「若尾文子の色気は屈託がなくさわやかで、南田洋子の色気は扇情的で危険だ。」続々十代の性典 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
若尾文子の色気は屈託がなくさわやかで、南田洋子の色気は扇情的で危険だ。
南田洋子と若尾文子の性典シリーズ第三段。前作の4カ月後に公開された。
例によって、物語に連続性はない。
本作のタイトル・バックが、ちょっと凄い。「007」シリーズみたいに男女のシルエットが映し出されるのだが、むしろ「007」よりエロかったりして…。
監督 小石栄一
脚本 須崎勝弥
企画 土井逸雄
1作目で主人公を演じだ沢村晶子が、今度は若尾文子の姉の役でシリーズに復帰。
出演者の筆頭に三人の女優が並列でクレジットされている。
・若尾文子
・沢村晶子
・南田洋子
高校3年生の麻布節子(南田洋子)は老舗商店の一人娘で、仲の良い級友の田所圭子(若尾文子)はキャバレーのダンサーをしている姉(沢村晶子)との二人暮らしだ。過去2作とは家庭の経済的環境が逆転している。
が、それでもやはり若尾文子は朗らかで真っ直ぐな女の子で、南田洋子はまた男の毒牙に落ちて苦しむ役回りだ。
若尾文子と南田洋子は、またさらに綺麗になった気がする。沢村晶子に至ってはすっかり大人のご婦人だ。
根上淳もまた、南田洋子に想いを寄せているのにトンビに油揚げをさらわれる気の毒な役で、入江洋佑は今回は同級生役だが、やっぱり若尾文子に想いを告げられずにいる役だ。
大学生の新井愼吾(根上淳)は節子の家業の取引先の息子で、親同士が結婚を約束していたが、それ以前に彼は節子を見初めていた。
新井の友人佐山(船越英二)は、大学のジャズバンドでサックスを吹いているモテモテのプレイボーイ。新井が節子を招待した大学生ジャズ大会の会場のロビーで新井に言う。
「今のうちに売約済のレッテルを貼っておけば、何年先になるか知らんがバージンは間違いない。今の若い女はあまり処女を大事にしない。ま、俺たちにも責任はあるがな」
このシリーズが示してきた、女性には貞操観念を強要し、男は性に自由だという当時の性倫理をこのセリフで表している。
俺たちにも責任はあると言った、そのとおり佐山は友人を裏切って女子高生のバージンを奪う蛮行に至るのだ。
新井を意識し過ぎてか、節子は新井を避ける。そんな節子に代わって、圭子が新井の人となりを調べようと、新井と佐山に近づくことになる。
新井か佐山のどちらかが圭子に惚れる展開ではないかと思ったら、二人とも全くその気配はない(若尾文子を目の前にして、信じられないが…)。
圭子は度々示唆に富んだことを言う。
節子に嫌われてしまったと落ち込む新井に、恋愛したい女の子の心理を教えたりするのだ。
圭子の姉が、父親の遺産があると言っていたが、実は預金は底をついていると圭子に告げたとき、涙ながらに「私たち男の兄弟だったらどんなに良かったでしょうね」と言ったのを受けて、「イヤ!女だからって惨めに考えるのは」と姉を諭す芯の強さが圭子にはあった。
姉の方には求婚者がいるようだが、何かを悩み苦しんでいる。それが何だったのかは、全く触れられず、放ったらかしという…。
圭子たちはクラスの仲間とキャンプに行く。
今回も小田切みきはちょっと粗暴な同級生昌枝を演じている。その昌枝がキャンプに新井と佐山を呼ぶものだから、事件は起きてしまう。
山あいの湖畔のキャンプ場で、湖を泳いだりボートを漕いだりしている場面はどうやって撮影しているのだろうか。遠景は明らかにロケーション撮影だと判るが、接近している画はカメラを乗せたボートを並走させていたら波が立つのではないかと思う。
新井がキャンプ場に来てから憂いげな節子は、何を思ったか朝もやの湖で膝下まで水に入り、服を脱いで朝の空気を吸い込んでいた。この南田洋子が神々しいまでに美しい。
そしてまた何を思ったか、夜の湖を一人で泳ぎ始める。言わんこっちゃない、足を吊って溺れた節子は、沖で釣りをしていた新井に救助される。
なんとか岸に引き上げ、気を失った水着の節子を胸に抱いて無防備な唇を間近に見ていると、新井の本能が制御不能に陥ったのは理解できる。が、今は人工呼吸か心臓マッサージをすべきでしょうに…。
たまたまそこに佐山が通りかかるが、ヤツは成り行きを見ていたに違いない。
自己嫌悪に苦しむ新井は、節子を佐山に預ける。
さすがに、そんな節子を犯すほど佐山はゲスではなかったが、それでも不味いヤツに預けてしまった。
その翌日、今度は佐山が制御不能に陥るのだ!
行方不明になった節子を皆で探しているとき、佐山は新井にやってしまったことを白状して殴られる。それを節子の級友が目撃してしまい、節子の身に起きたことは全員の知るところとなる。
ここで、償いたいと言う佐山に、だったら元の節子を返せと糾弾する圭子の長台詞こそが、本編の主張だ。
「過ちから出発した愛情、それからズルズルベッタリ出来上がった結婚、よしてちょうだいそんなもの!バカにしないでよ!私たちの純潔がどんなものか、あなたなんかに分かるもんですか!」
あなたなんか人間じゃない、犬や猫より野蛮で下等で下劣だ…と、圭子の攻めは容赦なく続くのだ。
キャンプ場から終電車で一人戻った節子は、家に帰れず彷徨っていた。その節子を偶然拾ったのは圭子の姉だった。
翌朝、圭子の姉が節子を家に送り届けるが、節子の父(見明凡太朗=過去2作では若尾文子の父親役だった)は節子を責め、学校をやめさせると言う。
なんと、節子はすべてを圭子の姉に話し、両親にもすべてを話したってことか⁉
過去作では南田洋子は身の上に起きたことを隠していたのに…。
こんなことが世間に知られたら…と父親は嘆くのだが、もうかなりの人が知ってしまっている。
節子をかばう圭子の姉は「あなたは商売柄さばけていらっしゃる」などと言われてしまって、踏んだり蹴ったりだ。
ここで、皆が「一度の過ち」と言う。
小林桂樹演じる教師が登場する。これが生徒の信頼も厚い良い教師なのだが、彼も「過ちのない人間がどれだけいるか」と弁論する。「問題は過ちを犯したことではなく、犯した後にある」とよくわからない論理を節子の父に対して展開する。
しかし、なんとも釈然としない。
節子は過ちを犯したのだろうか。これでは、男の欲情を煽った節子が悪いと言っているかのようだ。節子は被害者化なのに。
結局、このシリーズは少女の大切な純潔を凌辱した男は罰せられることがない。本作では若尾文子の台詞でやっと身勝手男が追及を受けたのだった。
しかし、船越英二は8年後の『黒い十人の女』で妻のほかに9人の愛人を作るのだから、懲りてはいない…(笑)