「35年前は「全く理解していないのに、分ったふり」、再度チャレンジ」書を捨てよ町へ出よう 矢萩久登さんの映画レビュー(感想・評価)
35年前は「全く理解していないのに、分ったふり」、再度チャレンジ
目黒シネマさん「~映像の魔術師 寺山修司×ケネス・アンガー~」(2024年8月18日~21日)特集にて『書を捨てよ町へ出よう』(1971)『田園に死す』(1974)を初の劇場鑑賞。
今から35年以上の遠い遠い昔。
こまっしゃくれた私は「日本アート・シアター・ギルド(ATG)を全作制覇して、映画フリークになる!」と意気込み、当時圧倒的在庫量を誇ったレンタルビデオ店「ドラマ下北沢」さんで勇んで借りてみたものの「全く理解していないのに、分ったふり」をして半世紀近く生きながらえてきました…。
あれから35年。果たして今は完全に理解できるか?本日は再チャレンジ。
『書を捨てよ町へ出よう』(1971)
映開始直後。声は聞こえるがスクリーンは何も投影されず暗闇が続く。
しばらくして主人公が現れ、『デッドプール』でもおなじみとなった<第4の壁>を破ってわれわれ観客に直接語りかけてきます。
この時点でスクリーンに投影される【虚構】とわれわれの【現実】の壁をまずは取り払おうとしてますね。当時の観客も驚いたことでしょう。
そのあとも主人公の心象風景を表現するかのように猛烈にカメラが揺れ、シーンごとに色調も大きく変化、シャワーシーンでレンズが曇ってもカメラマンの手がでてきてレンズを拭くなど、たぶん当時の「映画のお作法」を壊して演劇との融合を図る前衛的な【大いなる実験】をしかけていましたね。
公開当時の1971年は政治の季節が終わり消費社会への過渡期、まだ戦後や因習、社会的格差、マイノリティなどの問題は今以上に深刻で、それらを題材として取り上げ、寺山修司さんにおける「父の不在と母の呪縛(母殺し)」を織り交ぜながら、夢のなかの人力飛行機で抑圧された社会から脱出を試みる鬱屈した主人公の話…というのがあらすじでしたね。
当時の時代背景と映画と演劇の融合を念頭に置いて観ると、完璧ではありませんが何となく分った感じです。
マッチョでブルジョアなサッカー部の先輩を若き平泉成さん演じているのも必見ですね。
目黒シネマさんも主人公が「劇場を明るくしてくれ」と語ると、客電が明るくなった点は凄く良かったですね。公開当日も同じような演出だったのでしょうか。