THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君にのレビュー・感想・評価
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豊かさと不安と逃避と狂気の作品
感想その1
この頃はテレビやビデオやパソコンが大衆に浸透した直後であり日本の若者人口も非常に多かったためアニメやゲームなどの産業の盛り上がりが日本国内でかつてないほど最高潮に達しました。その1999年ごろに当時の若者の間で大ブームになったテレビSFアニメの25話と26話を映画化した作品。テレビ版アニメ全26話では町を防衛する巨大ロボットのパイロットにある日突然選ばれた主人公の少年シンジが下宿しているマンションや学校で学生生活を送りながらも基地でパイロットとしての任務をこなす日々を描く。25話と26話は物語のクライマックスにあたる。敵ロボットの襲来がくりかえされるなかでシンジの仲間たちが次々と再起不能になるがついに敵ロボットの黒幕の陰謀の正体が明らかになろうとする。シンジは多くの仲間を失い一人で困難に立ち向かわなければならなくなる。シンジはこの苦境に悩み、非常事態にもかかわらず現実逃避ともいえる行動をとる状況から映画はスタートする。劇中で状況がどんどん悪化するなかついにシンジは世界が崩壊していくさまを目撃する。常識だった世界が終わりをむかえて非常識な世界が再構築されシンジとヒロインのアスカの二人だけが生き残り物語が終わる。「1999年に人類が滅亡する」というオカルト的デマが当時の日本で流行りましたがそれに着想をえた世界滅亡がテーマの作品がこの映画だと思います。90年代ごろの日本の人々は明治維新以後や第二次大戦後苦労して手に入れた経済的に繁栄し豊かな日本が突然滅亡して豊かな生活を失ってしまうことが不安だったのだと思います。主人公の少年シンジは生活は豊かですがいつも不安で自信がない少年ですがシンジはこのころの日本を反映したキャラクターだと思います。エヴァンゲリオン初号機という圧倒的な力をもったロボットに乗っていてもシンジの不安がなくならずアスカの肉体に逃避しようとしたさまは当時世界2位の経済大国だった豊かさをいつ失うかと不安で娯楽に逃避した当時の日本社会に似ているとおもいます。漠然とした未来への不安から娯楽へ逃避する行為が本当に世界を滅亡させないようにラストシーンで作者ははっきりとこの状況を気持ち悪いと表現していると思いました。
結論1:この作品の作者のいいたいことは豊かさと不安からくる現実逃避は世界の滅亡につながることへの警鐘。
感想その2
学生のころ友人の家で初めて観たとき、高品質の戦争映画やサスペンスやメロドラマやエロビデオの詰め合わせを見せられたような1秒も目が離せない展開の映像にくぎ付けになる90分間のあと突然ラストでわけわからない実写映像や不気味な絵画に入り込んだようなシーンになりあっけにとられました。当時の視聴直後、私は作者にからかわれたような気がして困惑した気分にさせられました。特にラストシーンで主人公のヒロインの二人だけが生き残り、ヒロインのアスカが主人公のシンジに言う「気持ち悪い。」という言葉は何十年も私の頭に残り続けています。ラストシーンはアスカは意識がもうろうとしながら顔を空に向け寝ていてシンジはその上におおいかぶさってアスカの首に手をかけようとするが涙を流してその行為を途中でやめます。そのとき意識がもうろうとしているアスカがつぶやいた言葉が「気持ち悪い。」でした。このシーンはアダルトな内容のビデオを連想させますがそもそも90年代はビデオデッキやパソコンの普及率上昇などによりアダルトな内容のビデオやゲームなどの生産が盛んな時期でした。それらの内容や行為は生理的に気持ち悪いと感じるのがあたりまえですがこの作品の作者のいいたいことは気持ち悪くないと人類は成り立たないということだと思います。現実世界とは人類には永久に理解できないカオス(不条理)なものゆえに個人個人にとって気持ち悪いことだらけですがそれは整然とした美しい現実世界を愛するがゆえにおこる当然の反応なのだと思いました。しかし本当の現実世界は狂気も内包していると思いました。
結論2:作者が言う気持ち悪いという言葉の本質はカオスな面をもつ現実世界への深い愛情からきている。
エヴァンゲリオン初心者で若者の意見
「気持ち悪い」
オ◯ニーする主人公は恐らくこの作品のみであろう。
そして軍団のNERV職員惨殺シーン「大人のキス」の下り、アスカの覚醒。心が踊ると同時に脳内がバグる感覚。
トドメはシンジからアスカの首絞めや人類補完計画。
全て含めての「気持ち悪い」
本来、ファーストインパクトはグレートインパクトと見るのだろうが、人類はファーストインパクトで終わる運命が決まっていた。と言いたいのか?
