の終始不安定なカメラワークや『野菊の如き君なりき』の回想シーンにおける疑似ホワイトビネットなど、木下は本作以前の作品においても随所に実験的な作風を取り入れてはいたが、ここまで大胆なのは本作ぐらいなんじゃないかと思う。
隅から隅まで人工的に設計されたセットと演出のもとで演じられる寒村の生活は、童話のように現実味を欠いている。「楢山様への謝罪」や「楢山参り」といった奇妙で残酷な風習を経れば経るほど、物語はより非現実性を強めていく。
次第に遠ざかっていく物語は、しかし最後の最後で現実へと投げ返される。寒村の朝焼けの光景から唐突にカットが切り替わり、信州の山奥を走る汽車と「姥捨駅」という駅名が映し出されたとき、童話じみた非現実的物語は現実の生々しい延長として受け手にアクチュアルな戦慄をもたらす。
ただ、最後の最後で一気呵成にひっくり返すという本作のやり方は、ともすれば粗悪なホラー映画のジャンプスケアと大差がない。木下惠介にしてはやや安直というか繊細さの欠けた作品だったように思う。フォーマットを舞台芸術に定めるという実験性に関しても、結局のところ最後のワンカットのための布石のためでしかなかったと思うと残念だ。
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