アメリカの友人のレビュー・感想・評価
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デニスホッパーがカッコよかった
昔の洒落映画。
うん十年前から見たかったヴィムヴェンダース監督の映画。ようやく見ました。
おじさんになったデニスホッパーしか知らなかったのでアレですが、カッコよかったんですね。
容姿もそうですが、役がカッコよかった。
大人しく静かな額縁職人が、殺人事件に巻き込まれていく。
絵画の贋作を見抜ける才能に惚れたのか、額縁職人をピンチから救い出す。粋な役だった。
最後の方のシーンで、救急車がウユニ塩湖みたいな場所を走る美しいシーンがあるが、当時にしたらとんでもなくびっくりな美しいシーンだっただろうな。
わからん
【ヴィム・ヴェンダース監督が迷走するなか、世に出した逸品。】
■贋作を売りさばいているアメリカ人の画商、トム・リプリー。(デニス・ホッパー)
いかがわしい仲間から殺人を頼まれたトムは、白血病を患う額縁職人のヨナタン(ブルーノ・ガンツ)を紹介する。
余命いくばくもないヨナタンは、家族に巨額の報奨金を残そうと、殺人を引き受けてしまう。
◆感想
・今作は、ヴィム・ヴェンダース監督が迷走する中、当時脚光を浴びたていた、パトシア・ハイスミスの原作に可なり忠実に描かれた作品である。
<だが、今作を観ると、ヴィム・ヴェンダース監督のオリジナリティは余り感じられない作品である。
但し、今作後のヴィム・ヴェンダース監督の作品は、刮目すべき作品が多い。
映画監督の熟成していく過程を考えると貴重な作品であると思う。>
彷徨う
ヴィム・ヴェンダース / レトロスペクティブ
まあまあの映画
『ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも』にて鑑賞。
なんだかよく分からないが(笑)、白血病に苛まされる額縁職人の男が、殺人依頼を半ば無理矢理引き受けさせられ巻き込まれていくサスペンス作品。
殺人を犯したり、追っかけたり逃走したりと"サスペンス映画あるある"な場面はあるにはあるが、正直、緊張感がまるで無い…ちょっとした出来損ないのスリラー映画でも観せらてるような感じで、時間が経つにつれ飽きてくる(笑)
こんな作品もあるよ…ぐらいかな(笑)
*wikiによると、この作品の原作小説は、映画『太陽がいっぱい』の原作小説の続編とのこと。デニス・ホッパー演じる"トム・リプリー"というのは、映画『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが演じたあの役柄と同じ(おぉっ!)。
しかし、この作品、登場人物が皆どこか間が抜けてて、犯罪映画の匂いがまるでしなかったんですけど…笑
【ロードムービー三部作の次/再び欧州とアメリカの融合】
「都市とアリス」「まわり道」「さすらい」のロードムービー三部作の直後に制作されたのが、この「アメリカの友人」だ。
そして、主演のひとりは、アメリカ・ロードムービー代表作「イージー★ライダー」の監督・脚本・主演のデニス・ホッパーだ。
ロードムービー三部作では、戦後、東西に分かれたドイツの西側で、アメリカ文化の影響を受けつつ、アイデンティティとは何かと葛藤し、変化も受け入れ、それを肯定する姿などが描かれていたが、大きな映画のテーマとしてロードムービーが注目されたのが、アメリカ作品の「イージー★ライダー」で、その監督・脚本・主演のデニス・ホッパーを迎えて、「アメリカの友人」を撮ったことは、意義深かったのだろうなと考えたりする。
ブルーノ・ガンツ演じるヨナタンと、デニス・ホッパー演じるトム・リプリーのコンビが滑稽で最高なのだが、ヴィム・ヴェンダースの三部作とは異なり、エンディングにはイージー★ライダーちっくな悲哀も盛り込まれている。
そして、ここに描かれている殺しもハード・ボイルドなどでは決してなく、素人ならではのドタバタで、殺られる側も、殺し屋とか用心棒とか言われる割には不用心だし、マフィアと呼ばれる割には、ものすごくマヌケな感じなのだ。
だからこそ、この作品は楽しいし、悲哀も感じられて、多くの人に親しまれているのだと思う。
確かに、現代のアクション・ムービーと違って、迫力には欠ける(ただ、列車からの突き落とされそうになる場面はドキドキした)が、戦後、世界中で民主化が進展し、西ドイツでは急激な産業化が進むなか、実は、暴力的な行為の担い手も減少していたのだろうななどと考えてしまった。
戦時中はもとより、戦後しばらくも、アメリカ人俳優が西ドイツにやって来て、映画を撮るなんて考えられなかっただろうし、東西冷戦中であっても、西側の急激な相互依存関係が進行していたことが伺われる。
そして、ちょっと滑稽だけど、エンディングには悲哀も用意されていて、ヴィム・ヴェンダースとデニス・ホッパーのロードムービーを合わせたような感じで、そこもまた良いのだ。
豊かになったアメリカ人が、ロクに確かめもせずに有名画家の作品の贋作を大枚はたいて買うのだが、時代を反映していると同時に、”審美眼”はヨーロッパにあるのだという設定も面白かった。
まだ評価の定まらない新人作家の作品をバカ高い値段で買い漁るのは、今のアメリカも実は同じようなものだ。
滑稽、皮肉、悲哀。
多くのエッセンスが詰まった作品だと思う。
役者も映像も最高だが、翻案に失敗したかな。
やっぱりホッパーはカッコいい。
ニコラス・レイも凄く良かった。
サミュエル ・フラーも結構良かったのだが、もうチョイ台詞が欲しかった。
そして、とにかく映像が素晴らしい。
さすが4Kレストア版。
ハンブルクの港町の風景、オレンジ色の懐かしいワーゲン、子供の黄色いレインコートや奥さんの真っ赤なコート、朝の光の中で真っ白いアンビュランスが赤々と燃えて爆発するラスト近くのシーン、
それら諸々の配色バランスの見事さよ!
