動乱のレビュー・感想・評価
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例え、皇道派が実権を握っていたとしても…
この作品が五・一五~二・二六事件を
扱っていると知り興味を持ったが、
でも、高倉健と吉永小百合の恋愛要素が
この両事件の深みを逸するのだろうと
想像しつつ、一応観てみた。
さて、
第一部・第二部という構成については、
序章・本章とすべき印象だったが、
内容については概ね予想通りだった。
時代に翻弄された男女の物語を中心とした
スター俳優を使ったフィクション映画としての狙いは理解するが、
決起将校や真崎大将らの実名を踏襲しない
前提もあり、事件そのものへの臨場感を
得られなかったのは残念だった。
同じ事件を扱った映画は幾つかあるが、
三國連太郎演ずる北一輝が、死刑執行人の
“天皇万歳と叫ばないのか”との問いに対し、
“私は死ぬ前に
冗談は言わないようにしているのです”
と答える強烈なラストシーンの
吉田喜重監督作品「戒厳令」が
私にとっては思い出深い。
さて、この映画の最後では、
皇道派が敗れた結果、
統制派が実権を握り太平洋戦争に突入した
かのように字幕が表示されたが、
残念ながらこのクーデターが成功して
皇道派が実権を握っていたとしても
結果は同じだったと思わざるを得ない。
皇道派故に、より一層、
天皇を担いでの不敗の神国として
同じ戦争に突入し、
同じような敗戦を迎えていたことだろう。
司馬遼太郎が「坂の上の雲」で語っている
ように、どちらも内戦を抱えていた国との
日清戦争と日露戦争での偶然に過ぎなかった
勝利に過信して太平洋戦争に突入した
当時の軍部上層部の思慮の浅さに
変わりはなかったであろうから。
中途半端感が半端ない
80年になっても相変わらず小百合様はお綺麗。そして健さんは寡黙。寡黙すぎて60年代日活映画の半分も台詞の量が無いので小百合様は戸惑ったのでは。
寡黙・実直が健さんの矜持なのであろうが、この映画ではただ直情径行でコミュ障な人間にしか見えない。人の運命を散々翻弄しておいて「不器用ですから」では済まされんだろう。
ストーリーの方ももうちょっと脚本とか練ってもいいんじゃない?226の歴史語りとしては中身が浅いし、二大スターの恋愛叙事詩としてもあまりメリハリが無い。当時の軍人の価値観はそんな単純なものじゃなかったと思うが。しかしこの頃の戦争映画はこんな感じのが多いな。東映なのでヤクザ映画と同じ展開になっちゃうのかな?80年代頃の歴史観、戦争観がもっとも稚拙だったのかもしれない。
ビッグスターの二人の出演であるが、物足りなさを感じた。
高倉健と吉永小百合と5.15事件と2.26事件。
日本軍の無謀や腐敗、戦争へ突き進む時代に起きた事件を描く映画である。
主人公(高倉健)は正義感あふれ、言葉も少なく清く正しく頑固。吉永小百合も感情を抑え続けている。青年将校によるクーデーター事件となるともう少しリアルなぶつかり合いのシーンやハラハラ・ドキドキがあっても良さそうだが、任侠映画スターの高倉健の役どころがそうさせているのだろうか。ちょっときれいに作りすぎて物足りなさを感じた。は
とはいうものの、歴史の事実としての2.26事件に向かう皇道派と青年将校たちの思いと軍部の幹部。淡々と進んでいるようで実は軍部の暴走が更に進み、その悲惨さはその後の歴史が証明する。どこかにターニングポイントがあったのかもしれない。一般市民にひしひしと忍び寄る巨大な圧力と恐怖、そして指導部の面子が歴史を動かす。
NHKBS
義憤は大義を超えるか?
