東京暮色のレビュー・感想・評価
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熱燗が飲みたくなる
数年前東京暮色がにわかに着目されたのは有馬稲子の一枚の劇中スチールだった。おそらくvoguejapanか何かに載って火が点いたのだろう。
うしろで束ねていてショートヘアよりも短く見える髪型だった。ほおづえをつき、ほおをささえた手指にタバコをはさんでいた。丸顔の中心にある大きな目が不安そうにこっちを見ていて、なんともいえない表情をしている。白黒写真だが着衣も髪型も昔の女性には見えない。が、今様のコンプラに抵触するタバコをはさんでいる。だれもが「これは誰?」と思った。
それが東京暮色の有馬稲子だった。圧倒的なモダニズムだった。とうてい半世紀以上昔の映画女優には見えなかった。いや、現代だってこんな美しさとアンニュイが同居する表情をとらえた写真はなかった。
その東京暮色をはじめて見た。
東京暮色は小津安二郎が得意とする父娘のテーマを扱っているものの、機能不全に陥った家庭を描き、話は絶望的と言えるほど暗かった。
多くの人が小津安二郎の映画の中で一番暗いと認めているそうだ。
わたしも孝子が「あきちゃん死にました」と言ったときはびっくりした。事件らしい事件がおこらないのが小津映画であり、夢落ちにするのかとさえ思った。
ただし外国の批評家たちは一様に「悲しい話なのに気楽な雰囲気がある」と評価していた。同感だった。暗い話だがぜんぜん暗くなかった。
だいたい喪服の孝子(原節子)が母親(山田五十鈴)がやっている雀荘にやってきて、おもむろに「あきちゃん(有馬稲子)死にました」と言う前段のシーンといえば、藤原釜足が病院の宿直に「つい珍々軒て言うの忘れたからねよく教えといてくれよ珍々軒たのむよ」と言伝する場面で、珍々軒のシーンではうしろにぜんぜん場所にそぐわない安里屋ユンタが流れているのだった。ちなみに珍々軒の読みは当然と言えば当然だがちんちんけんだった。
出演者が小津安二郎の演技指導通り能面・無感情で演じているから悲劇が悲劇にならないのだった。劇的にしないことがドラマをどれほど見やすくするのか──を小津安二郎は教えてくれると改めて思った。
ウィキによると東京暮色はエリアカザンのエデンの東(1955)を小津流に翻案したものだそうだ。明子役は岸惠子の予定だったがスケジュール都合で有馬稲子が抜擢された。暗い作品なので公開年の旬報ランキングで19位になり、一般的にも長らく失敗作と見なされていた。
が、東京暮色、英題Tokyo Twilightは、IMDBは8.1、RottenTomatoes100%と92%である。
かつて書いた東京物語のレビューでIMDBは8.2だった、と書いているが、いま見ると8.1である。ストリーミングサービスが波及し小津安二郎が世界中で見られるようになったことで東京物語以外の小津安二郎の評点が底上がりしているように感じられる。秋刀魚の味、東京暮色、麦秋、東京物語、晩春がいずれも8超えだった。
思うに映画における慧眼・先見の明とは、公開当時にそれが良い作品であることに気づくことだろう。
オーソンウェルズのTouch of Evil(1958)はIMDB8.0の名画である。チャールズロートンのThe Night of the Hunter(1955)もIMDB8.0の名画である。ところが両者は公開当時、興行的にも批評的にも失敗している。後年、それが良い映画であることを誰かが言うまで過小評価されていた、わけである。そのように時間が経ってから再発見される映画があり、東京暮色にもそれが言える。