撮影監督であるミュラーのセンスが冴えまくっていて、スクリーンでの大画面はホント最高だった。
冒頭のホッパーの登場や、赤いドイツ語でカッコよく出現するタイトル、そして贋作者として登場するニコラス・レイとの会話(これは『理由なき反抗』以来の再会?)そして、その後のオークションまでの流れは最高だったのだが…
そもそもだが主人公をリプリーでなく、ヨナタンにしてしまった時点で、明らかに物語の翻案は失敗だった。
リプリーは、狂言回しには違いないが、あれは主人公とはいえない。
やはりリプリーの心理を軸にプロットを進めていかないとストーリーの核が鮮明に浮かび上がって来ない。
ズブの素人にマフィア殺しをさせるよう仕向ける事それ自体が、まさにリプリーの悪ふざけのゲーム、原作のタイトルでもある「Ripley's Game」なのだから。
この物語において、最も重要ポイントとなるリプリーとヨナタンの最初の出会いもアレじゃダメだ。
ヨナタン役のブルーノ・ガンツも芝居は良かったが、あの役自体、あんな平凡な善良な男というより、もっと聖人みたいな全く悪い事など本当に出来そうにない真正直なキャラでないと物語自体が明確に見えてこない。
そんな男から「お噂はかねがね」と何気ない冷淡な社交辞令を言われただけで、リプリーは気分を損ねて、さらに過去の完全犯罪まで見透かされたような妄想をしてしまい、勝手気ままな殆ど道楽とも言えるゲームを始めたのが、そもそもの原作設定なのだから。
まるで、あの『ファウスト』のメフィストフェレスのように。
そんな悪魔的なゲームを愉しむリプリーを主人公としてフィーチャーさせて、彼の視点や心象風景をもっと増やし、あの魅力的なホッパーの出番が、より一層と多くなっていれば、間違いなく傑作になっていたに違いない。
ヴェンダースは『ベルリン天使の詩』でもガンツを主人公にしていたが、彼には俗世間を抜け目なく切り抜ける役の方が良く似合うはずだ。聖人の配役などミスキャストだったと思う。
あと、ヨナタンはキンクスやビートルズを歌っていたが、リプリーには楽屋オチのイージー・ライダーやボブ・ディランよりも、やはり「Sympathy for the devil」を歌って欲しかった。
“Ah〜♪what's puzzling you
Is the nature of my game〜♪”
てな感じで、ホッパーが運転しながら歌っていたらホント最高だったのに。
サウンドトラックの音楽の方も良くて、
ラストでのニコラス・レイの実存主義な登場シーンや、そこで再度出現する赤いタイトルロゴの方も実にカッコ良かっただけに何とも残念!な作品ではあった。
やっぱりハンブルグにはビートルズを呼べない
♪Baby, you can drive my car♪などと口ずさむヨナタン(ブルーノ・ガンツ)が印象的。というか、運転してやれよ、マリアンヌ。この終盤の展開が、ちょっとわからない部分があって消化不良となるのですが、何故銃を隠した?とか、トムとの約束をなぜ破った?とか、あの家は誰の家?とか救急車の中の人物たちは?などと考えるのも野暮なんでしょうね~
何も調べないで見てしまったのですが、『太陽がいっぱい』『リプリー』などの作品で知られる作家パトリシア・ハイスミスのトム・リプリーシリーズなのだそうだ。そう考えるとラストのシークエンスはいかにもフランス映画版『太陽がいっぱい』の雰囲気を醸し出していたな~などと感じてしまいます。
そのトム・リプリーをデニス・ホッパーが演じ、ドイツ語読みのヨナタンを彼一人だけ“ジョナサン”と呼び続けていたこと、「友人にはなれないな」と言うヨナタンとは結局仲良くなっているし、それまでのサスペンスは一体何だったのだ?などとストーリーの落差にも驚いてしまう。そして、謎ばかりが残る・・・ミノの家が爆破されたとか、ミノがヨナタンを殺さなかった謎とか、どうも腑に落ちないのです。
それでもドイツ、フランス、アメリカと、文化の違いなども上手く表現していたし、ヨナタンの息子ダニエルに与えていた幻灯機など映画愛にもあふれていたように思う。