当時、このクニが、軍事費ばかりに金を使い、国内政策しなかったことが、悔やまれます。陸軍大臣と、海軍大臣が否決すると、内閣が成り立たなかったからです。富国強兵の行き着く先は、貧国強兵でした。結果、彼らは決起することに…。
2・26が起きた時、統制派の面々は、何もしなかったそうです。様子見です。ところが、時の帝が、例の勅命を、思わず下知したことで、慌てて鎮圧したそうです。つまり、統制派は皇道派すら、利用できるなら利用する、そんな清濁併せ呑む人達だったようです。映画では、少しオツムが足りない人達扱いでしたが。
個人の思いですが、青年将校をテロリスト扱いするのも、英雄扱いするのも、私は望みません。もちろん、自らの義憤の為に、他者を弑虐することが正しいとも思いません。
国内の窮状を、対外戦争で解決する。これを妨げる現行政府は、武力をもって排除する。無私の志からだとしても、これはちょっと…。財政面で軍を抑えていた、高橋是清を喪ったのは、痛恨の極みでした。唯一の救いは、瀕死の重傷から、鈴木貫太郎が生還したこと。彼がいなければ、ポツダム宣言受諾に繋がる、あの御聖断が得られなかったかも…。皇道派の暴発は、後の統制派の暴走を誘発することに…。
私としては、彼らを人として捉えたい。彼らの義憤は、全て間違いだったのか?。後世は彼らを、美化するだけでいいのか?。否定するだけで済むのか?。一元的な判断で、全て解決するのか?。
世界は再び、乱れ動いています。この事態、武力だけで解決します?。白黒つけるだけで、片付きます?。
もし、私達が歴史から何か学べるのなら、何を学びます?。
皆様の義憤は、世界を何処に向かわせますか?。
昭和は遠くなりにけり
二・二六事件が全く分からない
森谷司郎監督の超大作であり、二・二六事件を描きつつ男女の愛や死生観なども描こうとしたようだが、二・二六事件が何故・どのような経緯で起こされたのかが全く分からない映画になってしまっている。
二部構成から成り、第一部「海峡を渡る愛」は軍人(高倉健)と貧困で売られていく女性(吉永小百合)の出会いが描かれていて、五・一五事件が起こるものの事件の経緯が殆ど分からず。また、吉永小百合が遊女になる…というのも、日活映画での「清楚なよいこ的イメージ」が強いので、ちょっと無理がある感じ。
二部「雪降り止まず」は、二・二六事件を描こうとしている雰囲気はあるが、高倉健と吉永小百合が籍を入れずに夫婦同然で暮らしているものの、いわゆる「夫婦生活」は無い。そのため、吉永小百合が高倉健に「私の身体が汚れているから抱いてくれないのですか?」などと問い詰める場面がある。
全体的に、映像は本作の監督=森谷司郎が頑張っていて、山本薩夫監督作品っぽい骨太に見える素晴らしさだが、脚本が残念。
沢井信一郎が助監督をしており、本作の直後に澤井信一郎監督としてデビューして、あの大傑作『Wの悲劇』を作る。澤井監督が森谷司郎監督の指導を受けていたのか…。
やはり、二・二六事件の発生経緯が皆目分からないのは致命的であろう。
スタッフ、キャストも豪華なだけに惜しい。
<映倫No.19659>
役者としてオーラを放つ、健さんと吉永小百合
高倉健と吉永小百合主演だからというだけでこの映画観た方も多いだろうが、
少なからず衝撃を受けたのではないだろうか。
当時軍部は主に農村出身の皇道派と、都市部のエリート層統制派の二つの派閥があり、
皇道派は、農村部の貧困は天皇側近たちの君側の奸を成敗すべくクーデターを起こす。
あくまでも大雑把な理由だが、天皇中心の国家を保ちながらよりよい国家にしたい
との思いは純粋で忠心からの行動であったと思う。
もう健さんというだけで、いい役柄だとわかるわけで、その誠実で一本気な忠義は
観るものに伝わるだろうし、吉永小百合扮する妻の立場も、多くの女性は感情移入
したであろう。
226事件が改めて世に広まった功績は大きいと思う。
精神構造も異常な戦時中
東映映画の転換点の1本
ことしのコロナ禍の中、東映も上映作品が窮乏しているようで、過去作品のデジタルリマスター版が幾作品か登場しました。
本作品は、高倉健と吉永小百合の初顔合わせ、かつ岡田裕介の初プロデュース作品で、その後の東映作品に影響を与えたものと思います。
映画は二部作。
第一部「海峡を渡る愛」。
昭和七年、世は困窮が続き、米騒動も勃発していた。そんな中、仙台の歩兵連隊では中隊の初年兵・溝口(永島敏行)が脱走。
