戦争と人間 完結篇のレビュー・感想・評価
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日本陸軍の狂気を見事に描いていた
ノモンハン事件のところは、本物の戦車も多数出てきて大迫力とともに、この戦いに臨む関東軍上層部の愚かさと下に責任をなすりつけ自決させる無茶苦茶さがお見事。1人生き残った北大路欣也演ずる伍代家次男に、全滅した部隊に戻り全線を死守せよと激を飛ばす参謀は、陸軍の狂気を象徴的に具現化していた。
こんなメタクチャの戦争計画で、敗北や撤退、全滅の責任を下に取らし多くの現場指揮官を自決させていたら、人材が渇枯し、近代戦で勝てる訳が無い。精神主義が支配的で、真剣にリアルな戦争をやっていない。これが延々と続いてしまったのが大日本帝国の一番の敗因と思ってしまった。
科学的合理性に基づかない軍隊、戦術、議論、上層部の無謬性、残念ながら、現在の日本国の組織でも蔓延している様にも思える。何が悪いのだろうか?主因は教育なのか?報道なのか?それとも知識人の知性の強靭性の無さなのか?同調性圧力に頼る為政のなせるわざなのか?
上官による暴力で名誉の戦士したと観客に思わされた伍代家次女(吉永小百合)の夫(山本圭)が、憲兵隊の言葉により、実は生きていることが判明し、中国軍の捕虜となり人間として扱われているエピソードは、秀逸であった。生きてることに気が付き、喜びに満ちる吉永小百合の瞳の輝きは、実に素晴らしく、見ているこちらまで幸せを感じてしまった。
私達同朋の日本人が殺されて喜ぶ反戦映画だ 中国共産党の為なら、日本人は殺されて当たり前だという精神構造で撮られた映画であるのだ
いやはや何という映画だ
劇中、日本兵が中国共産軍の宣伝ビラを拾って読むシーンがある
内容はこうだ
親愛なる日本兵諸君に告ぐ
我々は共に同じ労働者、農民、市民ではないか
我々は兄弟であって敵ではない
本当の敵は日本の天皇、並びに軍閥
これと結託した資本家、地主らの日本支配階級だ
諸君の貴重なる、生命を支配階級の為に捧げるな!
今からでも遅くはない
放棄せよ一切の武器を!
戦闘を停止し、我がもとに来たれ!
そして平和の為に戦おう!
中日共同闘争同盟
本作の内容的はこのビラそのままなのだ
つまり中国共産党のプロパガンダを純度100%で映画化されているのだ
そこに真空地帯で映画にした兵隊生活の理不尽さ、左翼活動取締りの過酷さ、ノモンハン事変の戦闘シーンを合体させたものだ
日本兵が共産ゲリラが隠れる村を襲撃して年寄り子供に至るまで皆殺し、女は暴行するシーンがある
そこに当時八路軍と呼ばれた中国共産軍が現れて、日本兵を包囲し逆に殲滅するシーンがある
正義の味方は共産軍で、極悪非道な日本人を殺戮するヒーローとして描かれるのだ
戦争の狂気は地獄の黙示録でも描かれる
同様に共産ゲリラが潜んだベトナムの村を米軍が襲撃するシーンも類似するが、米兵が殺されて溜飲を下げるまでやることはさすがになかった
しかし本作ではそれをするのだ
終盤のクライマックスはノモンハン事変の戦闘だ
近代化されたソ連軍の戦車、爆撃機、砲兵、兵の持つ自動小銃などの圧倒的な火力装備が登場する
本物のT-34 戦車など本物を大量に、しかも動かして撮影しているのは見物だ
そのシーンは軍事マニアならみる価値は有るだろう
それらをソ連軍は高速度で機動させ戦線を推進させてくるのだ
日本軍は、近代化された戦争に全く対応できず、旧態依然とした戦い方で大損害を受けるシーンが長々と続く
戦争の悲惨さを描くシーンだ
しかしソ連軍がヒーローのようで、日本兵が殺されてザマミロという表現なのだ
本作はそういう映画ということだ
反戦映画であるのか?
そう問われればその通りだ
しかし、それは私達同朋の日本人が殺されて喜ぶ
反戦映画だ
平和の為なら、日本人は殺されて当たり前だという精神構造で撮られた映画であるのだ
いや平和の為ではない
中国共産党の勝利の為ならなのだ
背筋が凍り付くとはこのことだ
戦争をするくらいなら、殺されよう
そう歌ってビラを撒く団塊左翼老人達のいうメッセージの意味とはこういうことなのだ
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