血槍富士のレビュー・感想・評価
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内田吐夢監督こそ真の映画監督だったのです
いやー面白かったあ~!
するするとあっという間に映画に引き込まれて気がつけばもうお仕舞い
エンドマークにパチパチと拍手したくなく見事な映画です
コミカルシーンに沢山笑って
ちょいホロリのシーンもありーの
終盤の大活劇もありーの
大満足の作品です
これほど面白い映画はそうそうないでしょう
日本映画の至宝のひとつです
監督は内田吐夢
映画界に入ったのは1920年、22歳のこと
松竹映画の発足は1921年ですから日本映画の黎明期から映画界にいた人物です
1926年には日活に入社、翌1927年には監督に昇進しています
なにしろ入江たか子をスカウトしたのはこの人なのです
本作の企画協力に名前のある小津安二郎監督は5歳年下、溝口健二、伊藤大輔とは同い年です
その後色々あって1941年に満州に渡り満映という映画会社に在籍するのですが、監督として映画を撮っていないので食客みたいなものと思われます
終戦後、帰国せず満州に残留して、満映の残した機材を中国共産党に引き継ぎ、そのまま現地で映画に関わろうとしたものの結局、1953年10月に帰国します
満州に渡ってから12年のこと
敗戦から8年もあとのことです
翌、1954年には東映に入社します
これはマキノ光雄らの満州映画時代のOBからの声かけによるものでしょう
本作は1955年2月公開
内田吐夢監督の戦後第1作です
実質的な戦前の最後の作品1939年の「土」からは16年ものブランクでした
原作は井上金太郎
この人は内田吐夢監督の3つ年下で、映画黎明期に内田吐夢とは俳優仲間だった人
脚本の三村伸太郎、脚色の八尋不二のふたりも1920年代からの監督の仲間てです
つまり腕ききの監督の復帰に、当時の仲間が総掛かりで結集していたというわけです
演出の半端ない見事さは惚れ惚れするほどです
内田吐夢監督は戦前では左翼的傾向の映画をいくつも撮ったそうです
また傑作で大ヒットした「土」は農村をただただリアリズムに撮っているようで、そこには社会主義的な視線があるように感じられる作品でした
それ故に、その内田吐夢監督が共産主義中国に自ら望んで残留して8年後に帰国したからには、帰国第一作はさぞかし共産主義的なメッセージの強い作品になるであろうと勝手に期待する向きもあったそうです
ところが本作ですから、随分バッシングを受けたそうです
終盤の「海ゆかば」の音楽は、旧海軍の葬送曲です
なぜ軍歌をながすのか!とか
勝手に期待して裏切られたもないものです
不幸な行きがかりの末に、大勢の人が死んでしまった
その鎮魂にこれほど相応しい音楽は無いそれだけのことです
大衆が求め共感できるものを提供してこそ、真の映画監督です
内田吐夢監督こそ真の映画監督だったのです
絵に描いたような富士山
昭和30年製作の東映作品で、監督は内田吐夢。
東海道を旅するいろんな人たちの人情ドラマが展開、ほのぼのして終わりかと思いきや・・・。
武士階級の救いがたさがよく出ている。
馬鹿な上司持つとつらい感じ?
タイトルは「血槍富士」なんですが、あの富士山は・・・。身分差別も背景にあるわけですが、アルコールはトラブルの元ですね。松平が悪役なのは珍しいような。最後の立ち回りは、心の表現なんでしょうね。槍の使い方は意外と実戦的なように思いました。
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