理由は、借金のかたに売られてしまう姉・薫(吉永小百合)に最後の別れを告げるためだった。
中隊長の宮城大尉(高倉健)は追尾隊を組織し、溝口の故郷近くで脱走兵を捕縛するが、その際、追尾隊の指揮隊長(小林稔侍)が溝口ともみ合いの末、命を落としてしまう。
結果、溝口は軍法会議の結果、死刑。
責任を取る形で、宮城も朝鮮北部の国境警備に転属となる。
溝口の姉・薫を慮った宮城の思いも空しく、そ朝鮮半島の辺境で遊女となった薫と宮城は再会する・・・
第二部「雪降り止まず」。
昭和十年、東京。薫を引き取った宮城は、薫とともに東京に移り住む。宮城が第一連隊の役職に就くことになったからだ。
薫を引き取り、世間には妻と称しているものの、宮城はまだ彼女との間に関係を持っていない。
そこには、宮城がこのあと起こすことになる「二・二六事件」決起に対する彼女への配慮があったのだろうが、薫には宮城の他人行儀な潔癖性にみえてしかたがなかった。
宮城が師と仰ぐ上官への決起決意の旅の際、薫はそのことを宮城に対して詰るのであるが・・・
といった内容で、このあと、「二・二六事件」が描かれる。
1980年というと、すでに角川映画の『犬神家の一族』が成功し、日本映画界はそれまでの二本立て興行を見直し始めていた頃。
高倉健もすでに東映の専属ではなく、先に『八甲田山』で大作映画主役を務めていた。
東映では『仁義なき戦い』で手にした実録ヤクザ路線での大作映画化は困難との見方もあり、方向転換を考えざるを得ない状況。
そこに岡田茂社長の息子・裕介が製作者の立場で東映に帰着しての初プロデュース作品。
これまでの東映カラーを払拭しようとしての映画であった・・・
というのが、この映画の背景。
で、映画として、どのあたりに力を入れたのかは、吉永小百合であろうことは一目瞭然。
「時代に翻弄される男女の愛」という雰囲気だが、主役・高倉健の宮城大尉は翻弄されていない。
確信犯的に「二・二六事件」に突き進む。
歴史的には、本事件は陸軍内部の権力闘争のレベルでしかない、というのがいまとなっての定説だが、この作品では「貧しい民を救う義憤」という形をとっている。
これは、多分に、当時の東映映画ファンが反権力の立場に多かったためであろうし、その視点で映画を進めるのは悪くない。
が、最終的には、天皇の逆鱗に触れ、逆賊扱いになることを悔いたことで投降して事態が収拾され、そのことで、結句、天皇の絶対権力を認める右翼的思想映画としてのレッテルを貼られてしまったように思えます。
それはさておき、映画の主軸である「時代に翻弄される男女の愛」がどう描かれたのか・・・というと、あまり上手くいっているとはいえない。
第一部が、「それは嘘だろう・・・」と思うほどのドラマチックな展開なのに比べると、第二部では宮城・薫の愛情表現は「ストイック」の一言に落ち着いてしまう。
対比されるべき、青年将校・野上(にしきのあきら)と商家の娘・葉子(桜田淳子)というカップルを出しながら、ダイナミズムが欠如している。
野上・葉子のカップルは、決起の日に忘れず婚姻届けを出せ、未来はこれからだというのだが、宮城・薫のカップルは諦念のようにあくまでストイック。
このふたつの対比がうまく機能していないのは、ひとえに野上・葉子側の描き方が足りないせいだろう。
野上・葉子カップルを上手く描くシーンがもういくつかあれば、薫が宮城に面会する際の浴衣を着せかけるシーンでのエロチシズム(男女の情念)が高まったことと思う。
とはいえ、本作品、その後の東映作品で女性映画路線(『天国の駅』『火宅の人』など、ひいては『極道の妻たち』などのヤクザ路線にも)に舵を切る役割は果たしたと思われます。
とにかく、吉永小百合を魅力的に撮ることに注力されていると思いますから。
一体何の映画であったのか、よくわからないまま長い2時間半が終わってしまう
おそらく本作は、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」と対になる映画を目指したのだと思います
本作は戦争に突入していく狂気
「日本のいちばん長い日」ほ戦争をやめさせようとしない狂気
どちらも陸軍の青年将校達の心情を描いています
そしてどちらも反戦映画であるのです
本作品もまた226事変の結末を通して反戦を訴えていると思います
本作をファシズムを賛美した映画であるという批判は本作を本当に観た上のものなのでしょうか?