『小津当人は自信を持って送り出した作品だったが、同年のキネマ旬報日本映画ランキングで19位であったことからわかるように一般的には「失敗作」とみなされ小津は自嘲気味に「何たって19位の監督だからね」と語っていたという。』
(ウィキペディア、東京暮色より)
悲劇色のせいで埋もれてきたが、東京暮色は核心を突いていた。父がいて娘がいて、父が娘を心配している、東京物語のように誰にでも理解できる共通言語のような話だった。と、同時に、色あせない有馬稲子の風采によって東京暮色は再発見された。
有馬稲子は後年書いた自伝のなかで市川崑との7年間の不倫関係と堕胎をぶちまけ「許さない」と結んでいるそうだ。明子は悲劇のヒロインだったが、東京暮色が今も輝きを失わないのは、明子の勝ち気なキャラクターが素の有馬稲子を反映していたから、かもしれない。
個人的にもっとも印象的だったのは、山田五十鈴が演じる母親が室蘭へ発とうとしている上野駅で、娘の孝子が見送りにくるかと思って何度も何度もホームを確認する場面。ホームで応援部が凱歌をやっていて「おおめいじ」と歌っている。明子が死んでしまったから孝子がたったひとりの娘だ。が、発ってしまえばその一人娘とも永遠に会わないかもしれない。だから母は目を皿のようにしてホームを何度も何度も見る。とても不憫で印象に残った。
──
さいしょに周吉(笠智衆)が入ってくるカウンターだけの店で浦辺粂子が女将をやっている。このわたが入ったと言うので燗をつけてもらい牡蠣もあるというので雑炊と酢でおねがいした。
「あけみちゃんはきょうは」
「スキーに出かけちゃったんですよお友だちと、清水トンネルくぐってった向こうのなんとかってとこ、雪が350キロも積もってるんですって」
「そうは積もるまい350キロていや名古屋あたりまで行っちゃうもの、そりゃセンチだろ」
「あらそうですか、やだねえ」
昭和世代はご記憶されていると思うが晩年の浦辺粂子はバラエティやCMに出てくる楽しくて愛らしいお婆ちゃんだった。
家族、血
『東京物語』『晩春』同様に家族制度の陰陽をスケッチした傑作ドラマ。
妻に逃げられた父・笠智衆、夫と不仲の長女・原節子、風来坊気味の恋人に邪険にされる次女・有馬稲子。「普通の家族・恋人関係」から逸脱した者たちによって構成される杉山家は徐々に崩壊へと向かっていく。
戦後日本、家族神話は未だ有効だった。家族の一員の不在という欠落を抱えたまま前進していけるほど日本社会にリベラルな価値観は浸透していなかった。殊に母親の不在、兄の死、恋人の蒸発、堕胎といった複数の欠落を抱えていた次女・有馬稲子が死に向かって行ったことは必然だといえる。
小津作品の中でここまで劇的な(しかも死ぬべき年齢ではない者の)死が刻印された作品は珍しい。しかし彼女の小さな存在にのしかかったのは単なる個人的不幸にとどまらない、言うなれば近代日本文化史が築き上げてきた因業の集積だといえる。
とはいえ彼らの苦悩に対し「家族の形は一つではない」などといった現代的解決を処方することはあまり意味を成さない。というか、家族の形が一つではないという認識が一般的になってきた現代でさえ、家族という構造は未だ我々の生活に巨大な影を落としている。いくら思想的・法的に家族制度の解体を進めていったところで、我々がどこかの男女の性的結合を通じて生まれてきたという生理的事実や、身体的・精神的遺伝、またそこからくる「継承」の実感は決して拭い去ることができない。
有馬が蒸発した母親を憎むシーンで「私はあんな母親から生まれてきたから」といった嫌味を言うシーンがあるが、そこには家族制度という文化的枠組みの根本、つまり血の因果という問題が露呈している。
血に対する不信(裏を返せば信用)は思想や法律の埒外にある。どれだけ社会が「家族なんか重要じゃないよ」とエンパワーメントしたところで、私はこの人の血を継いでいる、という実感は覆りようがない。
