「悪い予感に慄えた」東京裁判 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
悪い予感に慄えた
収穫はたくさんある。ひとつは膨大な資料提供をしてくれたのがアメリカだということ。流石に情報公開の国である。どんな機密情報も30年を経過したら公開するという原則を忠実に守る。日本の官庁が公開する黒塗りの文書とは大違いである。この一点だけでも日本がまだ民主主義国たり得ていないことがわかる。
もうひとつは玉音放送のすべてを聞くことができたこと。負けた国の元首にしては随分と偉そうな物言いではあるが、当時の天皇は絶対的な権威であったことを考えると、この文言がギリギリだったのかもしれない。
3つ目は映画館が満席であったこと。若者は見かけなかったが、敗戦の日を翌々日に控えた日にこの映画を見る人がこれほどたくさんいるというのは、戦争に対する問題意識が高まっている証左ではないかと思う。それほど現代の日本はキナ臭いのだ。
4つ目は東條英機が被告の中で最も愚かであるのが明らかだったこと。他の被告たちが尋問の意図を受け取って堂々と発言しているのに対し、東條は尋問者の揚げ足を取ったり、通訳の日本語がわかりにくいと非難したりする。どこぞの国会での暗愚の宰相が野党の質問をはぐらかしたり下品なヤジを飛ばしたりするのとそっくりである。
5つ目は、極東国際軍事裁判が極めて特殊な裁判であり、裁判自体の正当性が何に担保されるのかが争われたこと、そして裁判官が戦勝国の法律家ばかりであったことが不公平に当たらないかと法廷内で指摘されたこと。GHQによる一方的な裁判だとばかり思っていたが、法の下の平等、法の不遡及ということについての認識がはっきりしている。
6つ目は、天皇の戦争責任が否定される法廷であったこと。天皇に戦争責任がなかったことにしたかったのは、天皇の取り巻きや戦時政権ではなく、アメリカの意向であったことが解る。日本人をよく分析して、天皇という権威をそのままに置いておいたほうが日本を統治しやすいと考えた結果であるのは誰もが知っているところだが、東條英機をはじめとした軍官僚たちの中には誰ひとりとして天皇の戦争責任を積極的に否定する者はいなかったのだ。自分が助かるなら場合によっては天皇ひとりに全責任を被せようという肚だったのは明らかである。これもまた、誰ひとりとして責任を取らない自公政権とそっくりだ。
長時間の映画だが、全く退屈しなかった。それどころか、当時の人々があまりにも普通の人々であり、現在の政治家たちと大差ないことに愕然とした。まさに今の政治家たちも同じように戦争を起こすのではないかと、悪い予感に慄えてしまったのである。
とある作家さんが【政治家は国民に嘘をつくためにいる】と聞いたことがあります。
日本人の国民性ほど非道なものはないと感じてしまいます。
非常に同調できるレビューで返信してしまいました。