瀬戸内ムーンライト・セレナーデのレビュー・感想・評価
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父親へのレクイエム
作詞家の阿久悠さんの少年時代の自伝的小説の映画化。終戦の翌年、当時9歳の阿久さんが旅日記まがいに書き留めていたものが原稿用紙50枚相当と言うのだから感受性の豊かさや文才が伺える。解説やあらすじは映画.COMに書かれているので感想のみ。
時代が変わりすぎて今の若い人にはピンとこないシチュエーションの家族ドラマかもしれません。
タイトルバックに爆撃機B29の機影やきのこ雲の映像に被せてグレンミラーのムーンライト・セレナーデが流れる、この凄まじい違和感が戦後の日本の復興に通じる当時の日本人のわだかまり、喪失感を象徴しているようだ。
終戦を機にそれまでの価値観が一挙に崩壊、兎に角生き残るために皆、無我夢中だったというのがよく分かる。
映画の冒頭は95年1月17日の阪神大震災で焼け野原になった神戸の惨状を見て戦時中の記憶が蘇りへ回想へと進むが原作が書かれたのは震災より5年も前だから映画の脚色だろう。別府航路での群像劇もどきは秀逸、さすがに甲板での映画上映は脚色、高田さんの闇屋が狂言回しで座を取り持つ展開、軽すぎやしないかと心配したがなかなかの好演、おみそれしました。
骨壺の中身が暴かれて笑う父親と泣く母親、父の笑いはあくまでも自嘲的、母親は前に開けていて知っていたのでしょう、終戦間際に非業の死をとげた息子、早く納骨して隠し通すつもりだったとすると無念の思いが察しられます、監督夫人ですから最後にすごい見せ場が用意されていたのですね。
阿久悠さんが映画にしてまで後世の若者に伝えたかったのは何だったのだろうか、家族の絆、その要となる父親なのだろうか。いぶかしい存在ながら毅然としていた父親像は確かに封建的で悪しき時代の象徴のようでもあるが頼れる存在だったのでしょう。順応性が高いのは若さの特権、敵国文化に嬉々として迎合、長じて振り返ってみれば、したたかに生きている自身が軽薄に思えたのかもしれませんね。そういう意味ではセレナーデではなく、父親へのレクイエム。
人生で背負った荷物も異なるのですから、残したいもの伝えたいものは人それぞれ、根幹は良くも悪くも少年時代へのある種ノスタルジーなのでしょう。
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