石森章太郎先生の『リュウの道』みたいな終わり方。観念的に曖昧に終わらせるのは良いが、商業ベースにのせるのはどうかと思う。
『人は互いに理解できる?』現状からして出来る訳がない!
2001年宇宙の旅を模倣している。しかし、宗教が違えば、この解釈が成り立たないと理解すべき。少なくとも、キリスト教に生まれ変わりと言う概念はあったろうか!
まぁ、でも、シンエヴァンゲリオンと比較した場合、この終わり方の方が良かったのではと感じる。
ラストシーンが意味不明も、いつも予想を覆す庵野監督らしさは満載
テレビシリーズの大円団からの一転し、ミサトは銃撃で戦死し、赤木リツコはゲンドウに射殺され、アスカの弐号機は量産機により貪り食われてしまうという見る者たちの予想を覆す展開。
そういえば、映画館でエヴァを見る観客の姿も映し出され、相当にオタクファンに挑発的でもあった。
そしてラスト赤い海の海岸で、シンジはアスカの首を絞めるが止め、アスカが気持ち悪いと呟いて、映画はいきなり終わる。色々な解釈有る様だが、未だに自分には大いなる謎のままのラストシーン。
ひとつになりたい
渚カヲルを死なせてしまった碇シンジは心を閉ざしてしまう。やがてNERVと決裂した“人類補完計画」をすすめるゼーレは本部を攻撃し始める。アスカは意識不明だったが、弐号機に放り込まれ、自然回復を待つことに。襲い掛かる羽根のあるエヴァシリーズ9体。活動限界まで3分半の間に倒さねばならないという危機的状況でアスカが復活して撃破したかのように思われたが、思わぬところから“ロンギヌスの槍”が・・・
TV版25話と26話の別バージョンではあるが、アクション満載の25話と、シンジの精神世界が描かれていて、大人向けのエロいシーンもある。綾波は何してるんだよ~と思っていると、ゲンドウにあちこちまさぐられてからリリスと一体化してしまう。
人間もリリスと呼ばれる生命体から生まれた第18の使徒だった?神のような存在となった綾波が巨大化して、結局はサードインパクトが起きてしまったということなのか。映像が気持ち悪いぞ!そして、人類は滅亡しても意識は残る。綾波とカヲルが一体化しちゃったぞ!どうするシンジ?!終盤には街並みだとか劇場の様子という実写が織り込まれ、これは過去か未来かと、いろいろ想像させられる。
その色んな想像の中で、シンジの妄想世界と実直なアスカ、未来をシンジに託すミサト、一体化したり液状化したりと忙しい綾波がそれぞれ個性をぶつけてくる。多分、シンジは綾波のことをプラトニックラブの対象、同志として助け合う存在としてとらえているのだろう。また、アスカは自慰のためのオカズとしてとらえ、精神的にSとMの関係を築きあげている。ミサトは母のイメージとして、性的対象にはしていない・・・だけでキスしてみたい関係。それにしても綾波との一体化はエロいけど、アンチATフィールドで液状化してるからなぁ・・・最後には海岸で倒れているシンジと左目を失った上に傷だらけのアスカ。ここから新しい世界が始まるのね(多分)。
庵野秀明の頭の中を覗きたい。
※本レビューは「REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に」のページに投稿したレビューを再構成したものです。内容は殆ど同一となっております。ご了承下さいませ。
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DVDで鑑賞。
テレビシリーズの最終回があられもない姿で、「こりゃあ、納得いかんわなぁ」と思える代物だし、本作がつくられて良かったな、と…。内容のことは度外視して、ですが…(笑)
「Air」はアクションたっぷりで、手に汗握る場面の連続でした。最後の敵がまさかの人間だなんて…と云う絶望感がハンパなかったです。次々に死んでいくネルフ本部の人々…。
不慮の事故でアスカの生おっぱいを見てしまい、それをオカズに自慰行為をしてしまったせいで、もっと病んでしまったシンジくんを救うために、ミサトさんが決死の突撃! “大人のキス”に痺れた男性多いのでは? さらに続く悲惨・凄惨な場面の数々に、シンジくんの精神は臨界点を突破し、ついに“サード・インパクト”が発動してしまいました。
「まごころを、君に」では、第弐拾六話よりは緻密になりはしたものの、再びシンジくんの精神世界での葛藤が描かれていきました。哲学的な問い、答えの出ない問い、蝕まれて行く私の脳髄…。正直頭痛くなりました。気分がとても沈みました。胸を掻きむしりたくなるような激情がこみ上げたかと思えば、すぐに虚ろな感傷へと持って行かれてしまったような、なんだか意味の分からない精神状態になりました…。
難解さは変わらず、全ての謎が解き明かされたのかそうでないのかもよく分からないまま、首を絞められて「気持ち悪っ」で終劇してしまうとは。呆気に取られました。どゆこと?
