劇場公開日 1958年6月1日

「本作は超高齢化が進展する21世紀の日本の物語でもあるのです」楢山節考(1958) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0本作は超高齢化が進展する21世紀の日本の物語でもあるのです

2019年8月28日
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姨捨山の物語だから結末は誰もが想像するとおりのものです
ですが本作を観終わった時に訪れているのは、観賞前の想像を遥かに超えてくる強烈な映画体験をした放心状態なのです

圧倒的な美術、音楽、照明、撮影
田中絹代の無言の壮絶なる演技
これらか渾然一体となりラスト30分は金縛りとなるでしょう

何故に舞台仕立てなのか、何故に音楽が長唄であるのか
ロケでいくらでも適当な山間の村落で撮影できたはずなのに何故にオールスタジオ撮影なのか
それらへの答えがそのラスト30分にあるのです

この世とあの世の境目の幽玄の光景を、私達は体験するのです

そして音楽もまた、日本語の響きや抑揚とリズムの中に深く刻み込まれている日本人の情緒そのものを長唄の節回しと、三味線の音階と旋律、ユニゾンするリズムによって、この超絶的な映像体験を見事に強調しているのです

なんと実験的で前衛的な映画であることかと感嘆するばかりです
しかもその取り組みが独りよがりな映像実験ではなく全てが計算の上に製作され、しかも成功しているのです
恐るべき木下惠介監督の才能です
当時でも21世紀の現代に於いてもなお最先端といえるのではないでしょうか

何百年もの昔の山奥の寒村の特異な物語であることをエンドマークの前に製作当時の現代のシーンとして蒸気機関車の牽く列車と姨捨山の駅名表示板を写します
それによって私達はまるで催眠術を解かれたかのように、ようやくお山に連れていかれた私達の心を呼び戻すことができるのです

何百年も昔の話?
人生100年時代という今日
年金制度は実質的に破綻しているといいます
年老いた世代の負担が現役世代の暮らしを押し潰そうとしているのです

21世紀の現代の日本がまるごと本作の山奥の寒村のようになる日がもうすぐそこにまで来ているのです

今十代や二十代の若い人にとっては劇中の息子の再婚夫婦の「わしらも七十になったら、一緒にお山に行くんだね」との言葉は永遠のように遠い未来のことのように思うかもしれません

しかし団塊の世代の人々は今おりんと同じ70歳前後なのです
本作公開時はほんの10歳位の子供だったのです
私達より若く小さかったのです
そして彼らはビートルズに熱狂し、髪を伸ばし、ギターを掻き鳴らした人々だったのです
嫁いできたときは村一番の器量だといわれたおりんのように若い時もあったのです
人生は振り返ってみれば一瞬だと言われます
若い人も気がつけばお山に行く日が目前にくるのです
そしてその前に自分の祖父母や両親がそうなるのです

団塊の世代をみれば、本作のおりんのように現役世代を守る為に自ら綺麗に身を引きリタイアする人もいれば、隣のじいさん又やんのように会社や社会にしがみつこうとしている人もいます

そして私達もいつかお山に行く日が来るのです
お山に雪が降る前に山に行き後に続く世代を守る覚悟がはたして私達にあるのでしょうか?
あるいは自分の親をお山に連れていく覚悟があるのでしょうか?
その日がきたとき自分はどうするのか
本作は21世紀に生きる私達に問いかけているのです

本作は超高齢化が進展する21世紀の日本の物語でもあるのです

あき240