切腹のレビュー・感想・評価
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おどろおどろしい怪談チャンバラ時代劇。こわいよ!ガク((( ;゚Д゚)))ブル 武士の面子の薄っぺらさを描いた怪作。【長文・要注意】
大好きな映画です。DVDで、過去に三度は観たです。
とにかくおどろおどろしいんです。もはや怪談の領域。
アマプラではジャンル分けが、なんでか「アクション」/「ドラマ」なんですよね。
どこに「アクション」の要素が?まぁ、最後に大立ち回りはあるんですが、そこは肝心じゃないでしょ!ちゃうでしょ!
確実に「ホラー」テイストの作品です。オープニングからして、その匂いプンプンです。
この物語、浪人・千々岩求女(ちじいわ もとめ)の切腹話から始まります。
当時、食いぶちに困った浪人たちが「このまま生き恥を晒すんイヤやし、武士らしく潔く切腹したいんで、玄関先を借してくれし(=なんぼか恵んでくれたら、おとなしく帰るし)」→「(面倒くさっ!迷惑なヤツやなぁ…)じゃあ、こんだけやるから、とっとと帰れし!」→「わーい!サンキュー!٩(ˊᗜˋ*)وやし」だったんですが。このお話では違って。
「そこまで言うんやったら、マジ卍切腹してみろし!(=御当家ナメんなし!)」→「えっ!マジ卍で!?Σ(’◉⌓◉’)ガーン! 」「ちょ!話がちゃうやんΣ(oдΟ;)!!」→「ほら“その刀”で早うやってみそw」→「ちょ!(てか、この刀竹光やし…)」「ほら、早よう!」→「お…おぅ!やっちゃるわーい!」グサッ!「うぐぁ!ぐわぁぁぁ!」みたいな?そんな流れ。
介錯も付けずに、かつ、切腹用の短刀でなく、本人の竹光の脇差で切腹させる様を冷ややかに見て楽しむとか、どんな悪趣味なドS連中やねん!ガク((( ;゚Д゚)))ブル
「んふっw この通り。大根(を切ること)はおろか、豆腐さえ難しいなw」
「武士の魂まで売り渡し、竹光などをたばさねておきながら、潔く腹を切りたい。よくもまぁいけしゃあしゃあと!」と笑われ罵倒される求女なんですよ。
しかも「誠の武士のあっぱれな死に様、心から拝見せんものと家中一頭ご覧のように集まっておる」「ささ、お心おきなく」と、イヤミたっぷりにのたまう三國連太郎演ずる斎藤勘解由(さいとう かげゆ)。
「近頃は切腹も単なる名目だけに終る。三方の上の短刀に手を伸ばす。そこを見計らい、介錯の者が適当に首を討ち落とす。したがって実際には腹を切るのではない。しかし本日はそのような形式に流れた軽佻浮薄な(新しい言葉を覚えました)お手軽なことではなく、全てを古式にのっとり、作法通りに行う」「十文字にかっさばいていただく」「十二分にかっさばいていただいた上でなければ介錯の儀はつかまつらん。よろししいかな」と冷酷に言い放つ丹波哲郎演ずる沢潟彦九郎(おもだか ひこくろう)。
短刀ではなく、自らの竹光を差し出された求女。「貴殿の差し竿である。お使い願おう」「我が腰のものこそ武士の魂。これほど最後を飾るに相応しいものはあるまい!」ことここに至って完全に詰んでしまいます。
(長い書き起こしですが、題名が『切腹』だけに、ここは書き記しておきたかったんです)
散々な辱めを受けた挙句、自らの腹に竹光を何度も何度も突き刺すんですが、そんな物で腹が切れるはずもありません。
遂には、地に立てた竹光に全ての体重を預け、無理矢理に腹に突き刺し、お白州に血を流します。
「斬れ!斬れ!」と介錯を頼むんですが「まだ!まだ!存分に引き回されぃ!」「何をいたしておる!ぐいっと引けぃ!右へ引き回せぃ!」どこまでも残酷な彦九郎。こんなんスプラッターですやん。
とうとう、あまりの苦痛と辱めに耐え切れず、自ら舌を噛んで絶命する求女。やっとこさ首に太刀を振るう彦九郎でした。
あまりにも惨たらしいシーンなので、毎度顔を背けてしまいます。本作最大のクライマックスシーンだというのに。
本作、そんな血塗られた過去から現れた求女の叔父・津雲半四郎の復讐劇なんですね。
「そんなアホがおりましたねんw」みたく求女の一件を半四郎に語る勘解由。
内実のところ無残に殺しておきながら、さらに笑い物にするとか、許すまじ鬼畜の所業。
