帝銀事件 死刑囚
劇場公開日:1964年4月12日
解説
「アリバイ」の熊井啓がオリジナル・シナリオを執筆、熊井啓が監督した社会ドラマ。撮影は「男の紋章 風雲双つ竜」の岩佐一泉。
1964年製作/108分/日本
原題または英題:The Long Death
配給:日活
劇場公開日:1964年4月12日
ストーリー
昭和二十三年一月二十六日の午後三時すぎ、豊島区の帝国銀行椎名町支店に、中肉中背の中年の男が訪れた。男は東京都衛生課、厚生省医学博士の名刺を出し、赤痢の予防薬と称して、進駐軍の命により予防薬を行員、家族十六名に飲ませた。ピペットで白濁の液を茶碗に分ける手つきは、職業的な鮮かさであった。が、数分後、その液を飲んだ行員は、苦悶の絶叫とともに、血を吐いて倒れていった。犯人は、現金、証券十八万円を奪って逃走した。警察、新聞、国民の眼は一斉に活動を始めた。昭和新報の敏腕記者、大野木、笠原、武井らも動き始めた。被害者のうち十二名が死亡していた。毒物の捜査班は、犯人の使った青酸性化合物が、終戦直前、七三一部隊で極秘裡につくられた毒物と知った。武井は七三一の生き残り将校佐伯に会い、毒物について、追求したが、佐伯は語ろうとしなかった。デスクの大野木は、その直前GHQのバートン主席から、七三一部隊を追求するのをやめるよう注文された。一方国木田警部補ら名刺捜査班は、名刺の所有者である、モンタージュ写真に似た画家平沢貞通を逮捕した。事件直後、かなりな金を預金しているのだ。首実検の結果、大半は彼を否定し犯人と言いきる者は一人もいなかった。国木田と森田検事は、筆跡鑑定の結果クロをもって、執拗に食いさがった。九月、平沢はついに真犯人であることを自供した。しかし、彼はすぐそれをひるがえした。強圧的な肉体的、精神的尋問に耐えられず自白したというのだ。しかし、東京地方裁は、死刑を宣告し、東京高裁も死刑を確定した。だが、刑の執行は、いまだに行われない。彼は、仙台宮城刑務所に移送されているのだが……。娘の俊子は、国籍を捨てアメリカに渡っていった。そして、それからみつけられた数々の事実は、平沢のシロを証明するものばかりなのだが……。