「鉄砲玉・山中と命の重さ。」仁義なき戦い 広島死闘篇 すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
鉄砲玉・山中と命の重さ。
◯作品全体
1作目のような成り上がりの物語とは異なり、鉄砲玉として生きる悲劇の物語である2作目。実質的な主人公と言える山中には、対比的な存在が多く登場する。
序盤は1作目の広能のように、なんでもない男がなにかを手にするところから始まる。広能は拳銃で、山中は高級時計。一見、山中のほうが平和で魅力的に映るが、ヤクザの世界で必要なのは打開できる力であることを一作目で証明している。村岡から貰った時計は突破口ではなく、時計を受け取った代償を払うことを強いられるようなプロップとして存在していた。対する広能は最善の選択とは言えなくても、危機的状況を自らの力で突破する。その象徴的なプロップとして、拳銃があった。
中盤以降の山中は、村岡の鉄砲玉としての人生を自ら選び、恩義を受けたという「負い目」によって靖子との距離すらも村岡のなすがままになる。山中の状況と対比的に映るのは、やはり大友勝利だ。村岡への忠義や靖子との関係性が無意識の中でがんじがらめになっている山中に対し、欲望のまま道なき道を行く大友は親子の関係性すら意に介さない。大友の「ワシら旨いもの食うてよ、マブいスケ抱くために生まれてきてるんじゃないの。それも銭が無きゃできやせんので。ほんじゃけん、銭に体張ろうゆうんがどこが悪いの」という考えも山中とは対照的な考えだ。靖子への愛情を大事にする山中とは違い、大友はすべて金によって手に入れられると考えている。戻るところがある山中と欲望へ進み続ける大友の対比が強烈だ。
更に言うと、戦死した靖子の夫と山中にも対比がある。
靖子の夫は劇中でも語られる通り、戦争で死んだ英霊だ。村岡も、山中もそのことに対して一目置いていて、靖子の籍についても配慮する発言をしている(建前だけかもしれないし、公開当時の70年代に戦死者をないがしろにするような結婚はあり得ないっていう価値観があって山中に悪印象を持たせなかった、という制作側の考えもあるかもしれない)。死してその存在が大事にされている靖子の夫と、命の価値が安く見られている山中には「靖子の相手」という同一の関係性でありながら天と地にも差がある。存命である山中のほうが靖子を守れるはずなのに、入獄することで離れ離れになるうえ、やくざの女としての重荷さえ与えてしまう。「英霊の妻」・「やくざの女」…それぞれに向けられる目線が全く異なるのは火を見るよりも明らかだ。
ラストのナレーションで「山中正治は広島やくざの典型として、現代にもその名が語り継がれている」とあるが、これは伝説としての意味合いもあるし、広島やくざの使い捨てされる命の軽さの典型でもあると思う。
ヤクザの抗争が主題であるシリーズ作品だが、本作は戦後の時代、なにも持ち得ない男の「命の重さ」を語る作品でもあったと思う。
◯カメラワークとか
・報道写真風演出が一作目より濃くなってる。新聞記事を映すカメラや実際に接写したような演出が臨場感に繋がっているような。
・村岡組の死体を載せた車の主観カットで遠くに居た村岡や松永に近づき、また離れていくっていうカメラがあった。並んで呆然と見送る村岡たちの構図が良い。
◯その他
・確かに大友勝利もいいキャラしてるんだけど、個人的には松永がかっこよかったな。派手で緩い格好してる若い衆の中でパリッとしたスーツを着てる松永が栄える。村岡に黙って賭博場を開いた大友のところへ乗り込む松永のカットがかっこいい。暗い光源と直線影。
・菅原文太の「クソバカタレ」の発音がカッコ気持ちいい。発音に破裂音が多いからかも。
・大友の「言うなりゃあれらはおめこの汁で飯食うとるんで。わしらうまいもん食ってよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。それも銭がなけにゃできやせんので」…名言だなあ。単純ながら明白な目的。悪役だけど憎めないのはこういうところにあるのかもしれない。