同様の用件(切腹させろし)で井伊家を訪れる半四郎の口から語られる、娘婿一家の悲劇の話。それが先の求女を“竹光で切腹させた”一件。
お白洲の場につく半四郎。
何の咎もなく切腹するんやから、介錯人くらいは指名させろしとの旨を申し出ます。
ところが奇妙なことに、彼の希望する介錯人三人がことごとく、病床に臥せり出仕していません。
さすがに「なんかおかしい」と感じた勘解由は、半四郎に何か魂胆があることを察知します。
不敵な笑い声をあげる半四郎。ここからが本番です。
「退屈しのぎに、拙者の身の上話などひとつ」と語り始めます。
「食いつめ浪人の貧乏話で埒もござらんが…」続いて眼光鋭く「今日は他人の身でも、明日は我が身ということもある」と、思いっきりな牽制球を投げます。
ここで、求女の叔父であることを勘解由に告げる半四郎。
主家が没落したこと、そのことにより求女の身柄を引き受けることになった経緯も語られるんですが、ここでは割愛します。長くなりすぎるので。
まぁ、そんな半四郎の娘・三保が求女と契りを交わし、幸せな暮らしを送ることとなるのですが、よいことは長くは続かないもので。元々病弱な三保は病に冒され、明日をも知れぬ身になってしまいます。
医者代を工面するため、必死で金策に奔走する求女。とうとう武士の魂の二本差しまで質に入れてしまう始末。
そんな中、幼い一人息子の金吾まで病に倒れる悲劇が訪れます。
思いつめた求女が、唯一あてとしたのが、冒頭の「切腹させてくれし」だったのですね。
そういうわけで三保と半四郎の元へ無残な躯と変わり果てた躯を送り届けた井伊家の介錯人三人が、求女について「家中一同、竹光での腹の切り様、とくと拝見つかまつったが、やはり見苦しい。ぬははははw」と笑い物にします。とことん鬼畜。
ここでの三保役・岩下志麻の鬼気迫る表情の怖いこと、怖いこと。ガク((( ;゚Д゚)))ブル
結局、病で死んでいった三保と一人孫の金吾でした。
井伊家の求女への所業の恨みを語る半四郎に対して、「身勝手な言い分はほどほどにいたせ!」「世迷言はそれだけか?」と言い放つ勘解由もマジ鬼畜。
「“武士の面目とは所詮、上辺だけを飾るもの”と申したいのか?」と問う彼に対し半四郎は力強く「左様!」と返します。(“武士の面目とは所詮、上辺だけを飾るもの”ここ、本作での最大のテーマでした)
「腹を切るつもりなど毛頭なく、恨みの数々を述べにきた…と、このように?」と、ほくそ笑む半四郎。
天涯孤独の身やし。生き延びたとろでどうしようもないし。このままのこのこと手ぶらであの世に行ったんでは、みんなに顔をあわせられへんし。それを強く訴えます。
「当家よりお預かりしている品物を一応」と、半四郎が白洲に投げ捨てたのは、家臣介錯人の三人の髷(ちょんまげ)。
半四郎が復讐のためにとった手段は、殺すことではなく“武士の面目”たる髷を切り落とすことにありました。
求女を死に追いやり、あまつさえ笑い物にした介錯人三名との決闘に勝つ半四郎カッケー。ここ、この物語の唯一スッキリするシーンです。
「実戦の経験を得ぬ剣法、所詮は畳の上での水練。あははははは!」と、逆襲の半四郎の高らかな笑い。
武士たる者が髷を切り落とされるのは、首を討ち落とされたも同じの不面目、不始末。にも関わらず、仮病を使ってまで髷が伸びるまで出仕を拒むっちゅーんはどないやねん!と一刀両断の半四郎。
「井伊家の御家風など“所詮は武士の面目の上辺だけを飾るもの!”うゎははははは!」半四郎の勝ち誇った笑いに、勘解由は「乱心者!斬り捨てぃ!」とキレますが、そこは百戦錬磨の半四郎。
先にも述べた畳の上での水練しか知らぬ武士たちは、半四郎にことごとく斬り捨てられます。
ここでの半四郎の喧嘩殺法が本当に見ごたえあるんですよね。段取りのある綺麗な殺陣ではなく、殺し合いの喧嘩。まさにそれが相応しい鬼の形相の仲代達也でした。
一方の勘解由は、屋敷に篭り冷や汗たらたら。ザマぁw
しかし多勢に無勢。次第に追い詰められ満身創痍の半四郎は、井伊家家宝の鎧兜を投げ捨て、見事切腹に及びます。
ここで介錯を務めたのは、武士の魂の刀ではなく、卑怯にも鉄砲だというのが皮肉です。
さらに勘解由の取った対応は、あくまでも上辺だけのことに終始するんですね。