アメリカの曲者たち
ヴェンダースとブルーノ・ガンツと言えば「ベルリン・天使の詩」が印象的で、本作のB・ガンツは普通のオジサンかと思えば、遂行してからのスーツ姿など見栄えからチンピラ風味も醸し出し。
そんな二人に加わったアメリカからの刺客がD・ホッパー、ニコラス・レイ、サミュエル・フラーと魅力的すぎて堪らない。
パトリシア・ハイスミスの原作は読んだことは無いが、原作となった映画は「ギリシャについた嘘」と「キャロル」は鑑賞済み。
代表作であろう「太陽がいっぱい」は観ていないから"トム・リプリー"と言われてもピンと来ず、D・ホッパーが演じた"トム・リプリー"を自然と観るのみで。
電車での奮闘シーンなど多少、雑な演出も垣間見れるような?全体的にスクリーンに映える色が印象的だった。
アホにはむずい作品。 病気の不安にさいなまれ、家族に金を残すべく殺...
引き寄せ合う孤独。
ファースト・ショットから激しい寂寥感を覚えた。そのもの哀しさは物語が進むほど増し、いたたまれなくなる。突然自分の孤独を実感し、いてもたってもいられなくなり、部屋を飛び出し人混みに飛び込んでみても、行き交う人々の誰1人とも繋がっていないことに気づき、より一層孤独感を募らせる・・・、そんな感じの映画だ。白血病で余命いくばくもない男が、家族に残す金のため殺人を請け負う。プロットだけ見るとバードボイルドな男の美学に満ち溢れているように思える。しかし実際は、死を前にした男の自己陶酔の物語だ。原作はパトリシア・ハイスミスの小説、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが映画史に刻んだ、トム・リプリーという男が“アメリカの友人”として登場する。ヴェンダースとデニス・ホッパーによって作られた全く新しいリプリーは、本作の主人公に死神のように忍び寄る。本作の主人公ヨナタンはカッコいいヒーローではない。第三者から宣告された死をなかなか受け入れられず、医師にしつこく詰め寄ったり、金目当てで犯した殺人に怯え、危機をリプリーに救われてからはリプリーの言いなりになるだけ。ヨナタンとリプリーの関係は、決して「友情」ではなかったと思う。互いの反感から芽生えた興味、リプリーが仕掛けたゲーム。しかしそこに何らかの繋がりがあったことも確かだ。いよいよ死が近いと悟ったヨナタンは、家族の“ため”に罪を犯す。そのため、妻に大きな秘密を作ることになり、残された時間を家族といるよりも、共犯者であるアメリカの友人と過ごすことが多くなってしまう。残された家族のためという大義名分に酔って家族をかえりみなくなっていることに気付かない男・・・。妻から見れば、金よりも残された時間、手を取り合って寄り添っていられた方がなんぼかマシだったのではなかろうか?本作に漂う寂寥感は、ヨナタンとリプリーが抱える“孤独”から来ている。愛する家族がいても、秘密を持ってしまったがためにすれ違う心。大きな屋敷に1人住み、裏社会でしか生きられない男の荒んだ心。この孤独感が互いを引きよせ、果ては暴力と悲劇に突き進む。セピアがかった淀んだ映像の中で、時折ハッとさせられるほどの鮮やかな映像(青い麦畑とか、碧い海とか)が哀しみを深める。ただ1つの救いは、ヨナタンが最終的に妻の元へ戻ること。最後の一仕事を手掛ける前によくぞ妻にヨナタンを迎えに来させてくれた。ここで妻が来なければ、ヨナタンはリプリーの言いなりになったまま、精神が麻痺した状態で死んでいったかもしれない。しかし妻が登場したことによって、ヨナタンの精神は一時的にクリアーになり、リプリーにささやかな仕返しをするまでになる。残されたリプリーは、孤独に生きるしかない、彼に群がる人は今後沢山いるだろうが、誰1人として真の友人となる人は現れないのだ・・・。
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