東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語のレビュー・感想・評価
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存在も不在もいかようにも
東京写真美術館にて、風景論以後展の企画上映で。
そこに映る風景、道、建物、街角のタバコ屋、歩道、街路樹、車の形オートバイの音、電車、デモ隊、ヘルメット、純粋東京の風景が心を捉える。
2023年に見ると途中からeverything everywhere at onceみたいなぐるぐる気分に。
社会生活は概ね茶番で大体がごっこと思っているからこの映画はなんとも心地よいごっこの作りで進行、で屋上から飛び降りた男がいたかいなかったかはとでも大事でありどうでもいいことでもあり、女がその在不在の男の恋人だとなることでさらなる現実の幻想、幻想の現実を追い求めるようになる。つまりどうでも良くなる、最後は予定調和的ループ展開。
音楽がとてもよい。
全然同時代じゃない私、遅れすぎた世代である私、若い時ゴダールとか探してみるのに忙しかったが大島渚をもっとみていたらよかったかもな、と思った。ゴダール的なもの、ノスフェラトゥ的なもの、当時の写真や芸術などもムーブメントなどへのオマージュというか影響も垣間見られるように感じた。風景と時代を感じた。映画を見ることのありがたみ。
大島渚の繊細な感じが、若くて無垢な雰囲気のポジポジの面々が素直に演じられていて好感。
同日に上映されたポジポジの
天地衰弱説、天地衰弱説第二章、風景の死滅
も鑑賞。
天地衰弱説、第二章、
高校生の学生運動、全斗委竹早の黒い旗、
暇だ、退屈だ!暇つぶしだ!
このアツい時代の破壊的パワーと共に、家や学校やアパートでのたらたらとした退屈から街へ出て仲間とつるみギラギラとした退屈、退屈を爆発されるハプニング的なものや、そこにはいけない、いかないけど時代の熱波を感じてなんかうずうずするような退屈さ。
暇なんだ、退屈なんだ、と黒旗掲げて語る高校生がとても良い、今にはないこの感情。
僕は映画を作ろうと思う、なぜならカメラがあるから、暇だから、、というところからコメディタッチ作品
みんなポジポジはおぼっちゃま、中産階級の幸せな子どもたち賢い頭の良い自由で不自由がないつまり金にそんなに困らず育った方々だと思う、昭和というのは自由で不自由のない時代であったなと思う。第二章は映画のフィルム2巻を遺書として残した男、首吊りした男、映画作りの仲間が自殺か他殺か事故かなぜ遺書を映画で残したかなぜ死んだかさまざまな想像を展開する。最後の、首吊りの木、足もとの木箱が蹴られ斜めに倒れる木箱その瞬間のストップ画で終わるラストがカッコいい。
風景の死滅
成田三里塚闘争のシーン、里山に暮らす人々の痕跡、花や虫、実る稲穂、、、、
後藤さんのお話
1967年都立竹早高校で高校映研を作った
当時8ミリカメラを中産階級の家にはあった、後藤さんの家にあり、部活ではなくサークルとして、ポジポジというグループを作った。
高三の時新宿高校の旧校舎を改装中の仮校舎として使っていたのが1969年。時代の習いで高校もバリケード作り授業ボイコットなど新宿高校でもあった。
新宿御苑で映画を撮ったのが天地衰弱説
1970年の原正孝主催の上野高校での映画祭?に出品、
大島渚と田村孟が見にきてポジポジ作品気に入られたことで関わりができた。
大島さんの考え、そのころは、政治の季節は終わりと考えていたようだ。
映画で遺書を残した男というアイデア、プロットがあり、
原正孝とポジポジにはアイデアを出すよう宿題が出て、原正孝のアイデアが採用されたが、出演者としてポジポジの6人はリテインされた。16ミリカメラが欲しいお金が欲しくて俳優として参加した、、
1970年5月に東京戦争秘話公開
1970年6月に天地衰弱説2で、おそらく映画で遺書を残した男のアイデアをもとに作ったもの。
その後の後藤さんのテレビ、ザスクープ、ドキュメンタリーなどのお仕事の話、足立正男がいたパレスチナへ2000年くらいに、パレスチナ第二次インティファーダの頃パレスチナに行ったお話もされていた。
尊敬すべき映画人。
仲間との繋がりでできた、大塚シネマハウス、気になっていたが後藤さん、ポジポジの仲間が作られた映画館とのことで足を運んでみたい。
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