「食いつめ浪人に斬られて死んだんでは、武士の面目が立たへん」と。
半四郎に斬られて死んだ者たちは病死。髷を切られた者に対しては無理にでも腹を切らせろと申しつけ、その全ては、あくまでも病死だと処分するわけです。
エンディングは、あくまでも武士の面子を重んじた勘解由の嘘八百の語りで幕を閉じます。
結果的には、半四郎は犬死ではあったのですが、彼の言う“武士の面子など、所詮は上辺だけを飾るもの”を証明させたわけです。
にしても、あまりにも惨たらしく悲しいお話でした。
とにかく怖いんですよ。主役の仲代達也といい、甥役の石濱朗といい、娘役の岩下志麻といい。仇役の三國連太郎、丹波哲郎も。目力や声色がめっちゃ怖いんですよ。
モノクロってところが、怪談話にさらに怖さの拍車をかけてるの。カラーじゃこうはいかなかったと思います。
私、レビューの書き方でいつも悩みます。
ご覧になった人向けに書くのがいいのか、まだ観たことのない人向けに書くのがいいのかに。
皆さまはどうされていますか?
私の駄文は、ご覧になられた人から「真面目に書けし!」とお叱りを受けそうですし、まだ観たことのない方々にとっては、ぽっかーん(゜O゜; で置いてけぼりですし。作品の魅力を伝えきえる才なんてないんですよ。
毎回毎回、それでも伝えてみようとがんばった書き方の挙句がこの有様です。そもそも。ご覧になっていない方々が読んでくださるはずもなく。
極めて実りのない書き方です。
これ、いつかどうにかしなきゃなぁ…の課題です。
まず、この長文をどうにかしなきゃです。今回も文字数制限ギリギリ。もっとコンパクトに書かなきゃです。
計画的な復讐経由の切腹劇
脚本に弛緩がなく緊迫した展開で、良い時代劇だった。派手な殺陣とかは、それほどない。津雲半四郎が、どのような思いをもって、切腹をしたいと申し出たのかが、次第に明らかになっていく。
仲代は鬼気迫る演技、丹波、岩下、三國、石浜も、真に迫る演技であった。娘婿夫婦が、食うに食えなくなって、息子も高熱を発して、井伊家に切腹詐欺で何とか取り立ててもらおうと一縷の望みで訪れる。しかし、井伊家に無碍にされて、一刻の猶予も与えられず、竹光で切腹させられたこと、それが基で津雲は、娘も孫も失い、身よりがなくなって復讐を果たして切腹する物語。津雲は、極めて周到に計画をし、娘婿を邪険に扱った3人の髷を切り落とし、その3人を介錯に指名し、井伊家が名ばかり、表面だけの武家だと騒動を起こし、その結果復讐を果たし、最後は切腹をして果てる。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があるが、死ぬに値することに際して、自分の命に執着しないで、身を捧げるという意味かと。
そういう意味では、津雲半四郎と千々岩求女こそが、武士道を貫いたといえるのではないだろうか。
江戸時代の秩序や太平を守るためには、隠蔽、事なかれ主義などが横行したのだろう。と共に、現在の日本にも十分に耳が痛い話だと感じる。
すごかった
・庭先で切腹させてくれって申し出て取り立ててもらったり、お金をもらおうっていう事が流行っていた?事に驚いた。タイトルからして、ラスト切腹でしょって思ったけど、冒頭から自ら切腹させてくれって話からとは。
・切腹する側の方が迫力、威圧感がある状況はこの映画で初めて観た。ほぼ回想シーンっていう構成だったけど、どうなるんだこれっていう緊迫感が凄かった。
・終始、当時の台詞っぽい言葉でわかりにくい箇所もあったけど、何となく理解できて凄くよくできている映画だと感じた。ラストの切り殺された人を病死として記録?しろとか事実の隠ぺいの感じがリアルだった。また、介錯人の三人を切腹させろっていう、厳しすぎる社会で怖かった。
・先祖の象徴の鎧で一部屋とってて、敬う気持ちが凄いなと思った。
なまなましい武士の姿
今まで知らなかったことが悔しい。
こんなに面白いものがあったのに。
衝撃的な切腹のシーンから、どんどんと
予測できない方向へ話が進んでいきます。
極端にアクションがあるわけでもない。
やたらとカットが変わるわけでもない。
ただ、佇んでいるその姿のなんとも重い。
重低音のような暗く響く声。
今の若い俳優さんは誰かできるだろうか…?