余りにも上面だけの批判です
第一部での軍法会議と、第二部終盤の軍法会議の相似形のシーンは明らかに軍国主義への批判です
その中での男と女の物語、命を懸けての行動の中でこそ燃え上がる熱情
それを高倉健と吉永小百合でやるのだという狙いも分かります
ですがどっちつかずになってしまっています
皇道派の青年将校達の狂気と利用されただけの哀れさを描いて反戦映画とするのか?
その中で運命に翻弄される男女のメロドラマなのか?
226事変のドキュメントをリアルに描くのか?
全部やろうとしてみんな中途半端に終わってしまっていると思います
それが残念でなりません
反戦としてのテーマ性はどうか?
利用されただけだという結末は新聞記事の見出しだけで、分かる人だけが気がつけば良いという態度です
メロドラマはどうか?
終盤の面会室での縫い上がった着物の試着のシーンは、二人が初めて男女の関係となり肌を合わせた仮縫いのシーンとの相似形になっており、実はエロチックな筈のものです
ですから続く会話シーンこそメロドラマとしてはクライマックスであるにも関わらず、高倉健と吉永小百合の二人を横顔だけで長々写しています
こここそ吉永小百合のアップと大粒の涙があるべきではなかったのでしょうか
誰に感情移入させようとしているのでしょうか?
そして226事変のリアルな再現はどうか?
迫真のセットや美術、衣装、小道具、エキストラの動員
どれも素晴らしいものですが、ごく短く駆け足のダイジェストに過ぎず、緻密なクーデター計画とそれを阻止しようとする、米倉斉加年が演じる憲兵とのエスピオナージュ合戦的なものも匂わすくらいで、まるでないのです
それ故に、計画が大願成就したカタルシスも観客たる私たちは高倉健と分かち合えも出来ないのです
そしてまた、計画が潰えた時の絶望感もまたないのです
こうして一体何の映画であったのか、よくわからないまま長い2時間半が終わってしまうのです
森谷司郎監督にしては残念な出来映えというほかありません
高倉健と吉永小百合
五社英雄の226と合わせて観てね
昭和7年5.15事件から昭和11年2.26事件までの混乱の時代
先日、映画『226』(1989)を見たのですが、当時の官僚たちを殺害にまで至った二・二六事件にしては、青年将校たちの切羽詰まったものが感じられなくて、他にも二・二六事件を扱った映画がないかと探していて、この映画にたどり着きました。
この『動乱』においては、昭和7年〜昭和11年ぐらいまでの混乱の世を生き抜く、せつない男女の姿が描かれていますが、二・二六事件はあくまでも、その時代背景であって、事件そのものがメインテーマではないような気がしました。事件の当日(昭和11年2月26日)の、午前4時ぐらいから、分刻みでテロップが流れますが、説明の範疇でした。先に『226』を見たので、歴史的なおさらいとして把握することはできましたが、事件に至るまでの経緯などは、やはり、よくわかりませんでした。
メロドラマといえばメロドラマなのかもしれませんが、夫婦になってからも、2人の間には、常にストイックな壁みたいなものがありました。枕を一つ置いた寝床は、2人は一緒には眠っていないのだなと思わせるんだけれども、宮城は「妻」と言っている、けれども、戸籍は入っていないんだな……と。暗い時代背景に合わせたように、成就できない男女の行く末が重くのしかかってきます。「そばにいて欲しいんです」という言葉が印象的でした。女性にとっては、ある意味残酷ですね。でも、健さんだからかっこいい台詞でした。
青年将校たちは、それぞれ仮名のようでした。高倉健演じる宮城大尉は、安藤大尉だと思っていたのですが、磯部浅一がモデルになっていたようです。磯部浅一といえば、将校の中でも最後の最後まで呪いをはき続けて、獄中でも日記を書き、そこには天皇陛下に罵詈雑言を投げかけていたとも言われています。(最近得た浅知識ですが)寡黙で感情を抑えた高倉健の演技はよかったと思いますが、磯部のイメージとはちょっと違っていたような気がします。