庵野秀明監督の頭の中を開いて見てみたい衝動に駆られました。どうやったらこんな発想が湧いて来るのか? もはや異次元です。自分なりの解釈を考えないと…。
※リライト(2021/03/14)
「旧エヴァ」?「本家エヴァ」じゃ!
約15年前に初めて観たときの衝撃(トラウマ?)はいまだに引きずっている気がします。
弐号機が暴れまわったり喰われたり、後半はみんな溶けたり実写が入ったり、「これマジか!?」ってなりました。
いや、フィクションなんでマジなわけないいんですが、それくらい取り込まれていました。
難解な話ですが、シンプルに言えば、好きな人を遠ざけて、楽しかったことまで全て嫌になってしまうという、僕たちがよくやってしまいがちなことを超脚色して書いてるだけなのではと感じました。
新劇場版によってブームが再燃しましたが、こちらを観ていないという人があまりにも多いというのは愕然としています。
旧エヴァ(この言い方も嫌だ)最高です!
アスカのシンジに対する狂おしい程の好意がわかります。
アスカの「あんたが全部私のものにならないのなら、私なにもいらない」
これはもう加持リョウジは父親としてで、異性としてシンジがやばいくらいに大好きで、そんな自分を見向きもしないシンジを同時に非難しています。愛憎ってやつです。
ラストがそれを象徴しているようです。
シンジに首を絞められても怖い顔をしながらでもあるがシンジの頬をやさしくなでる。愛憎そのものですね。
レイがリリスとしての記憶、シンジに纏わる記憶も全て思い出し、ゲンドウを拒絶しシンジの願いを叶えるのも見ものです。
発想が怖すぎて凄い
序、破と観るとまた見直したくなるのがエヴァシリーズ。(そしてまた長々と考察しちゃうw)
ただこの旧劇場版は観る前に一呼吸置いてしまう。
もうね怖いんです。w
怒り、悲しみ、苦しみ、狂気、変態性、嫌悪感作り手のそんな感情を感じるすごくエネルギーを使う映画なのです。
ただやっぱり映画としてはすごく高度なものだと思うし、その数々の発想の斬新さは笑っちゃうくらい凄いです。
歳を重ねる毎にエログロを芸術的だと思うようになってきたんですが、アニメでそれを感じたのはこの作品だけかも。
特に補完最中は何その発想…と引きつつ感心していましたw
アウトなのも多いですけどねw
心理描写にあてた25、26話に起きていたことを描いたエヴァンゲリオンのもうひとつの最終回。
おもうことがありすぎて、うまく言葉にできません。
善悪、幸不幸、子供大人、本能理性、欲求、生きるとは何か、人間って何か、そんなことを考えずにはいられなくなります。
こんなことを考えるのもまた人間だけ。
それすら驕りなのかもしれません。
わかりません。w
25、26話と交互に観てみるのも面白いです。
エヴァがより一層好きになりました(w´ω`)
エヴァの映画初めて見ましたw
やっぱり難しいですね…。笑
大人の方でも理解するのは難しいでしょうね(;´ω`)
高校生のボクの頭では、理解不能です。笑
でもエヴァンゲリオンが社会現象を起こした理由がわかった様な気がします(w・ω・)
ボクも今ではすっかり『エヴァファン』です(w´ω`w)笑
エヴァンゲリオンの第2の最終回だけあって、
捉え方は様々だと思います。
にしても…。
『怖い!!!』
エヴァンゲリオンがこれほどまで
怖いものとは思いませんでした…(; ̄□ ̄)
でも、もちろん怖いだけでなく
感動するとこもありました(w・ω・)b
ミサトさんのシーンは涙ものでした・・・。(泣)
『大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょ。』
ヤバイですょ(w・ω・)??
アニメはもちろんのこと…
映画もみたら、あなたもすっかり
『エヴァファン』になるでしょう(w´ω`)!!
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