「日本人は猿ではなくて熊」東京物語 KIDOLOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)
日本人は猿ではなくて熊
沖縄の人とか。フィリピンの人。中国の南のほうの人は都会に出てきて難しいことがあると、すぐに田舎に帰ってしまうという話をよく聞く。彼らは大きくなっても、家族と一緒に暮らす傾向が強い。動物に例えると、猿だ。一方聞いた話では、スウェーデンの人々は親と一緒に暮らすなんてことは絶対にないという。珍しいのではなく、絶対にないと。日本の有名な推理小説「スウェーデン時計の謎」にそのことが書かれていた。日本人はどちらかといえば、このスウェーデンに人に近いのではないかと思う。かくゆう。私もそうだ。親と一緒にいたくない。親と一緒に居るのは、本能的に不自然さを感じる。自分が50歳過ぎて母親と2人で飯を食っていると、こんなことをしていてはいけないという本能の強い声が聞こえる。人間はそもそも親から独立する生き物なのだ。大人になってから、親に接しているのは不自然だ。ちょうど動物園の熊がそうだ。飼育員は熊が大きくなっても、自分が育てた子供のように思ってかわいがろうとする。しかし、頭を撫でられた熊は猛烈に怒る。あれと同じで、大人になった子供は親に構われると腹を立てる。逆に親は子供に構いたくなる。子供のすることに文句を言いたくなる。それは、子どもの独立本能を促すための本能ではないかと思うのだ。 よく見るとこの映画は実は、その本能を描いている作品なのである。単に冷たい子供達だな。とか。世の中にはいい人もいるもんだとか、そういう話ではないのだ。 小津安二郎の多くの作品には、その本能に矛盾する父親と娘が出てくる。この映画を作るまでにすでにいくつかのそういったプラトニックラブ父娘の話をつくっている。が、ここでの設定は娘ではなく血の繋がっていない次男の嫁になっている。この映画はプラトニックラブ父娘テーマと衝突させるための作品なのだ。 そのようにしてみると、この映画がどのような傑作か、その真の姿が見えて来るというものであろう。