二・二六事件ということを考えれば、青年将校たちの決起を肯定的に描くわけにもいかないし、映画が右寄りになっても難しいので、限界があるのかなと思ってしまいました。文学にゆだねて、三島由紀夫の『憂国』もしくは『英霊の聲』を読んだ方がいいのかも(大昔の若い時に読みかけて、難しくて挫折してしまいましたが)。
1954年の映画『叛乱』、これも二・二六事件のものらしいです。レンタル屋で探してこうようかな。
吉永小百合の存在は必要か
昭和のスター高倉健と吉永小百合の共演ってのはすごいけど、それなら普通の恋愛の話にすれば良かったのに。5.15事件の話なら2人のストーリーは別にいらなかった。
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この映画の中では割と2人がイチャイチャしてるすぐ後に重要な事件がナレーションで教えられるから、事件の内容が頭に入ってこない。
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こういう暗殺とか革命をもくろむ人達ってさ、その作戦を実行に移すことに必死すぎるんだよ。もうちょっと周りの状況分析しろよ!!.
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そして最後はこの時代の映画特有の死に方が長い。普通に頭打たれたら即死だから!(笑).
高倉健と吉永小百合の初共演以外、動乱ナシ
高倉健と吉永小百合。日本映画界の2大トップスターが初共演した1980年の作品。
五・一五事件。二・二六事件。激動の日本近代史。
青年将校とその妻の愛。
重厚な森谷演出。
豪華キャスト。
2部構成。
THE大作!
…でも、傑作ではなかった。
ちょっとお堅いと言うか、歴史や時代背景を少なからず知っておかないと話に入り難い。
展開も淡々としていて、メリハリに欠けた。
青年将校たちの悲劇、妻との別れなど一通り描いてはいるものの、ドラマ的にも感情を揺さぶられるものに乏しかった。
なので必然的に、高倉健と吉永小百合の共演が見もの。
二人が同じ画面に映るだけで、さすがにおおっ!となる。
序盤、とある理由で遊女に身を落とした吉永小百合が珍しい。違和感はあったけど。
軍服姿の健さんは勿論カッコいいけど、やっぱりアウトロー的な健さんが好きだなぁ…。
2時間半もありながら、書けたのはこれだけ…。
ス、スマン…。
大作。重厚な近代史ドラマ。森谷監督作。高倉健と吉永小百合の初共演。そして栄えある日本アカデミーノミネート作品(←これは皮肉)
その割に動乱するほどでもなかった。
226事件の映画だとして観れば不満
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:80点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
この作品で重要な226事件の描き方だが、腐敗にまみれた組織と日本を変えたいという気持ちからだけで226事件が起きたかのような描き方だった。でも、実際はもっと過激な思想から事件に参加した人も大勢いただろうし、事件に参加した将校たちの思想・考えが一つしかないのは不満。そして彼ら側、特に大尉からの視点だけを描き、他の視点をとりあげないのにも不満。これでは彼らが一方的ないい人であり被害者にすぎなくなる。
ただし政治と歴史の事件を置いておいて、一人の真面目な義憤にかられて命を欠けて動いた将校の悲しい話として観るならば、高倉健が見事にはまっていた。
時々状況を説明しようとするその他大勢の人たちの科白のわざとらしさが耳につく。音楽をあまり使わずにしんみりと進行させるのは悪くなかった。
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