殺陣も腰が据わってるからかっこいいです。
武士は関が原を境に、趣が変わっています。
江戸時代からはサラリーマン的な侍になってしまう。
武士道とか、忠義とか、さかんに現在世間で認知されてる
侍イメージは江戸時代の武士です。
それ以前は武士道ではなく「男道」といい、
自分の信念を貫いたり自分の在所を守り抜くのが
一番であったために
主家は家来に見放されないよう心を砕かなければならなかった。
仲代達也は戦国の武士、井伊は江戸の武士です。
切腹さえも物珍しいイベントと化してしまっている。
仲代が娘婿の躊躇を褒めますが
それは戦国武士からすれば正しい姿。
江戸の武士からすれば見苦しい行為であった。
そこには世代の断絶があります。
前の時代の亡霊と小ばかにしながらも、
徒花仲代を恐れるのは、井伊家の彼らが
死線を乗り越えた経験をしていないから
かなわないと恐怖を感じる。
だから仲代は井伊家の赤備え=当主の代わりに
鎮座してる赤い鎧をふりまわして笑えるのですね。
めんどくさいことは分からなくても
単純にサスペンスとして観ても楽しめます!
レビューでこの作品と出会えました。
レビューで教えてくださってる皆さん、どうもありがとうございました。
『武士の面目とは!所詮上辺だけをつくろうと言うものが?』 『さよう』
ガキの頃、見に行こうと思っていたが、スプラッター映画が好きでないので、見ずにいた。今日が初見。
『これでは切腹出来ない。待ってくれと言う訳を、何故聞いてくれなかった?』実にカッコウ悪い口上。
家老は薄ら笑いを浮かべて
『武士の面目とは、所詮上辺だけをつくろうと言うものか?』と聞く。
それに即答で
『さよう』
うぁーすげーこのセリフ
最後に下級武士(若しくは町人?)が後片付けをしている。まげを拾い上げる。そして、それをゴミのように桶へ捨てる。彼らはこのまけの為に運命が終わる。
仲代達矢さんの仕草が歌舞伎の『にらみ』の様で、狂気を感じた。
だが、この話をダイレクトに受け取って、江戸幕府の幕藩体制への批判と見ない方が良い。それよりもこう言った士農工商と言う身分制度へのアンチテーゼなのだと思う。例として、江戸幕府から維新政府に変わったが、最後までのこった旧会津藩は『斗南藩』として、屈辱を受けている。つまり、維新後も士農工商に変わって、別の形で階級や幕藩体制(?)は残り続けている。と語っている。江戸幕府の幕藩体制への批判と受け取ると、西郷隆盛の『田原坂の戦い』と同じになってしまう。その点を解釈して
私は傑作だと思う。
侍ものの映画の最高傑作
映画における脚本、音楽、役者、動作
無駄というものがなく緊張感をもったまま一気に見てしまう映画。何度みても飽きが来ない。問答形式をとって回想するスタイルがつづき、最後に大殺陣(おおたて)というのでしょうか、斬り合いがあるが、赤備えの鎧、鉄砲まででてくる。そして切腹して死んでいく。映画の途中で竹光による切腹の残酷シーンも見事に描かれている。過去を回想する場面とて自然でよどみがない。たしか「壬生義士伝」とかいう映画の回想シーンのくどさにうんざりしたことがあった。これにはそんなことはなく起承転結ほぼ完璧で無駄がない。一気にみても余韻をもって終わる。場面場面できりとっても完成されている。なかなかこういう映画は出来るものではなく、リメイクのものもみましたが相当な俳優をつかっても、どうも駄目です。さらに白黒でちょうどよかったと思うのは私だけであろうか。いやそうでもあるまい。
武士道の醜悪な部分を告発する
Huluで鑑賞。
原作(異聞浪人記)は未読。
武士道とは、上辺なるものと見つけたり。武士社会の虚飾を告発し、かつて日本人が心酔していた武士道思想へのアンチテーゼがこめられた拡張高き時代劇の傑作。
全ての完成度が高いと思いました。脚本や演技、カメラワーク、殺陣、どれもが洗練されていて一切の無駄が無く、スルリと作品世界に引き込まれてしまいました。
クライマックス、覚悟を決めて武士の誇りを懸けた戦いに挑む主人公の姿に胸が熱くなりました。仲代達矢の気迫溢れる演技に圧倒されると共に、漂う悲しみに魅せられました。
※修正(2024/05/13)
単なるチャンバラ劇ではなかった