終盤、有馬稲子がその実母役の山田五十鈴に「あなたは本当の母親か?」と尋ねるシーンがある。山田は「血の繋がりだけは本物だ、信じてほしい」と念を押す一方、有馬はそのことにかえってショックを受ける。血縁に対する認識が真逆にすれ違う印象的なシーンだが、どちらも血という繋がりを重要視しているという点において本質的に変わらない。
つまるところ本作が目を向ける「家族」とは、より正確にいえばさらにその内奥にあるもの、すなわち「血」なのではないかと思う。
ラスト、家庭に一人取り残された笠智衆が出勤の支度をするシーンでは、無人の廊下が何度か映し出される。強烈な不在のイメージ。次いでネクタイを締める笠智衆のもとへ家政婦の女が近づいてくる。ここの違和感はすごい。その家庭に属するものではない者、つまり非血縁者が家庭に闖入してくる不気味さ。会話もそっけなく、笠智衆は彼女に「時間になったら帰ってくれていいから」と声をかける。家政婦は「はあ」と返事する。
たとえ家族制度を否定しても、血縁を否定することは容易ではないということが如実に表れた決定的シーンであったように感じた。
有馬稲子は芦川いずみのようだった。
父親の哀しみは晩秋に吹く風よりも穏やかで静かだ。
思春期の娘の無意識のなかに潜む男っぽさは無邪気で残酷なむものだ。
だれかれなしに「・・・・ねばならない」と断罪しながら自分自身の無能力さを嘆くだけ。
嘆くだけならまだしも、周りの人間を四六時中責めたてる。
そんな間の抜けた会話が画面狭しとのたうち廻り、観ている者をイラつかせる。小津映画には嘗てないシチュエーション。故に、風に揺れる斜塔のてっぺんにいるような気分だった。
小津安二郎にいったい何が起こっていたのだろうか・・・少々混乱してしまった。
決まりきった画面構図は微動だにせず。いつもなら構図の安定感が見る者の気持ちを安らかにする。しかし、今回は逆方向へ向かい、アゲンストに立ち向かう紙飛行機のように急上昇、急落下の連続。
親子といえども複雑な人間関係に変わりはない。
人と人との関係を良好に保ち続けるというのは簡単なことではないのだ。
大袈裟だけれど、命がけなのだ。
小津版エデンの東
「ちょいと」とよく言う東京の人
山田五十鈴が目当てで見た。彼女が小津安二郎の映画に出演した唯一の作品らしい。原節子がいつもと異なった役回りで良かった。見合いで結婚した夫が仕事ゆえに荒んでしまっているため2歳の娘と実家に戻る。彼女は自分たちがまだ小さい頃、子ども達を置いて離婚した母親(山田五十鈴)を許していない。そして久し振りの再会でも強硬に母親に物を言い妹(20歳にはなってると思うが幼い。恋人ができたのが運の尽き?)と父を守る。母親が東京を離れることになってもとにかく無言で通す。こういう原節子はとてもいいです。
でも最後、娘を連れて夫のもとに戻ることにした理由を父親に述べるがその内容が嫌だった。「子どものために」。これほど子どもが成長してから聞かされて嫌な思いになる言葉はなく、おためごかし以外の何物でもない。夫の京城(ソウル)赴任中に離婚を申し出た母親の方が正直で潔い。娘との久し振りの再会でも、卑屈になることも母親ぶることもなく普通に接して会話する。山田五十鈴、まさに適役。
今の町名とちょっと異なる「牛込東五軒町」を耳にしたり、五反田の様子を見たり、何度も映った急坂から「雑司が谷の奥に住んでる」ことに納得したりして楽しかった。また誰もが「ちょいと」と頻繁に口にするのがとても面白かった。古典落語でしか耳にしない「そう言っとくれ」も聞いた。五反田の雀荘の「寿荘」の近所のラーメン屋「珍々軒」では必ず沖縄の唄「安里屋(あさどや)ユンタ」が聞こえてきた。他の場面でも東京以外の地域の民謡や唄が聞こえてくる。いろんな所から東京に人が集まる最盛期の始まりの頃だろうか。関西弁の人も登場していた。昔の映画を見ると、物語とか構成よりも当時の都会の様子、住まい、洋服と着物、言葉、飲み屋、風俗にばかり関心が行ってしまう。
