「大女優を使うことの困難」長崎ぶらぶら節 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
大女優を使うことの困難
観て、あたまを抱えてしまった。
吉永小百合さんは、
トイレには行かないそうだ。
彼女の出演作は古いものも、そして最近の作品もいくつか観てきたけれど、とてつもないスポットライトが当たりすぎて、「すでに若い頃から神格化されてしまった事」が彼女の俳優としての“頭打ち”になっていやしないかと思うこと、しばしばだった。
つまり、どれも鈍重で。どれもおんなじで。
監督が役者を怒鳴り付けられないなら、なんの撮影現場、なんの監督かと思うのだ。
池内淳子みたいに鬼女になったり、乱れて走ったり、転んだりしてももらいたかったのだ。それがついに行われなかったのが吉永小百合だ。
「どうして抱いてくれないのか?」。あのセリフがなぁ・・。やっと来たかとワクワクしたのだけれど。
映画史上、吉永小百合を抱いたのは確か高倉健だけだ。それも滑稽な、極力女を映さない工夫での健さんのアップ。変な動きのみで失笑。
「芸者はまともな死に方はしないよ」と言わせるのなら
情景暗転でも良かったから、先生と愛八は全裸の肌を重ねて情を交すべきだったのだ。そうでないなら逆に「芸者の汚い体になどさわれるか」と先生に言い捨ててもらいたかった。
だから現実味なし。サユリストに忖度したプラトニック演出の敗北です。
完全にいしだあゆみに負けている。持って行かれている。
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(当方「コメント不可」で固まってしまっております、お察し頂きお赦し下さい)。
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