マーティン・スコセッシが深い感銘を受けた映画だと知って、前々から気になっていたのですが、話の内容は全く知らないまま観賞。ただ残忍な切腹シーンを見せる映画ではなく、これほどまでにメッセージ性が強い物語だったとは…。
チャンバラ続きかと思えば、そうではなく、中盤までは井伊家の家老と津雲の会話続きで、津雲がいざ切腹となったときに、身の上話がはじまって、はて、どうなるか?と、否が応でも引き込まれていきます。
津雲が娘婿、求女のことを語った言葉言
しかし、よくぞ、血迷うた
拙者、褒めてやりたい
いかに武士とはいえ
所詮は血の通うたる人間
かすみを食うていきていけるものでもない
武士の面目など上辺だけ
三島由紀夫の『葉隠入門』を読み始めたばかりで自分にとってはタイムリーな観賞でした。三島によれば「切腹という積極的な自殺は、西洋の自殺のように敗北ではなく、名誉を守るための自由意思の極限的なあらわれである」らしいですが、三島由紀夫自身はこの映画『切腹』を高く評価しています。もっとも、映画では「形骸化した武家社会」として、武士道のありかたに疑問を投げかけているのですが。
砂のプライド
誇り高きあるべき武士故の苦労が伝わる作品でした。
内職と寺子屋でやりくりしてきた貧しい浪人生活。武士たる者物乞い等もってのほかと思いつつも、背に腹はかえられず、武士の魂である刀を質入れし、潤沢な藩の情け心に何とか訴える手段に出る主人公の婿。彼は自分の誇りよりも、床に伏す妻と乳呑み子の命を選びました。そんな婿の心情を知るまでは、主人公自身も、生まれたばかりの孫に武士の心意気を言いながらあやしたり、帯刀し続けたりしています。婿の変わり果てた姿を前に、武士の誇りも命あってこそなのだと気付かされたのでしょう。
婿の事情を知らされるタイミングが、井伊家と観客同時進行なので、こちらもそれまでどんな目で、彼の武士としての立ち振る舞いを見ていたかに気付かされます。
勇ましく命を捨てることを美意識とし、戦前まで声高らかに叫ばれていた精神論に疑問を投げかける作品です。嘘で塗り固めた面子を保つことに何の意味があるのか。何よりも人間らしく生き抜くことが大切なのだという点は、いつの時代にも通じると思います。
鬼気迫るサスペンス時代劇といった感じで引き込まれました。終盤の殺陣は、いかにも昭和のチャンバラで、必殺技ポーズ?さえなければなぁと思いました。最初から唯一情け深かった側近だけ、斬り合いを見事免れていました。
でも字幕がないと全く聴き取れず2回観ました。
武士の体面の不条理と死の覚悟
総合:85点
ストーリー: 85
キャスト: 85
演出: 90
ビジュアル: 65
音楽: 65
)
張り詰めた緊張感。義にかられてそうせざる得なかった一人の浪人。もちろんただの切腹が目的なのではなく、どうしてもやらなければならない何かがある。敵中に一人乗り込み、時に抜刀した武士に回りを取り囲まれた中で、話をすると称して貫き通すその強固な意志。最初から死を覚悟したうえでの行動とはいえ、その堂々とした勇気ある態度と凛とした姿には心打たれる。
侍といえども所詮は人間。厳しい社会情勢の下で浪人となり、喰えなくなれば背に腹は変えられず、誇りを捨てて意地汚いこともしなければならない。安定した名藩に勤める武士たちはそんな浪人を見下して軽蔑する。たかりをしてくるような者たちに嫌気がさす気持ちはわかるが、自分の優遇された立場に安住し優越感に浸っているからの感情とも言える。そして必要以上に残酷に人の命を弄んだ。そして武士の体面を取り繕い守ろうとする武家社会の暗部が描かれる。
体面を守るために現実にも多くの不条理があったことだろう。全体として暗くて救いのない悲劇なのだが、悲しさと厳しさがこの映画を見ていて心に突き刺さってくる。感情をえぐるような演出が緊迫感の中に満ちている。
斬り合いの場面、もう少し現実感が欲しかった。やはり多勢に無勢、本来ならばあっという間に圧倒されるはず。集団で斬りかからず戦わずに後ろで待っている武士がたくさんいるのは緊迫感が薄れる。実戦経験豊富な津雲半士郎がどうやって集団相手に戦うのかをもっと現実的に見せてもらいたかった。
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