トラウマになりそう
情報量たっぷりのハリウッド映画に比べると、小津安二郎の映画は情報量が少なく、そのかわり、どこを切っても完璧だ。いつまでたっても古くならない。
厳格な構図(俳優も完璧な小道具の一部)と反復される緻密なショット。その完璧主義には狂気すら感じる。
小さなカメラを通して、その「完璧な美」で世界全体に対抗しているような小津安二郎を私は愛して止まない。
永遠の別れ。小津は,常に夫婦や親子の一方を失わせることによって家族というものを描いたが、本作の別れは、人間が人間の社会から追放されるとは何かということを含んでいた。
明子は自分を東京のゴミのように感じている。
母を知らずに育った孤独を他のもので埋めようとしても魂は立っていられない。
ズベ公、お嫁に行けない、汚れた血。男子の死、ギャンブル、無責任。下劣なセリフ。
男女の役割が明確で、大衆心理が世の中のすべての決定権をもつ社会。踏切の「金鳳堂メガネ」の看板の目が怖い。
社会が敷いたレールの上で、真に自立した精神を持つことが難しいのは現代も同じ。
オープニングの露地の呑み屋。「露」は露出すること、何かが内から外へ露れる(あらわれる)ことをいう。夜露や露地が印象的。
「正」から「負」に転落したものとして世の中に晒されるようなイメージを感じた。
家族の血縁意識は強い一方で、「自己」と「非自己」の関係の冷たさが浮き彫りになる。
ラストに、お手伝いさんは出てこなかった。かつての「お手伝いさん」という身近な他者はもういない。
戦後民主主義の空気感が漂う。
ダーク過ぎてトラウマになりそう。
60年安保に向けて世相が騒然となりつつある中で、松竹大船調がのんびりとしたプチブルジョア的だとの批判を受けていた事に対応したものかもしれない
1957年の作品
小津監督の最後の白黒作品
60年安保に向けて世相が騒然となりつつある中で、松竹大船調がのんびりとしたプチブルジョア的だとの批判を受けていた事に対応したものかもしれない
政治的なニュアンスは微塵もないが、戦後世代の自由な生き方の実相をえぐろうという監督の意欲は大変伝わってくる
但し暗く、重い
原節子も麦秋で見せたような毒のある役を演じる
珍珍軒の主人の台詞
アプレ(ゲール)のよ、あの子だよ
おい、下の口を閉じといてくれ
まさか小津監督作品でこのような下品で辛辣な言葉を聞くとは思わなかった
明子と喜久代の台詞
ねぇ、お母さん、一体私誰の子なのよ!
そんなことまで私を疑うの?
この会話は明子と学生木村の会話の相似形でハッとさせる
戦後民主主義の子供なの?
戦前から地続きの日本の子供なの?
それがこの場面の真の意味だ
明子や孝子がこの様になったのも、彼女たちの親の世代に責任があったのではないかと追及し、その通りであったかも知れないとの自責の視点が発する言葉だ
クライマックスの踏切の恐ろしさは初めて登場するときから漂わせている演出の見事さ
学生木村の無責任さは、病院にすらついてきていない
これは小津監督の学生運動への不信の視線を反映していると思う
だから当時の若者たちには支持されないのも当然なのだろう
ラストシーンで周吉は孝子が忘れて帰った赤ちゃんのガラガラを愛おしく振ってみせる
本当の戦後世代には罪はない
健やかに育って欲しい、その願いが込められている
結局のところこのような社会性を持たせることは小津監督作品にはなじまない
それが観客にも、監督にも明確になったと思う
それでも、本作は傑作であると思う
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