劇場公開日 1957年4月30日

「熱燗が飲みたくなる」東京暮色 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0熱燗が飲みたくなる

2024年12月29日
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数年前東京暮色がにわかに着目されたのは有馬稲子の一枚の劇中スチールだった。おそらくvoguejapanか何かに載って火が点いたのだろう。

うしろで束ねていてショートヘアよりも短く見える髪型だった。ほおづえをつき、ほおをささえた手指にタバコをはさんでいた。丸顔の中心にある大きな目が不安そうにこっちを見ていて、なんともいえない表情をしている。白黒写真だが着衣も髪型も昔の女性には見えない。が、今様のコンプラに抵触するタバコをはさんでいる。だれもが「これは誰?」と思った。
それが東京暮色の有馬稲子だった。圧倒的なモダニズムだった。とうてい半世紀以上昔の映画女優には見えなかった。いや、現代だってこんな美しさとアンニュイが同居する表情をとらえた写真はなかった。

その東京暮色をはじめて見た。
東京暮色は小津安二郎が得意とする父娘のテーマを扱っているものの、機能不全に陥った家庭を描き、話は絶望的と言えるほど暗かった。
多くの人が小津安二郎の映画の中で一番暗いと認めているそうだ。

わたしも孝子が「あきちゃん死にました」と言ったときはびっくりした。事件らしい事件がおこらないのが小津映画であり、夢落ちにするのかとさえ思った。

ただし外国の批評家たちは一様に「悲しい話なのに気楽な雰囲気がある」と評価していた。同感だった。暗い話だがぜんぜん暗くなかった。

だいたい喪服の孝子(原節子)が母親(山田五十鈴)がやっている雀荘にやってきて、おもむろに「あきちゃん(有馬稲子)死にました」と言う前段のシーンといえば、藤原釜足が病院の宿直に「つい珍々軒て言うの忘れたからねよく教えといてくれよ珍々軒たのむよ」と言伝する場面で、珍々軒のシーンではうしろにぜんぜん場所にそぐわない安里屋ユンタが流れているのだった。ちなみに珍々軒の読みは当然と言えば当然だがちんちんけんだった。

出演者が小津安二郎の演技指導通り能面・無感情で演じているから悲劇が悲劇にならないのだった。劇的にしないことがドラマをどれほど見やすくするのか──を小津安二郎は教えてくれると改めて思った。

ウィキによると東京暮色はエリアカザンのエデンの東(1955)を小津流に翻案したものだそうだ。明子役は岸惠子の予定だったがスケジュール都合で有馬稲子が抜擢された。暗い作品なので公開年の旬報ランキングで19位になり、一般的にも長らく失敗作と見なされていた。
が、東京暮色、英題Tokyo Twilightは、IMDBは8.1、RottenTomatoes100%と92%である。

かつて書いた東京物語のレビューでIMDBは8.2だった、と書いているが、いま見ると8.1である。ストリーミングサービスが波及し小津安二郎が世界中で見られるようになったことで東京物語以外の小津安二郎の評点が底上がりしているように感じられる。秋刀魚の味、東京暮色、麦秋、東京物語、晩春がいずれも8超えだった。

思うに映画における慧眼・先見の明とは、公開当時にそれが良い作品であることに気づくことだろう。
オーソンウェルズのTouch of Evil(1958)はIMDB8.0の名画である。チャールズロートンのThe Night of the Hunter(1955)もIMDB8.0の名画である。ところが両者は公開当時、興行的にも批評的にも失敗している。後年、それが良い映画であることを誰かが言うまで過小評価されていた、わけである。そのように時間が経ってから再発見される映画があり、東京暮色にもそれが言える。

『小津当人は自信を持って送り出した作品だったが、同年のキネマ旬報日本映画ランキングで19位であったことからわかるように一般的には「失敗作」とみなされ小津は自嘲気味に「何たって19位の監督だからね」と語っていたという。』
(ウィキペディア、東京暮色より)

悲劇色のせいで埋もれてきたが、東京暮色は核心を突いていた。父がいて娘がいて、父が娘を心配している、東京物語のように誰にでも理解できる共通言語のような話だった。と、同時に、色あせない有馬稲子の風采によって東京暮色は再発見された。

有馬稲子は後年書いた自伝のなかで市川崑との7年間の不倫関係と堕胎をぶちまけ「許さない」と結んでいるそうだ。明子は悲劇のヒロインだったが、東京暮色が今も輝きを失わないのは、明子の勝ち気なキャラクターが素の有馬稲子を反映していたから、かもしれない。

個人的にもっとも印象的だったのは、山田五十鈴が演じる母親が室蘭へ発とうとしている上野駅で、娘の孝子が見送りにくるかと思って何度も何度もホームを確認する場面。ホームで応援部が凱歌をやっていて「おおめいじ」と歌っている。明子が死んでしまったから孝子がたったひとりの娘だ。が、発ってしまえばその一人娘とも永遠に会わないかもしれない。だから母は目を皿のようにしてホームを何度も何度も見る。とても不憫で印象に残った。

──

さいしょに周吉(笠智衆)が入ってくるカウンターだけの店で浦辺粂子が女将をやっている。このわたが入ったと言うので燗をつけてもらい牡蠣もあるというので雑炊と酢でおねがいした。

「あけみちゃんはきょうは」
「スキーに出かけちゃったんですよお友だちと、清水トンネルくぐってった向こうのなんとかってとこ、雪が350キロも積もってるんですって」
「そうは積もるまい350キロていや名古屋あたりまで行っちゃうもの、そりゃセンチだろ」
「あらそうですか、やだねえ」

昭和世代はご記憶されていると思うが晩年の浦辺粂子はバラエティやCMに出てくる楽しくて愛らしいお婆ちゃんだった。

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津次郎