十九歳の地図のレビュー・感想・評価
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✕だらけの地図
住み込みで新聞配達をする吉岡まさる19歳。
配達先では犬に吠えられたり、集金をふんだくられたり、憐れみの目を向けられたり。
彼は配達先の情報を細かくノートに記し、精密な地図を作り上げる。
地図にはバツ印が増えていくばかり。
そしてその一軒一軒に嫌がらせの域を越えた脅迫電話をかけていく。
とにかくこの映画で描かれるのは人間の、社会の醜い部分ばかりだ。
人によっては彼らを人生の敗残者と呼ぶのだろう。
ギャンブルに溺れ、口からでまかせばかりの同僚紺野は、吉岡にとって軽蔑すべき大人の象徴だ。
それでも何故か彼はいつも紺野と一緒にいる。
下宿の向かいではいつも夫婦が激しい喧嘩をしている。
もっとも怒鳴り声が聞こえるのは妻の方だけで、決まって最後には夫に暴力を振るわれて泣き寝入りする。
紺野は何とか助けてあげられないかと呟くが、吉岡の言うように結局妻の方も暴力を振るわれることで生きがいを感じているのだから他人にどうこう出来る問題ではない。
人間とはつくづくおかしな生き物だと感じる。
紺野がマリア様と慕う女は自殺未遂により片足が不自由なのだが、まるで自分を傷つけるためだけに生きているようだ。
もっとも人間とは傷つき傷つけるために生きているのかもしれない。
妊娠したマリアと駆け落ちをするために紺野は引ったくりを繰り返し、強盗の現場を押さえられて刑務所に入れられる。
マリアは吉岡に罵られ自殺しようとするが、いつもどうしても死ねないのだと号泣する。
吉岡はそんな醜い人たちをいつも斜に構えて見ている。
が、彼には人を殺す度胸もなければ、人の傷に深く踏み込む度量もない。
精密に作り上げられた地図は、まるで何か大きなテロを起こすための道具にも見えるが、せいぜい彼に出来るのは爆弾を仕掛けたと脅迫の電話をかけるぐらいだ。
実は彼が軽蔑する紺野やマリアの方が、みっともなくはあるものの、本気で人と関わり傷ついている点では立派な生き方なのかもしれない。
そして吉岡は「どんな具合に生きていけばいいのか分かんねえよ」とうめき続ける。
それもまた人生の苦しみなのだ。
吉岡はいつものように新聞を片手に走り続ける。
ゴミ捨て場からまだ綺麗な洋服を見つけ出し、嬉しそうにそれを掲げるマリアの姿が印象に残った。
蟹江敬三、そして沖山秀子の演技には圧倒されたが、何を描いた映画かが分からずモヤモヤ感を抱いている
柳町光男 監督による1979年製作(109分)の日本映画。配給:プロダクション群狼、日本初公開:1979年12月1日。
中上健次の原作は未読。
新聞配達を毎日行っている予備校生、本町優二が主人公。舞台は都電荒川線が走る王子界隈。閑静な住宅街と王子スラムというバラック街が同居してしていた街。彼は自分でルールを決めており、彼独自マイナス評価で×が3つとなるとその家に脅迫電話をかける。権力志向でまだ何者にもなれていない若い主人公の怒り・苛立ちは、頭では多少理解できるのだが、歳をとったせいもあるかもしれないが、共感はとても難しかった。
ただ、主人公が同居していて、ああはなりたく無いと思っている中年男、蟹江敬三にはある種の親近感を覚えた。若者から金を借りるが返そうともしない、新聞配達以外には何も働こうとせず競馬に嵌っている。そんな彼が瘡蓋のマリア様と崇めているのが足の悪いもう美しくない娼婦沖山秀子。蟹江はそんなマリアと暮らすことを夢見て引ったくりや盗みを働き、あえなく留置所にぶち込まれてしまう。されど、良い夢を見させもらった満足感からなのか、蟹江はブタ箱の中で歌を口ずさむ。中年男の屈折と純粋さを併せ持つ奥深さというか、何とも印象に残る演技であった。
そして沖山秀子、主人公に責められてガス管を咥えて死のうとするが、死にきれないと慟哭する。一方、ゴミ置き場から自分の好きな服を見つけたマリアの無邪気に幸せ感を全身で表現する立姿。この映画で見せる彼女の瘡蓋だらけの不自由な足は、実際にビルの7階から飛び下り自殺未遂に終ったときの後遺症とか。この映画は事件直後の復帰作らしいが、圧倒的な存在感であった。
隣のアパートで毎晩の様に暴力振るわれ大声で叫んでいる妻が中島葵(穏やかな家庭的風景が一回だけ登場し印象に残った)、本間と蟹江がナンパしようとして失敗した女子高生が桃尻娘シリーズの竹田かほり。
俳優の演技には魅せられたところもあったが、映画全体として、柳町光男がこの映画で何を描こうとしているかが、今一つ理解出来ずにモヤモヤ感が残っている。
監督柳町光男、原作中上健次、脚本柳町光男、撮影榊原勝己、照明加藤勉、美術平賀俊一、音楽板橋文夫。
出演
本間優二、蟹江敬三、沖山秀子、山谷初男、原知佐子、西塚肇、白川和子、友部正人、津山登志子、中島葵、川島めぐ、竹田かほり、中丸忠雄、清川虹子、柳家小三治、楠侑子。
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